
レイ・シムズ (アメリカ)
【 1935 〜 】
レイ・デル・シムズは、1935年、アメリカ・オクラホマ州で生まれた。
シムズの経歴についてはほとんど知られておらず、兄弟姉妹が多い家庭だった事はわかっている。
1965年7月、シムズはイーストオークランドで強盗し、70歳の住人を強姦した。
逮捕されたシムズは有罪判決となり刑務所に収監された。
1970年代初頭、釈放されたシムズはフレズノに移り、そごでフライドチキンの調理師として働き始めた。
また、キャロライン・ターナーと結婚し娘も生まれた。
後にターナーはシムズが性欲が強く、性行為を頻繁に強要し、また、行為中に首を絞めたりと暴力的な行為に及んだと述べている。
1977年5月18日、ジャネット・ハースタイン (17歳♀) の遺体が、USBR (アメリカ合衆国開拓局) の職員によって、カリフォルニア州メンドータの運河近くで発見された。
遺体の裂傷から強姦された後、紐で絞殺された事がわかった。
ハースタインはセオドア・ルーズベルト高校の生徒で、学校に通う傍ら、新聞配達員としても働いていた。
遺体が見つかる2日前に母親から行方不明届けが出されていた。
警察は捜査の中で、容疑者として家の所有者の1人であるデビッド・マクガウンをハースタインが生きている姿を最後に見た人物として特定する。
警察はマクガウンを逮捕し、尋問を行うが、マクガウンは殺害を否認し、一切関係ないと主張した。
だが、後にマクガウンは本名ではなく、シムズの偽名である事が判明する。
シムズは起訴され裁判にかけられる。
その後、シムズはハースタイン殺害で有罪判決となり、仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。
シムズはサン・クエンティン州立刑務所に収監された。
1996年、未解決事件の捜査を行なっていた警察が、シムズから血液のサンプルを採取する。
1997年、とある女性の遺体からシムズのDNAが発見される。
捜査官によると犯人の遺伝子型プロファイルとシムズの遺伝子型プロファイルが一致した。
2001年11月、別の被害者の指輪の下から発見された男性の毛髪のDNA鑑定が行われ、その結果、シムズが関与している事が判明した。
判明した犯罪は以下の通り。
最初の犯行は1974年8月22日、強姦され殺害されたキャシー・スターク (17歳♀) で、続いて同年11月9日にエリザベス・アン・オルテガ (15歳♀) が強姦され殺害された。
オルテガの下着からは精液が見つかり、オルテガはシムズの妻の友人であり、当時、何度か家を訪れていた。
次の殺人は1975年11月14日、ロビン・マッカラー (18歳♀) で、強姦され殺害されていた。
そして、1976年6月9日にエヴァ・エルナンデス・ルシオ (15歳♀) の遺体が地元のブドウ園で発見された。
全員、シムズと同じ地域に住んでおり、死因は絞殺であった。
2001年12月、シムズはサン・クエンティン州立刑務所からフレズノ郡刑務所に移送され、数日後、4件の殺人と2件の強姦の罪で起訴された。
しかし、シムズは全ての容疑について無罪を主張した。
2008年9月、シムズはオルテガ殺人で有罪判決を受け、翌月、ハースタインに続き2度目の終身刑が言い渡された。
判決を言い渡されたシムズは、何の感情も示さなかった。
全ての殺人事件は死刑が全国的に一時停止されていた期間に行われた為、死刑を求める事は出来ないと判断された。
他の殺人事件の判決については、すでにシムズには仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡されていた為、フレズノ郡地方検事局は最終的に残りの事件の告訴を取り下げた。
裁判後、シムズは再びサン・クエンティン州立刑務所に移送され現在に至っている。
シムズによる犯行は5件だが、当局はもっと多いのではと考えており、現在も捜査を続けている。
《殺人数》
5人 (もっと多い可能性が高い)
《犯行期間》
1974年8月22日〜1977年5月18日
∽ 総評 ∽
10代の少女ばかりを襲い強姦して殺害したシムズ。
犯行時、シムズ本人は40を越えており、いい年こいたおっさんが10代の少女を標的にするというまさに鬼畜の犯行である。
シムズは逮捕時は1人の殺害のみであったが、DNA鑑定の発展と共に後々少なくとも他に4人を殺害した事が判明した。
1972年から1976年の4年間、アメリカでは全国で死刑が廃止された。
現在、アメリカでは多くの州で死刑が廃止され、死刑を維持している州の方が少ないくらいだが、それでも全国で廃止されているわけではなく、死刑が一切廃止されたのは300年近い歴史の中でこの4年間だけである。
その4年間に行なわれた犯行だからという理由でシムズは死刑を免れた。
ただ、仮にシムズが死刑となっても結局執行されない可能性が高かった。
シムズが判決を下されたカリフォルニア州は、アメリカで死刑が復活した1976年以降、2024年までの約50年間でたった13人にしか死刑を執行していない。
死刑判決が下された人数も少ないのならわかるが、カリフォルニア州では2024年まで実に996人に死刑判決が下されている。
それなのに執行したのはたったの13人である。
判決の数に対する執行数の少なさとしては全米でも屈指であった(500人以上死刑判決が下されている州としては最少)。
シムズは逮捕後、サン・クエンティン州立刑務所に収容されたが、ここは著名な殺人鬼を多く収容していた刑務所として有名であった。
『スコアカード・キラー』や『南カリフォルニアの絞殺魔』、または『フリーウェイ・キラー』と呼ばれ、1972から1983年にかけて最低16人 (67人殺害した可能性あり) の若い男性ばかり殺害したランディ・クラフトは1983年から現在まで同刑務所に収容されていた。
また、かのチャールズ・マンソンも1969年に同刑務所に収容後、1989年に別の刑務所に移送されるまで収監され、『ナイト・ストーカー』と呼ばれ1984年から1985年に13人を殺害したリチャード・ラミレスも逮捕された1985年から死亡する2013年まで収容されていた。
クラフト同様『フリーウェイ・キラー』と呼ばれ、1979年から1980年に21人 (36人とも) を殺害したウィリアム・ボーニンも死刑が執行される1996年まで同刑務所に収監された。
シムズは前述した著名なシリアルキラーたちと同刑務所で一緒に時期を過ごしており、交流があったのか他のシリアルキラー達をどう思っていたのか、個人的に非常に気になるところである。
コメント
コメント一覧 (6)
しかもスペックやレベルもね。
しかし、総評で言及しているかのマンソンやボーニンなどといったあまたいた巨星のかげに隠れてるゆえ知名度はそんなになんだよな。
犯行当時すでに四十代(よそじ)のじじいだった遅咲きで殺害相手は若い女の子ばかり。
この時点でくそったれ加減たっぷりだな。(ボーニン、クラフトは若い男の子ばっかり狙って殺した強姦殺人鬼)(マンソンは手下に命令して妊婦さんを殺害)
なのに連邦法で死刑がない時代という理由で延命し御年90歳の老人(現在もご存命)。
早く死ねよとおもいましたね。
典型的な隠れてしまったパターンだと思います。
マンソンやラミレス、ボーニンは知っててもこの鬼畜を知ってる人はほとんどいないと思います。
こういう奴に限って長生きなんですよね〜それが腹立たしいです。
確かにそんなレベルですね。
兵庫たつの市の母娘殺害事件の容疑者とされる指名手配の男が亡くなっていたことを確認しました。
指名手配の男は5月中旬に母親の乙A・F美さん(享年74)と娘の乙B・F子さん(享年52)を殺害した容疑で指名手配されていました。
死因は水死とされています。
指名手配の男、通報されて職質を受けそのまま母娘殺害で事情聴取を受けてましたが、殺しの自供や自白はイカレたアホの妄言としてまともに話も聞かずに事件性がないという判断で聴取をぶっ止めてパトカーでわざわざ逃がしたそうです。
その後指名手配はされましたが、手配されてる時にはもう死んでた可能性も濃厚だったそう。
水死体が指名手配の男と断定できたのは6月4日で、かなり腐敗が進んでいたみたいです。
かのサカキバラや集団リンチなどの残忍な事件でもポカをぶっこきまくって問題になってましたが、ズルもポカもいっぱいと悪名高き県警がまたポカかよとおもいましたね。
ポカしなければ逮捕できたとおもうと残念でならんな。
警察が見逃すという失態を犯してどうなるかと思いましたが、自殺してくれて本当に良かったです。