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セシル・ジョンソン (アメリカ)
【 1956 〜 2009 】



セシル・C・ジョンソンは、1956年8月29日、アメリカ・テネシー州モーリー郡で、10人兄弟の長男として生まれた。

ジョンソンは中学3年の時に学校を中退し、21歳で結婚して1人の子供をもうけた。

その後、テネシー州ナッシュビルのヴァンダービルト大学で皿洗い兼調理師として働いた。


1980年7月5日、銃を持ったジョンソンがとある店舗に侵入すると、店舗にいた店主ボビー・ベルとその息子ロバート・ベル (12歳) 、そしてもう1人の男性ルイス・スミスに向けて銃を突きつけた。

ジョンソンは3人にレジからお金を出して自分のバッグに入れるよう要求した。

すると、女性が2人の子供を連れ店に入って来た為、ジョンソンは咄嗟に銃を隠すと、ボビー達に女性と子供達が店を出るまで普段通りに振る舞うよう指示した。

女性たちが店を出た後、ジョンソンはお金を受け取ると3人を容赦なく撃った。

ロバートは最初に撃たれ、守ろうとしたスミスが喉と手を撃たれた。

ボビーは手首を撃たれ、銃撃後、ジョンソンは店を出た。

ボビーとスミスは生き残ったが、ロバートは銃創が致命傷となり死亡した。

ジョンソンは逃走する前にジェームズ・ムーア (41歳♂) とチャールズ・ハウス (35歳♂) を射殺する。

ムーアはタクシー運転手で、ハウスはその乗客であり、2人はそれぞれ1発の銃弾で死亡した。

ジョンソンはボビーから提供された情報によりすぐに容疑者に特定され、犯行の翌日の6日に逮捕された。

逮捕されたジョンソンは第一級殺人罪3件と武装強盗罪1件で起訴された。

裁判が始まると、ジョンソンは犯行を否認した。

ジョンソンは犯行時、友人と一緒いたこと、その友人の車を離れた時間は全くなかったと主張した。

しかし、友人のビクター・デイビスは犯行の店舗にジョンソンを運びそこで降ろしたこと、犯行後、車に戻って来たことを証言し、戻って来たジョンソンが、

「少年を撃つつもりはなかった」

と言っていたと証言した。

裁判の結果、ジョンソンは3つの訴因全てにおいて第一級殺人罪で有罪判決となった。


1981年1月19日、ジョンソンは陪審員全員一致の死刑勧告を受け、電気椅子による死刑判決が言い渡された。

ジョンソンは1976年にアメリカで死刑が復活して以降、テネシー州で最初に死刑判決を受けた人物となった。

裁判官はジョンソンに3つの死刑判決に加え、強盗と殺人未遂の4つの罪状で終身刑を言い渡した。

裁判官はジョンソンの死刑執行日を1981年5月20日に設定したが、義務的控訴審の審理が終わるまで執行は延期された。


1982年5月3日、テネシー州最高裁判所はジョンソンの死刑判決に対する直接控訴を棄却した。

同時に裁判所はジョンソンの死刑執行日を同年6月29日と定めた。

しかし、ジョンソンの弁護士は死刑判決に対する控訴を継続する意向を示していた為、再び執行は延期された。


同年10月、アメリカ最高裁判所はジョンソンの死刑判決に対する上訴を棄却し、死刑執行日を1983年1月14日に再設定した。

しかし、この死刑執行もジョンソンの上訴により延期された。


1985年7月8日、ジョンソンは囚人仲間数人 (ジョンソン入れて8人とも) と死刑囚のラロン・ロナルド・ウィリアムズ (37歳♂) を殴り殺した。

殺害動機はウィリアムズが電話を長時間かけ過ぎた為であり、日頃から数人の受刑者から不満が出ていた。

殺害当日、ジョンソンは刑務所の運動場で仲間のトニー・ボボ、その他の囚人たちとウィリアムズを襲撃した。

ジョンソンらはよってたかってウィリアムズを殴り続け、ジョンソンとボボは頭部と胸部に35ポンド (約15kg) のダンベル2つを投げ落とした (これが致命傷となった) 。


1986年、ジョンソンとボボは第一級殺人罪で起訴された。


1987年6月23日、ジョンソンとボボは陪審員によって第二級殺人罪で有罪となり、同年7月17日、終身刑が言い渡された。


1988年1月20日、テネシー州刑事控訴裁判所はジョンソンの死刑判決を取り消し、再審理を命じた。


1990年9月4日、テネシー州最高裁判所はジョンソンの死刑判決を支持した。

1991年時点でジョンソンはテネシー州の死刑囚監房に収監されている80人の死刑囚の内の1人であった。


同年7月8日、テネシー州最高裁判所は、ジョンソンとボボ両名の控訴を認め、有罪判決を覆し再審を命じた。


1994年2月、ジョンソンとボボ両名は故意による殺人罪で有罪となり、それぞれ懲役8年が言い渡された。

両名は判決を不服として控訴するが、1995年9月27日、控訴は棄却された。


1997年11月25日、テネシー州控訴裁判所はジョンソンの控訴を棄却し、死刑判決を支持した。


2008年4月29日、ジョンソンの上訴が棄却された。


2009年7月22日、テネシー州最高裁判所はジョンソンの死刑執行令状に署名し、同年12月2日を死刑執行予定日とした。


同年11月30日、ロバート・エコールズ連邦地方裁判所判事は、ジョンソンの死刑執行延期を求める上訴を棄却した。

フィル・ブレデセン知事は、ジョンソンの死刑判決を終身刑に減刑する事を拒否し、恩赦を求める上訴も却下した。

ジョンソンはアメリカ最高裁判所への最終上訴において死刑囚として29年間も投獄され、執行まで非常に長い期間待たされた事を「残虐かつ異常な刑罰」であると主張した。

しかし、判事の過半数はジョンソンの主張に同意せず、最終上訴も棄却した。


同年12月2日、アメリカ最高裁判所がジョンソンの上訴を棄却した数時間後、致死量の注射による死刑が執行された。

享年53歳。

ジョンソンは最後の食事を拒否し、電話とテレビで最後の時間を過ごし、家族、精神的指導者、弁護士と面会した。

自身も被害者であり殺害されたロバートの父親ボビーはジョンソンの処刑に立ち会った。

ジョンソンは処刑前、通常行われる検死を受けたくないと表明していた為、処刑後の検死は延期された (その後、裁判の末検死は行われない事で意見が一致した) 。

その後、ジョンソンはテネシー州において、州が薬物注射による死刑執行に必要な薬物を入手出来なかった為、長らく最後に死刑執行された人物であり続けた。

しかし、2018年8月9日、ビリー・レイ・アイリックに死刑が執行された事により、ジョンソン後の9年間の死刑執行停止に終止符が打たれている (その後は2025年まで定期的に死刑が執行されている) 。

ジョンソンの死刑執行は1976年にアメリカで死刑が復活して以降、アメリカ全体の1185人目であり、テネシー州としては6人目であった。

また、2009年ではアメリカ全体の49人目であり、テネシー州としては2人目であった。



《殺人数》
4人 (他負傷者2人)

《犯行期間》
1980年7月5日、1985年7月8日



∽ 総評 ∽

ジョンソンは幼少期の様子がほとんどなく、どのようにして犯罪に至ったか詳細がなくわからない。

中学生の時に学生生活をドロップアウトしているので、兄弟の多さからまともな家庭環境ではなかったと思われる。

処刑されたのは良い事だが、アメリカ恒例のぐだぐだ控訴や恩赦などやってないでさっさと執行してもらいたいものである。

ジョンソンの唯一の功績は、シリアルキラーを殴り殺した事であり、その点に於いては拍手を送りたい。

あと、この記事を作るにあたってウィリアムズの記事を読み返したが、あまりにたんぱくで短く薄い内容だったので今度作り直したいと思います。