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ドナルド・ディルベック (アメリカ)
【 1963 〜 2023 】



ドナルド・デイビッド・ディルベックは、1963年5月24日、アメリカ・テキサス州エルパソで生まれた。

ディルベックの母親はアルコール依存症で、ディルベックが6歳の時、父親は家族を捨てて家を出た。

ディルベックは15歳になるまでいくつかの里親の家に預けられた。


1979年4月11日、高校を中退して家出したディルベックは、フロリダ州フォートマイヤーズビーチの封鎖された公園で盗難車の車内にいた。

目撃者が不審者がいると通報した為、リー郡の保安官ドワイト・リン・ホール (31歳♂) が現場に到着し、ホールはディルベックに尋問した。

すると、ディルベックが車から逃走した為、ホールは追い掛けてディルベックを捕まえた。

その後、2人はもみ合いとなり、ディルベックはホールの銃を奪い、撃って射殺した。

ディルベックはすぐに逮捕され、殺人罪で起訴される。


同年6月6日、犯行時、ディルベックはまだ15歳であったが終身刑が言い渡された。


1983年2月7日、ディルベックは脱獄しすぐに逮捕された。

この脱獄によりディルベックは懲役1年が追加された。

その後、ディルベックは警備の低い施設に収容されるが、1984年に暴行未遂、1985年には飲酒を行い処分を受けた。


1990年6月22日、ディルベックはクインシー職業訓練センターで他の受刑者たちとケータリングの仕事をしていた。

しかし、隙を見て逃走を図り、タラハシーへ向かいそこでペアリングナイフを盗んだ。


同年6月24日、ディルベックはタラハシーモールの駐車場で、ロビー・フェイ・ヴァン (44歳♀)が乗る車に近づいた。

ディルベックは盗んだナイフで脅しカージャックしようとしたが、ヴァンが激しく抵抗した。

ディルベックはナイフでヴァンを何度も刺して殺害した。

ディルベックは異常に気付いた警備員に追われ、走って逃走した。

警備員はすぐに911に通報し、ディルベックは間もなくモール近くの庭でナイフを持った状態で逮捕された。

ディルベック弁護士は、罪を認める代わりに電気椅子による死刑を回避しようとした。


1991年3月15日、ディルベックは第一級殺人、武装強盗、窃盗の罪で有罪判決となり、死刑が言い渡された。

判決を言い渡されたディルベックは、裁判官に

「起こった事は本当に申し訳なく思っています。こんな事は起こって欲しくなかった。私は死刑ではなく終身刑を望んでいますが、それは私自身の為ではなく両親の為です」

と話した。

両親はディルベックが虐待を受け、その事で脳に損傷を受けたと述べている。


2023年1月23日、フロリダ州知事ロン・デサンティスは、ディルベックの死刑執行令状に署名し、執行日を同年2月23日に設定した。


同年2月23日、ディルベックには致死量の注射による死刑が執行された。

享年59歳。

ディルベックの最後の言葉は知事であるデサンティスへの怒りであった。

ディルベックは、

「若い頃、人を傷つけた事は認識している。本当に酷い事をした。しかしデサンティスはもっと酷い事をしてきた。彼は多くの人々から多くのものを奪ってきた。私は全ての男性、女性、子供たちを代表して発言する。彼は私たちの首に足を踏みつけた。彼のような人間は私たちの陰茎でもしゃぶっていればいい」

であった。

ディルベックの死刑執行は、フロリダ州としては2019年、ゲイリー・レイ・ボウルズ (以前掲載) 以来、4年振りの執行であり、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、ちょうど100人目であった。



《殺人数》
2人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1979年4月11日、1990年6月24日



∽ 総評 ∽

ディルベックの最初の犯行はわずか15歳という若さであった。

いくら警察官ともみ合いになったといっても銃を奪い躊躇なく引き金を引ける異常性は天性のものといえる。

ディルベックは最後、死刑執行に署名した知事に対して怒りの言葉を述べたが言える立場ではない。

確かに生い立ちや家庭環境には同情の余地はある、だからといって犯罪を行っていい理由にはならないし、被害者からすれば加害者の人生など知った事ではない。

結局、凶悪な犯罪を行ったのは自身であり、それには何の疑問の余地はない。

何にせよ処刑されて良かったと思う。