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ホセ・コンチャ (チリ)
【 1934 〜 ? 】



ホセ・ミサエル・ロルダン・コンチャは、1934年6月30日、チリ・ロスリオス州マフィルで生まれた。

コンチャは14人兄弟の10番目で、家は非常に貧しかった。

コンチャは13歳で学校を中退後、農業や炭鉱で働き始めた。

成人したコンチャは身長170cm、体重80kgで、当時としてはがっしりとした体型で目立っていたが寡黙な性格であった。


1954年、炭鉱で働いていたコンチャは、上司と給料をめぐって口論となり解雇されてしまう。

その際に上司にランプで殴られたコンチャは、仕返しに木の棒で上司の頭を思いっ切り殴り撲殺した。

上司殺害後、コンチャはアルゼンチンに逃亡を企てたが、最終的に姉の説得で警察に出頭した。

コンチャは懲役5年を言い渡され、ビクトリア刑務所に収監された。

刑務所でのコンチャは模範的な囚人と評価され、わずか1年の刑期を終えると保護観察処分となり釈放された。


1957年6月7日、コンチャはマフィル・ププナウエ地区にあるロス・コピウエス炭鉱のキャンプで両親及び数人の兄弟たちと夕食を摂った。

酷く泥酔状態となったコンチャは喉が渇いた為、隣人であり同僚のクストディオ・ゴメス・チャコンの妻であるローラ・ディアスの店に果物を買いに行った。

店に向かう途中、コンチャは鉄の棒を拾い、ローラが注文されたオレンジを持って来ると、コンチャは突然鉄の棒でローラに殴りかかった。

その後、ローラの子供たち7人に無差別に次々と殴りかかり、その内5人 (1歳から14歳) を殺害した (11歳の娘ノラは全ての歯を折られる重傷) 。

コンチャはローラ殺害後、死姦を行い、証拠隠滅の為にマットレスに火を付け近くの森へ逃走した。

事件後、コンチャが殺害したと思っていたノラが目を覚まし、燃えていた火を消して地元警察に通報した。

警察は一晩中コンチャを捜索し逮捕した。

コンチャは殺人自体は認めたが、動機や死姦については自白を拒否した。

ただ、アルコール依存症であった為、それが原因の1つであると認め、また、ローラが下着を付けていなかったを見て興奮し、衝動に駆られたと語った。

事件が公になると地元住民は激怒し死刑を要求した。

裁判でコンチャには死刑が言い渡され、最高裁判所も死刑を支持した。

しかし、当時のチリ大統領カルロス・イバニェス・デル・カンポが判決に介入し、最終的にコンチャに恩赦を与え終身刑に減刑された。

その後のコンチャについて詳細は不明で、現在も生存しているのか、いつ死亡したのかもわかっていない。



《殺人数》
7人 (他1人重傷)

《犯行期間》
1954年〜1957年6月7日



∽ 総評 ∽

『The Jackal of Pupunahue (ププナウエのジャッカル) 』と呼ばれ、一家6人を含む7人を殺害したコンチャ。

古い時代の犯罪であり、しかもチリという国柄か色々詳細が少ない。

死刑から恩赦で終身刑となった後、刑務所で死亡したのか生きているのか、それすらも不明である。

一応、生きていれば現在91歳なので、必ずしも死んでいるとは限らないがほぼ死亡していると考えていいだろう。

何が驚きかというと最初の殺人がたった懲役5年で、しかも模範囚を理由にわずか1年足らずで釈放された事だ。

先に殴られたから正当防衛が成立したのか、殺人の内容で同情されたのか理由がわからないがこれでは殺された側も浮かばれない。

また、世論によりせっかく死刑になったのを大統領命令で終身刑にしたのが理解出来ない。

1歳から14歳の子供5人を残虐に殺した鬼畜である。

こんな鬼畜を恩赦にする必要があるのか (まあ支持率や立場など政治的な理由が複雑に関係しているのかもしれないが) 。