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ウィリアム・モルヴァ (アメリカ)
【 1982 〜 2017 】



ウィリアム・チャールズ・モルヴァは、1982年2月9日、アメリカ・バージニア州ミッドロジアンで生まれた。

一家はブラックスバーグに移住し、父親チャールズはブラックスバーグ高校で教員として働いた。

その後、チャールズは地元のコーヒショップでバリスタとして働いた。

モルヴァと高校時代に同級生であったクリスティーナ・ガードナーは、モルヴァが父親との関係に問題を抱えていたと後に証言している。


2000年、モルヴァは高校を中退し、その後、バージニア工科大学のコミュニティに参加した。


2004年4月、父親のチャールズが癌で死亡する。

友人たちによるとモルヴァは父親の死を受け止められず、以降、言動が悪化していったという。

モルヴァは浮浪者のように外を彷徨う生活を送るようになり、サバイバリストを自称した。

モルヴァは常に靴を履かず、生肉、ベリー、松ぼっくりしか食べず、ブラックスバーグ周辺の森で夜を過ごした。

モルヴァを知る周囲の人々はその精神状態に疑問を抱き始めた。


2005年8月18日、モルヴァともう1人の若い男性が、マスクを着用し武装してブラックスバーグにある食料品店に赴いた。

しかし、店は閉店し鍵が掛かっていたので諦めて立ち去った。

だが、店員が店内におり、怪しい人物がいると警察に通報した。

ブラックスバーグ警察はその日の夜遅くにモルヴァを武装強盗未遂の容疑で逮捕した。


2006年8月20日、裁判を待つ拘置所に収監されていたモルヴァは、足首と手首の捻挫でモンゴメリー地域病院に搬送された。

モルヴァは病院のトイレを使用した後、金属製のトイレットペーパーの容器を使って待機していたラッセル保安官代理を殴り倒し、意識を失わせた。

モルヴァはラッセルの銃を奪い、駆けつけた病院警備員デリック・マクファーランド (32歳♂) を撃った。

撃たれた際はまだ息があったマクファーランドだったが、後に傷がもとで死亡した。


翌日の21日早朝、モルヴァはバージニア工科大学のキャンパス近くのハックルベリー・トレイルで、モンゴメリー郡保安官代理のエリック・サトフィン (40歳♂) を射殺する。

警察はモルヴァの捜索を始め、バージニア工科大学は授業を中止しキャンパスを閉鎖した。

同日午後3時30分頃、モルヴァは上半身裸、靴も脱いでいる状態で逮捕された。

逮捕された際、モルヴァはサトフィンを射殺した場所から約150ヤード (約140m) 離れた茨の茂みに隠れていた。


同年8月29日、モルヴァはマクファーランドとサトフィン殺害で起訴された。

検察側はモルヴァに対して死刑を求刑した。

モルヴァの弁護人は、モンゴメリー郡では公平な陪審員を選任する事は不可能だと裁判場所の変更を求めた。


2007年9月17日、モルヴァはモンゴメリー郡で殺人罪3件 (実際の殺人は2件だが、バージニア州では3年未満で2人を殺害すると3件扱いとなり死刑となる) と殺人未遂罪1件の審理が行われた。


同年9月20日、レイ・グラブス判事は陪審員選考手続きにおいて45人の陪審員候補者が正当な理由により解任された後、モンゴメリー郡での裁判は開催できないと判断した。


2008年3月13日、バージニア州アビンドンの裁判所で、モルヴァには死刑が言い渡された。


2009年6月、モルヴァはバージニア州最高裁判所に控訴した。


同年9月18日、バージニア州最高裁判所は5対2の決定でモルヴァの死刑判決を支持した。

バージニア州最高裁判所は、陪審が仮釈放なしの終身刑を宣告した場合、モルヴァが看守や他の囚人に危害を加えるかどうかについて専門家の証言を提出する事を認めるべきだったという弁護側の主張を却下した。


2010年10月、アメリカ最高裁判所はモルヴァの上訴を棄却した。


2013年4月12日、バージニア州最高裁判所は、モルヴァが死刑相当の殺人罪で有罪判決を受けた事に対する人身保護令状の請求を却下する命令を公表し、同年4月18日に言い渡した。


2015年4月15日、アメリカ地方裁判所のマイケル・アーバンスキー判事は、モルヴァの連邦控訴を棄却した。


2016年5月5日、連邦控訴裁判所はモルヴァの新たな控訴を棄却した。


2017年5月9日、モルヴァの死刑執行日を同年7月6日に設定された。


同年6月20日、モルヴァの弁護士はバージニア州知事テリー・マコーリフに恩赦の請願書を提出した。

弁護士は知事に対しモルヴァの刑期を死刑から仮釈放なしの終身刑に減刑し、抗精神病薬による治療を開始する事を求めた。


同年6月27日、NAMI (全米精神疾患同盟) はマコーリフ知事に書簡を送り、明らかに精神疾患を患っている男性に死刑を執行してはならないと中止するよう求めた。

NAMIはモルヴァが長年精神疾患と診断されていたにもかかわらず誤診があったこと、陪審員がモルヴァの妄想が犯罪に繋がったという事実を聞き入れなかった事を強調した。

また、ABA (アメリカ法曹協会) もモルヴァの妄想に関する証拠を徹底的に調査するよう求めた。


同年6月29日、モルヴァの支援団体がマコーリフ知事事務所に3万1000人以上の署名を提出した。


同年7月3日、バージニア州マーク・レヴィン議員は、陪審員には死刑判決を下す際、真実を全て知る権利があると強調し、他の27人のバージニア州民主党議員と共にマコーリフ知事に対しモルヴァへの恩赦を与えるよう要請した。

モルヴァに市民権を与えたハンガリーと欧州連合の代表は、マコーリフ知事と面会し処刑を中止するよう求めた。

だが、数々の恩赦や執行停止の請願が行われたがマコーリフ知事は死刑執行を支持した。

モルヴァの弁護士は知事の死刑執行の決定について声明を発表し、
「私たちは恩赦を求める闘いには敗れたが、重度の精神疾患を抱える人々が適切な評価と治療を受けられるよう改善する事で将来の悲劇を回避できると期待している」
と述べた。


同年7月6日午後9時15分、モルヴァに致死量の注射による死刑が執行された。

享年35歳。

バージニア州は2021年3月24日に死刑を廃止しているが (死刑判決自体は1976年にアメリカで死刑が復活して以降、2012年まで151人に下されている) 、モルヴァへの死刑執行以降、執行されておらず、現在、モルヴァがバージニア州における最後に執行された人物となっている (2017年は他1人にも死刑が執行されているがモルヴァより前に執行されている) 。

余談だがモルヴァの弟マイケルは、兄の逃亡を共謀した罪で起訴された。

マイケルは否認したが、2010年8月3日に有罪判決を受け懲役3年が言い渡されている。



《殺人数》
2人

《犯行期間》
2006年8月20日〜21日



∽ 総評 ∽

モルヴァが精神異常になったのは家庭環境だと思われるが、そこまで破綻していたとは思えない (もしかしたら詳細がないだけで虐待などあったのかもしれないが) 。

そんな破綻した精神異常の殺人鬼に、死刑反対、恩赦や嘆願が何年にも渡って行われた。

もはや恒例行事といえるが、そのおかげで執行まで10年を費やす事となった。

いつも同じような事例を掲載しているが、いい加減何とかならないものかと思う。

控訴や上訴、恩赦や請願等、犯罪者だけが得するだけで、被害者や遺族等には何も出来ない。

以前から何度も言っているが、控訴等にはリスクを伴わせないと不平等極まりない制度としかいえない。

数々の団体や組織、政治家たちが恩赦や嘆願を請求したにもかかわらず、知事は死刑を強行した。

日本であればバッシングや誹謗中傷で心が折れ、間違いなく執行を取り止めただろう (ただしモルヴァへの執行以降、他の死刑囚を執行していない為、多少影響を受けていたと思われるが) 。

知事の発言権や決定権が非常に強く尊重されているのがとても素晴らしいと思う。