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セルソ・アラスティア (アルゼンチン)
【 1950 〜  】



セルソ・ルイス・アラスティアは、1950年、アルゼンチン・ブエノスアイレス州マル・デル・プラタで生まれた。


1987年から1988年にかけて、マル・デル・プラタで5人の女性 (そのうち4人は売春婦) が強姦され殺害される事件が起こる。

5人は1987年10月17日に殺害されたアナ・マリア・パロミノ (16歳。唯一売春婦ではなかった) 、1988年初頭に殺害されたモニカ・スサナ・プティ・ド・ミュラ (年齢不詳) 、同年5月に殺害されたネリダ・メイベル・キンタナ (53歳) 、同月に殺害されたマルガリータ・イネス・ロペス (19歳) 、同年6月に殺害された身元不明の女性であった。

マル・デル・プラタ全域で強姦殺人が相次ぐ中、ロペスがモーテルで強姦され自身のパンティーで絞殺された事で警察は顔写真を特定する。

しかし、犯人逮捕には至らなかった。


1988年9月、アラスティアの妻が度重なる脅迫や暴行といった家庭内暴力に耐えきれなくなり、警察に通報した事でアラスティアは逮捕された。

妻は警察の尋問に対し、5人の女性を殺害したと以前夫に告げられたと告白した。

妻の条件によりアラスティアは警察に問い詰められるが、全ての犯罪を否定した。

だが、アラスティアは連続殺人の容疑で裁判にかけられた。

すると、証人が出廷した事で裁判の流れが変わる。

証人の男性は、1987年10月、恋人と夜中に散歩していたところ、突如武装した男に襲われ、2人とも拉致され近くの車に連れ込まれた。

男は人里離れた場所に車を走らせ、男性を車から引きずり降ろすと男性を撃って車で立ち去った。

男性は奇跡的に一命を取り留めたが、恋人の少女は翌日強姦され殺害されていたのが発見された。

それがパロミノであった。


1989年、マル・デル・プラタ連邦裁判所はアラスティアに対し、パロミノとロペス殺害で有罪判決としたが、その他3人の殺害では証拠不十分により無罪となった。

アラスティアには懲役23年が言い渡された。


2003年、アラスティアは刑期を終え釈放された。

釈放されたアラスティアは現在まで依然として犯行を否認している。

現在 (生きていれば) 、75歳くらいになるアラスティアだが、未解決事件である『経路の狂人』の犯人ではないかと言われている。



《殺人数》
5人 (未解決事件の犯人の可能性あり)

《犯行期間》
1987年10月17日〜1988年6月



∽ 総評 ∽

女性5人を強姦して殺害したアラスティア。

そんなアラスティアは釈放後も無実を訴えている。

釈放後のアラスティアについては詳細がなくわからないが、どんな生活を送っているのだろうか。

『経路の狂人』は1995年〜1999年に売春婦を最低でも5人、最大で14人殺害したとされる謎のシリアルキラーであるが、犯行の類似性から現地ではアラスティアを真の犯人とする意見が根強い。

ただ、その期間、アラスティアは懲役25年が言い渡され刑務所にいるはずなので犯行に及びようがない。

普通に考えたら誰でも理解出来るようなものだが、それでもアラスティアを犯人とする何か理由があるのだろうか。