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ドナルド・ビアズリー (アメリカ)
【 1943 〜 2005 】



ドナルド・ジェイ・ビアズリーは、1943年5月13日、アメリカ・ミズーリ州セントルイスで生まれた。

ビアズリーは3人兄弟の長男で、11歳の時に父親が亡くなっている。

ビアズリーは15歳でイリノイ州の士官学校に入り、その後、セントルイスの高校に転校し、1962年に卒業した。

卒業後、アメリカ空軍に入隊し、航空整備士として4年間勤めた。


1965年、仲間の空軍兵と共に自動車を盗もうとして捕まり有罪判決を受けた。

判決後、ビアズリーは労働農場に送られ、そこで木から落ちて頭蓋骨を骨折し、丸一日昏睡状態に陥った。

ビアズリーは仮釈放期間中に、カリフォルニア州サン・マテオにあるコミュニティ・カレッジに入学した。


1966年、ビアズリーはカレン・ハンセンという女性と結婚するが、わずか1年で離婚している。


1969年、ビアズリーはミズーリ州のバーで、出会ったばかりの女性の首を絞め、刺して溺死させた。

ビアズリーは自ら警察に出頭し、女性の殺害を自供した。

ただ、殺害は認めたものの、結局動機については語らなかった。

ビアズリーは第二級殺人での有罪を認め、禁錮19年の判決を受けた。


1977年、ビアズリーは7年服役した後、仮釈放となった。


1981年4月5日、ビアズリーはレッドウッドシティで、麻薬絡みで19歳と23歳の女性を殺害し、逮捕される。

1人の女性の遺体のそばからビアズリーの電話番号が見つかり、警察が電話をかけるとビアズリーは犯行を自供した。

そして、もう1人の殺害も認め、遺体のある場所を警察に案内した。

逮捕された時、ビアズリーはまだ仮釈放中の身であった。

検事の主張によると、ビアズリーは友人たちの麻薬取引が上手くいかず、185ドル (約3万円) が回収出来なかった。

仲間のドラッグディーラーのアイデアで、殺害された女性2人を誘き寄せ、ダクトテープで縛り上げると1人を撃ち、もう1人は喉を切り裂いて殺害したのだった。


1984年5月13日、ビアズリーは第一級殺人罪で死刑判決が下された。

ビアズリーの弁護側は、裁判当初に弁護士が辞任した事で弁護が不十分であったこと、21歳の時に木から落ちた事故で頭部を打ち、精神に異常をきたしてしまった事を根拠に控訴した。

また、家族がビアズリーが生まれつき感情表現に問題があったと証言し、刑務所で統合失調症の診断を受けていると訴えたが、検察はビアズリーの知能は平均以上で問題はないと反論した。


2005年1月19日、ビアズリーの死刑が執行された。

享年61歳。

ビアズリーは執行に際して何も言葉を残さなかった。

ビアズリーはアーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事になって最初の死刑執行であった。

シュワルツェネッガーは
「善悪の区別がつかない障害に影響されていないので恩赦には該当しない」
と声明を発表し、恩赦を拒否している。



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1969年〜1981年4月5日



∽ 総評 ∽

女性ばかり3人を殺害したビアズリー。

ビアズリーは木から落ちた時に頭部をぶつけ、頭蓋骨を骨折して昏睡状態になった。

以前にも頭部を損傷した事で異常になった殺人鬼を何人も紹介してきた。

ただ、ビアズリーの場合は頭部を打つ前から自動車を盗むという犯罪行為を行っており、頭部損傷が必ずしもビアズリーを異常にしたとは限らない。

個人的には元々の異常性が頭部損傷によって加速したのではと思う。

最初の女性を殺害した理由は本人が語らなかったためわからないが、この時に死刑にして処刑していれば後の2人は殺される事はなかった。

ただ、殺害された女性2人が麻薬絡みだったとしたら殺害されたのも自業自得と言えるだろう。