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ザキ・アリ・トゥンブー (フランス)
【 1998 〜  】

ダイラミ・アトゥマニ
(フランス)
1999 〜  】



ザキ・アリ・トゥンブーは、1998年10月21日、フランス海外地域マヨット (アフリカとマダガスカルの間にある島) で生まれた。

トゥンブーの幼少時代は悲惨で、平手打ちやベルトで殴打されるという暴力を受けて育った。

その為、子供の頃から性格が歪んでしまったトゥンブーは、幼い頃から窃盗や暴力といった犯罪に染まり、学校で懲戒処分を受けた。


2012年、トゥンブーは13歳の時に大麻を使い始め、その後、アルコールを飲み始めた。

トゥンブーは大麻やアルコールを使用した目的を「家族の誇りを勝ち取るため」だったと後に述べている。


2013年、トゥンブーは学校で集団で暴行を行う組織を結成するが、薬物を所持しているのが見つかり逮捕された。

トゥンブーは麻薬密売の罪で起訴されたが釈放され、学校から追放されるとフランス南西部トゥールーズへ送られた。


2014年5月18日、マムズー少年裁判所は、トゥンブーに故郷であるマヨット島の居住禁止を命じた。

トゥンブーは控訴するが、控訴審により命令は支持された。


同年、トゥンブーは22歳の兄が住んでいたモンリュソンに引っ越した。

そこでいくつかの仕事をこなすが、すぐに失業してしまった。

何をしても仕事が上手くいかなかったトゥンブーは、真っ当に働いて稼ぐ事に見切りをつけ、麻薬の販売を再開する。

トゥンブーの兄は弟の面倒をこれ以上みれないと、マヨット島への帰還を求めたがその要求は拒否された。


2016年、トゥンブーは同い年でマホラン出身のダイラミ・アトゥマニと出会い友人となる。

アトゥマニは周囲の人達に強い影響力を持っており、そんなアトゥマニをトゥンブーも非常に尊敬していた。


デイラミ・アトゥマニは、1999年、トゥンブーと同じマヨットで生まれた。

父親はコモロ人で、母親はマヨット出身であった。

アトゥマニは暴力的な環境で育ち、父親は日常的に殴って虐待した。

学校ではアトゥマニはクラスメイトにしばしば戸棚に閉じ込められたり、机に鎖で繋がれたり定規で殴られるといったいじめを受けた。

そんな劣悪な生活を送っていたアトゥマニの性格は歪み、学校を中退すると路上生活を送るようになる。

そこで悪い仲間と付き合うようになり、鉄棒やマチェットを使って近隣住民同士の喧嘩に参加した。

悪名を轟かせるようになったアトゥマニは、当時、いつライバルギャングに命を狙われてもおかしくない状況であったと後に語っている。

そんなアトゥマニを心配した両親はコモロに何度も送って改善を求めたが、相変わらず悪い仲間と付き合い続けた。


2013年、14歳になったアトゥマニは休暇を叔父と過ごすと両親に騙されてフランスのディジョンに送られた。

ディジョンに到着すると、両親はアトゥマニにフランスに永住すると告げられる。

アトゥマニは両親に捨てられたと悟り、裏切られたと感じ大いに苦しんだ。

アトゥマニはその苦痛を紛らわす為にアルコールに溺れ、また、薬物を使用するようになった。


2015年末、アトゥマニは叔父と共にモンリュソンに引っ越すが、叔父はアトゥマニの面倒をみる事なく放置した。

アトゥマニは自力で生きていかなければならなくなった為、仕事を探すが見つからなかった。

アトゥマニは生活費を稼ぐ為に大麻を売るようになり、退屈を紛らわす為に定期的にクレルモン=フェランに住む従兄弟の家に数日間滞在した。


2016年、アトゥマニはトゥンブーと出会い友人となった。

この頃、アトゥマニには悪仲間が他にもおり、アトゥマニを慕って集まっていた。

アトゥマニはグループ内で絶対的な権威を持っており、そんなアトゥマニをトゥンブーは尊敬していた。


同年10月9日朝、アトゥマニはクレルモン=フェラン駅に侵入すると、窓と券売機を破壊した。

騒音に気付いた警備員がアトゥマニを捕まえ、取り押さえようとした。

しかし、アトゥマニは警備員の頭にコンピューターを投げつけ殴打して逃走した。

1時間後、清掃員の女性が駅の入り口の窓が割れているのを見て驚き、建物に入ると意識不明の警備員が閉じ込められているのを発見する。

救急車で運ばれた警備員の怪我は軽傷であり、数日後、問題なく回復した。

警察は捜査を開始し、現場で犯罪者のDNAを検出するが、国立自動データベースに登録しなかった。


同年11月と12月、トゥンブーはモンリュソンで5回の窃盗を犯した。

盗品は些細なもので、サンドイッチ店で商品券と鶏肉を、隣人の地下室からワインボトルに延長コード、ビデオカセットを盗むといったものだった。

最後の窃盗の際、トゥンブーは閉店間際の店の通路に隠れたが、店員に発見され逮捕された。

警察の拘留期間の終わりにトゥンブーは窃盗罪で起訴され、司法監督下で釈放された。

釈放の際、トゥンブーのDNAは採取され、国立自動DNAデータべースに登録された。


2017年3月2日から3日にかけて、トゥンブーとアトゥマニは、モンリュソンにあるジネット (85歳♀) とマッシモ (71歳♀) のデッリ=イノチェンティ夫妻の家に侵入した。

2人は夫妻を激しく拷問し、暴行の末殺害した。

殺害後、トゥンブーとアトゥマニは夫妻の貯金の一部を盗んで逃走した。

数日後、マッシモの同僚たちが連絡がない事を心配し、高齢であった事も考慮し家を訪ねた。

すると、家の出入り口でちょうどアトゥマニが立ち去ろうとしている所に出くわす。

そして、同僚たちが家の中で夫妻の遺体を発見し、すぐに警察に通報すると出入り口で遭遇した見知らぬ男の事を警察に説明した。

警察は捜査を開始し、夫妻の車からDNAの痕跡を発見し、それを国立自動DNAデータベースと照合した。

すると、トゥンブーのものであると判明する。

しかし、肝心の犯行現場からはトゥンブーのDNAが発見されなかった事や、同僚が目撃したのはアトゥマニでありトゥンブーではなかった事で逮捕には至らなかった。


同年3月10日から11日にかけて、酔っ払っていたトゥンブーはモンリュソンにあるナイトクラブに無理やり入ろうとした。

しかし、2人の警備員がトゥンブーを取り押さえ、退去を命じた。

警備員の1人が警察官に友人がいた為、その様子を携帯電話で撮影し後に見せようと考えた。

すると、トゥンブーは

「俺を誰だと思っている。モンリュソンの殺人犯だぞ」

と自慢し警備員を威嚇するが、
結局トゥンブーはその場を去った。

デッリ=イノチェンティ夫妻殺害は地元では有名であった為、警備員は警察官にその時の様子を説明し動画も見せた。

しかし、トゥンブーは目撃された容疑者 (アトゥマニ) の特徴と一致しなかった為、警備員の発言を取り上げなかった。


同年3月11日から12日にかけて、トゥンブーとアトゥマニはモンリュソンに住むジャニーン・ポンセ (74歳♀) の家に押し入った。

2人はポンセを拷問した後、殺害した (この時、飼い犬は飼い主が拷問されている事に怯え小屋の下に隠れていた) 。

ポンセ殺害後、2人は家の中を物色し、貯金の一部を盗んでその場を去った。

殺害後、2人はすぐに若いカップルを襲撃し、拉致して連れ去った。

そして、カップルを拷問し、女性を代わる代わる強姦した。

数時間の拷問と凌辱の後、2人はカップルを殺さずにその場を去った。

カップルはすぐに警察に通報し、経緯の詳細を説明した。

警察がトゥンブーの写真を見せると、カップルは間違いないと話した。


同年3月13日午後、ポンセの息子がいつもかかってくるはずの母親からの連絡がない事を心配し、家を訪ねて遺体を発見した。

すぐに警察に通報し、警察はポンセ殺害もトゥンブーによるもので間違いないと考え、捜査を開始した。

トゥンブーはその日中に集団強姦と不法監禁の容疑で逮捕された。

逮捕された時、トゥンブーはまだ18歳であった。

トゥンブーは犯行を認めたものの、現場にはアトゥマニもいた事を主張した。

また、他に19歳のベンという男性に犯行現場まで運転してもらったと述べた。

翌日、ベンは逮捕されるが、アトゥマニは逃走した。

逮捕されたベンは、犯行の関与を否認し、運転して2人を犯行現場まで連れて行った事を否定した。

ベンは犯行時、自宅で過ごしていたと主張したが、1人であった為、その事を裏付ける証言は得る事が出来なかった。

トゥンブーは集団強姦と不法監禁の罪で起訴され、ベンは共謀罪で起訴された。


同年3月17日、トゥンブーはデッリ=イノチェンティ夫妻の殺人で再び拘束された。


同年3月24日夜、アトゥマニはクレルモン=フェラン駅近くで発見され逮捕された。

アトゥマニも集団強姦と不法監禁の罪で拘留され、全ての犯罪のへの関与を認めたが、いずれの犯罪においても軽微な役割しか果たしていないと主張した。

また、アトゥマニもトゥンブー同様犯人が複数いた事を認め、ベンと他に2人の未成年者が共犯者だと述べた。

拘留期間終了後、アトゥマニも集団強姦と不法監禁の罪で起訴された。


同年4月10日、トゥンブー、アトゥマニ、ベンの3人はポンセ殺害でも拘束され、トゥンブーとアトゥマニは犯行への関与を認めた。

ベンは相変わらずモンリュソンの全ての犯罪の関与を否定した。

デッリ=イノチェンティ夫妻殺害ですでに捜査を受けていたトゥンブーは、ポンセへの拷問と殺害で起訴された。

アトゥマニもデッリ=イノチェンティ夫妻に対する殺人及び拷問行為で起訴された。

マスコミはこの事件を大々的に報道し、トゥンブーとアトゥマニの事を『The Montluçon Killer (モンリュソンの殺人鬼) 』または『The Barbarian of Montluçon (モンリュソンの野蛮人) 』と呼んだ。


同年6月16日、ベンは犯罪への関与が否定され釈放された。

また、17歳の少年2人もベンと同様の理由で釈放された。


2019年11月18日、トゥンブーとアトゥマニの裁判がアリエの少年裁判所で始まった。

裁判中、トゥンブーはアトゥマニと共に全ての犯罪に関与した事を認めた。

しかし、トゥンブーはアトゥマニと飲酒した後のアルコールによる影響下にあったと主張し、一方アトゥマニはあくまで自身は主犯ではなく、共犯者としての二次的な役割であったと主張し続けた。

また、2人は謝罪や反省する事は一切なく、証言をコロコロと変え曖昧で、嘘を積み重ねる始末であった。

精神科医や心理学者、捜査官など事件に関係した証人が次々と出廷し、トゥンブーとアトゥマニを「暴力的」、「アルコール依存症」、「薬物中毒」であると主張した。

判決が言い渡される直前、検察は最終弁論で、
「被害者に対してこれ程の容赦ない攻撃が必要であったのか?私はこれ程の残虐な行為を見た事がない」
と述べ、2人を非難した。


同年11月22日、トゥンブーには最低22年の刑期を伴う終身刑が言い渡された。

犯行当時、未成年であったアトゥマニは16歳から18歳までの未成年者に対する最高刑である30年の懲役刑が言い渡された。

2人は判決を不服としてすぐに控訴した。


2020年10月20日、ピュイ=ド=ドーム少年裁判所でトゥンブーとアトゥマニの控訴審が始まった。

裁判が始まると、控訴前とは一転トゥンブーは遺族に謝罪し、事件について考えない日は一日もないと述べた。

ただ、アトゥマニは最初の裁判と同じ立場を貫き、反省や謝罪は一切なかった。

精神医学の専門家が証言に立ち、アトゥマニがトゥンブーに強く影響を与えていたと指摘し、2人のうちアトゥマニの方が危険であると語った。

そして、集団という状況が犯罪に大きな要因を与えたと主張した。

ただ、検察官はトゥンブーの方が役割が小さい事を考慮せず、2人に対して最も重い刑を求刑し、逮捕されてなければもっと被害者が出たのは明白であると主張した。


同年10月23日、トゥンブーには最低22年は仮釈放がない終身刑が、アトゥマニには懲役30年が言い渡された (犯行時アトゥマニは17歳で未成年であった事が考慮された) 。

トゥンブーとアトゥマニの弁護団はすぐに控訴するが、2021年7月28日に棄却された。

リオム刑務所に収監されたトゥンブーは、他の囚人に侮辱され虐待された。

いじめに耐えられなくなったトゥンブーは、

「次やったら殺す」

と囚人たちを脅した。


2022年1月12日、トゥンブーの同房者6人が、刑務所の中庭でトゥンブーを襲撃し、殴打した。

警備員の通報を受け、刑務官が6人を取り押さえた。

尋問された6人は、トゥンブーから殺害予告を受けた為、身を守る為に行動したと主張した。

しかし、6人は暴行罪で起訴され、それぞれ別の刑務所に移送された。

トゥンブーは6人から暴行を受けたものの、一命は取り留めた。

トゥンブーが最低刑期を満了するのは2039年であり、41歳の時である。



《殺人数》
3人 (他被害者多数)

《犯行期間》
2017年3月2日〜同月12日



∽ 総評 ∽

『The Montluçon Killer』または『The Barbarian of Montluçon』と呼ばれ、執拗で残酷な拷問の末に3人を殺害したトゥンブーとアトゥマニ。

その暴行具合がどれ程のものか詳細がないのでわからないが、検察が「これ程の残虐な暴行を見た事がない」というくらいなのでよほどのものであったと思われる。

2人は殺害後に金品を盗んでいる為、一見強盗殺人に思われるが、犯行の様子からは殺人に対する暴行を楽しむ生粋の快楽殺人鬼である。

しかも、犯行時、トゥンブーが18歳、アトゥマニが17歳という早熟ぶりであった。

また、その犯行はわずか10日ばかりで行われ、殺された3人以外にも悲惨な目に遭った被害者も多数いた。

精神医学の専門家が語るまでもなく、捕まらなければもっと被害者が出たのは誰の目にも明らかであり、仮に数ヶ月1年と犯行を続けたとしたらどれ程の被害が出たのか考えるだけで恐ろしい。

それ程の残虐振りであった。

フランスはすでに死刑を廃止しているが、犯行時の年齢を考えるとよくこれ程の判決を下せたと思う。

ただ、トゥンブーは41歳で仮釈放される可能性があり、アトゥマニに至っては最低でも48歳で、刑期が短縮されたらもっと早く出てくる可能性すらあり、それだけは危惧する所である。