
ハーベイ・マルセリン (アメリカ)
【 1938 〜 】
ハーベイ・A・マルセリンは、1938年5月21日、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク・ハーレムで生まれた。
父親は配達員、母親は裁縫師であり、マルセリンは1人息子であった。
家庭は比較的安定していたが、1人息子であったマルセリンは両親に甘やかされて育った。
10歳の時、父親が亡くなり、母親に育てられたマルセリンはハーレムにあるカトリック教会が運営するカトリック学校に通った。
しかし、中性的であったマルセリンは、修道女たちによって性的虐待を受け、鞭で打たれ、期限切れの食べ物を無理矢理食べさせられた (とマルセリン本人が後に語っている) 。
その為、精神的に多くの問題を抱えるようになりおかしな行動をとるようになると、10代に入り性的にも逸脱していった (後にトランスジェンダーを自称するがこの時の影響とされる) 。
1951年、マルセリンはハロウィンパーティーで始めて女装し、この時から性的違和感に悩まされる。
そして、初めて男性と性行為に及んだが、この頃からマルセリンの精神状態は急速に悪化していく。
1952年、マルセリンは8歳の少女に性的暴行未遂で告発された。
その後、マルセリンはカトリック慈善団体の委託を受けて精神病院に入院し検査を受けた。
医療報告書によると、マルセリンは頻繁に窃盗を犯し、定期的に男女問わず性行為に及んでいたという。
退院後、マルセリンは復学し1956年に卒業するが、まともな生活を送ることはなくすぐに犯罪生活に戻った。
1957年、マルセリンは窃盗罪で起訴され、有罪判決を受けた後、郡刑務所に数ヶ月間服役した。
釈放後、マルセリンは1950年代後半から1963年まで母親と暮らし、コピー機のオペレーターとして働いた。
その後、マルセリンは何度も拘束され、その度に精神科医たちが診察するが、実際どのような症状に苦しんでいるのか結論を出す事が出来なかった。
1962年4月9日、マルセリンは自発的にベルビュー病院で治療を受け、同月16日まで入院した。
この間に行われた検査で、マルセリンは慢性的な統合失調症、妄想癖、偏執的人格障害の兆候が示されると判明した。
退院後、間もなくマルセリンはフローレンス・ジャクソンという女性と結婚するが、2人の関係はすぐに破綻し、マルセリンは他の女性と頻繁に浮気した。
その中でマルセリンはジャクリーン・ボンズと出会いすぐに親密な関係となった。
しかし、ボンズはすぐにマルセリンの攻撃的な性格を嫌になり最終的に関係は終わったものの、マルセリンはボンズにストーカー行為や嫌がらせを始めた。
1963年3月、マルセリンは新しい恋人のクレメンタイン・ベニフィールドと共に強姦未遂、暴行、窃盗等の容疑で逮捕された。
逮捕されたマルセリンは犯行当時ボンズも一緒にいたと主張する。
ボンズはすぐに拘留されるが、ボンズはその場にはいたものの、犯罪にはほとんど関与していない事がわかり、検察はボンズに司法取引を持ち掛けた。
ボンズはマルセリンに対して不利な証言をする代わりに起訴免除となった。
捜査はまだ続いていたが、マルセリンの母親が保釈金を支払い釈放された。
同年4月18日、マルセリンはマンハッタン8番街2216番地にあるボンズのアパートに行き、廊下でボンズと口論となった。
怒りが頂点に達したマルセリンは、32口径のリボルバーを取り出すとボンズを撃った。
驚いたボンズは寝室に逃げ込んだがそこで更に2発撃たれた。
被弾によりよろめいたボンズはリビングルームに倒れ込み、銃弾の傷がもとで死亡した。
間もなくマルセリンは逮捕され、精神鑑定を受ける為にベルビュー病院に搬送された。
診察した精神科医はマルセリンが社会病質的な特性を伴う統合失調型人格障害を患っているものの、裁判には十分耐えられると判断された。
同年11月18日、裁判でマルセリンは殺人で有罪となり、仮釈放の可能性がある終身刑が言い渡された (陪審員が死刑判決を支持しなかったため) 。
ボンズ殺害の犯行動機を尋ねられたマルセリンは、ボンズが美人で人気があり、他の男性と一緒にいる事が許せなかった嫉妬によるものだと主張した。
判決後、マルセリンはニューヨーク州内の様々な刑務所に移送された。
1971年9月9日、アッティカ刑務所で暴動が発生し、マルセリンも暴動に参加した。
この暴動は凶悪な囚人による身勝手な暴動とは異なり、環境改善を目的とするものであった為、アメリカ全土を巻き込み全国的な抗議を引き起こした。
警察が力によって暴動を鎮圧するが、その後もメディアの注目を集めた。
暴動終結後、マルセリンを含む多くの囚人が他の刑務所に移送された。
同年11月、マルセリンは記者のインタビューを受け、暴動参加者たちが移送先の刑務所で刑務官から暴力などのいじめを受けていたと述べた。
マルセリンは長年に渡って仮釈放申請を行っていたが、女性に対する攻撃的な態度や病院のボランティアに不適切な手紙を送りつけていた為、申請はその都度却下された。
1984年5月、21年以上刑期を務めたマルセリンは、終身保護観察付きの仮釈放が認められ、釈放された。
釈放後、マルセリンはニューヨークに戻るが、仕事を見つけるのが難しく、経済的に困難を極めた。
マルセリンは売春婦やポン引き、アンコールや薬物依存のホームレスの人々と多くの時間を過ごした。
1985年初頭、マルセリンはヘロイン中毒者のアンナ・ローラ・セレラ・ミランダ (29歳♀) と出会い、すぐにミランダの下宿人兼ルームメイトとなり部屋に転がり込んだ。
同年10月29日、クラック・コカインを摂取したマルセリンはミランダと口論となった。
腹を立てたマルセリンはナイフを取り出すと、ミランダを何度も刺して殺害する。
その後、死体をバラバラにし黒いビニール袋に入れ、セントラルパークのあちこちにばら撒いた。
翌日の30日、隣人がマルセリンが血まみれのバッグを持っているのを目撃していた為、すぐにマルセリンは逮捕された。
尋問を受けたマルセリンはミランダ殺害を認めたが、正当防衛だったと主張した。
マルセリンはミランダが家賃の支払いを止め、マルセリンの所持品を盗んだ為、口論になったと話した。
マルセリンはミランダに対して攻撃的な態度を取った事などなく常に気にかけており、理由もなく何日も家を空ける事も多々あったと主張した。
だが、検死の結果、ミランダは合計33回も刺されていた事が判明し、怨恨や怒りによるものと判断された。
マルセリンは仮釈放を取り消され刑務所に戻された。
1986年、マルセリンはミランダ殺害で有罪判決となるが、犯罪は過失致死に軽減され、元々の終身刑に懲役12年が追加されただけだった。
また、マルセリンは仮釈放を申請する事を許可されていた為、1985年から2019年にかけて合計15回もの仮釈放申請を行った。
しかし、罪の重さと危険性からその都度申請は却下された。
1993年、オーバーン矯正施設に収監されていたマルセリンは、性転換者の囚人と出会い、ホルモン療法薬プレマリンの服用を開始するよう勧められ、マルセリンは性転換に専念するようになった。
2019年、マルセリンは高齢や更生プログラムの修了、コンピューターサイエンスとテクノロジーの大学院学位、釈放された場合に住居や仕事を提供すると約束した様々なボランティア団体からの手紙などを考慮され、仮釈放が認められた。
同年8月7日、マルセリンはボンズ殺害から約55年近く服役した後、81歳の時に2度目の仮釈放となった。
釈放後、マルセリンはニューヨークに戻った。
同年後半、マルセリンはLGBT向けのホームレスシェルターに住むレズビアン、スーザン・レイデン (68歳♀) と出会う。
マルセリンと出会った時のレイデンは精神疾患を患う薬物中毒者であったが、かつてはニュージャージー州フォートリーで宝石店を経営し成功させた起業家であった (本人の精神状態の悪化により2010年に店を閉めざるを得なかった) 。
知り合って間もなく、2人はシェルターで暮らし始め、互いに高齢であったが恋愛感情を抱くようになった。
数ヶ月後、マルセリンとレイデンはマンハッタンに住居を見つけ、生活保護の各種給付金で家賃を払い生活を始めた。
長い服役とすでに80歳を越えていたマルセリンだったが、真新しい社会生活にすぐに適応し、インターネットに精通するとFacebook等のSNSにアカウントを作成した。
また、マルセリンは活発で、外に出ては多くの女性と知り合い親密な関係を持つ事に努めた。
マルセリンは化粧をしたり様々な女性用ウィッグをつけた自身の写真をSNSに投稿した。
2022年2月下旬、マルセリンはレイデンを刺殺し、遺体をバラバラにするとニューヨーク市内の複数の場所に散乱し捨てた。
同年3月3日、通行人が2人の住むアパートから数ブロック離れたショッピングカートの中で、花のステッカーが貼られたカラフルな袋に包まれたレイデンの胴体を見つけた。
通行人はすぐに警察に通報し、胴体がレイデンだとわかると警察はすぐにマルセリンに事情聴取を行った。
翌日の4日、警察は更なる捜索でレイデンの切断された頭部、切断の際に使用された電動のこぎり、血まみれのシーツが発見された。
そして、それらの証拠によりマルセリンは正式に逮捕された。
警察は2人の住んでいたアパートの玄関を映していた防犯カメラの映像を確認し、レイデンが最後に生きて建物に入るのが2月27日である事が判明した。
以降、数日間、映像にはマルセリンの出入りしか映っておらず、逮捕されるまでレイデンのハンドバッグを持って旅行に出かけていた事もわかった。
また、3月1日にマルセリンが地元の金物店で電動のこぎり、ゴミ袋、清掃用品を購入していたのが店の防犯カメラに映し出されていた。
翌日の2日、食料品店の防犯カメラの映像に、マルセリンが (店の) 電動スクーターに乗っており、座席には切断された人間の脚らしきものが置かれていた。
同年3月30日、マルセリンは第二級殺人と死体隠匿の罪で起訴された。
起訴されたマルセリンだったが無罪を主張した。
動機についてはマルセリン自身が無実を主張しているため不明だが、警察はレイデンがマルセリンを恐れ関係を終わらせようとした事が原因ではないかと推測した。
逮捕後、マルセリンはライカーズ島でニューヨーク・ポスト紙の記者からインタビューを受け、自身のこれまでの経歴と事件について詳細を語った。
インタビューの中でマルセリンは、ボンズとミランダ殺害については認めたが、レイデン殺害については断固として拒否した。
マルセリンはアパートに出入りしていた知人女性の1人が犯人だと話し (事件前にマルセリンとレイデンが住むアパートに2人の女性が出入りしていた) 、2人の女性が自身に惹かれていた事によるレイデンへの嫉妬が動機だと話した。
また、レイデンを殺害しその罪で自身に着せようとしたと主張した。
マルセリンは自身が二重人格であり、一方の人格が定期的にもう一方の人格に置き換わると語った。
マルセリンは片方が女の人格で、穏やかで思いやりのあるレズビアン、もう片方が男の人格で女性蔑視や逸脱行為を働き、非常に攻撃的な悪者であると説明した。
2024年3月1日、レイデン殺害の裁判が始まり現在も進行中である。
《殺人数》
3人 (他犯罪多数)
《犯行期間》
1963年4月18日〜2022年2月27日
∽ 総評 ∽
マルセリンは自身をジェンダーであり二重人格と自称したが、正直そんな事は犯罪には一切関係ないし、それらが理由で減刑や無罪に決してなってはならない。
子供だろうが女性だろうがジェンダーだろうが高齢者だろうが犯罪には関係ない。
犯罪を犯せばその時点で犯罪者に過ぎない。
この鬼畜を見ればわかるが、生粋の犯罪者というのは年齢を重ねても体力が衰えるだけで犯罪癖というのは決してなくならない。
80を超えても尚、平然と殺人を犯し死体をバラバラにするのである。
正直、最初の殺人でさっさと死刑にして処刑していれば後の被害は全て防げた話である。
日本も2025年6月1日から懲役刑ではなく拘禁刑という名称になり、しかも囚人を番号ではなく名前で呼ぶようになったらしい。
これは犯罪者の社会復帰や人権を尊重しての事らしいが、いつと思うのだがなぜこんなにも犯罪者に気を遣わなければならないのか。
それなら安い給料でも納税して必死に生きている善良な国民をもっと優遇して欲しいものである。
コメント
コメント一覧 (7)
わいせつで1ぺんは訴えられている強姦魔で人殺しの凶悪性犯罪者。
最初のおつとめの時の態度もぜんぜん反省してないよね。
おつとめをストして改善うんぬんとおこがましくほざく面の皮一万枚張り。
あまりにやばい外道扱いで長年仮釈放は許可されなかったけど、2019年とうとうこいつの仮釈放を決定。
案の定人殺し。
この期間中の犯罪もこいつだけじゃないとおもいますね。
しゃばにいたのが非常にくやしいな。
訃報ですが、外道が2匹死んだそうです。
1匹目は豪外道のビーバン・エイネム受刑者。
彼は15歳の乙A・M男君などの少年や男性を殺害した性犯罪者の同性強姦殺人鬼でした。
2匹目はノルウェーので2014年11月14日付け掲載のアーンフィン・ネセット受刑者。
ビーバン・エイネムに関しては調べていただければ幸いです。
年齢や刑務所での生活が犯罪抑止にならない事の証明ですね。
ジェンダーとか性に関する事ってナイーブで突っ込みずらい所が多々ありますが犯罪とは何の関係もないです。
なかなかの鬼畜ですね。
今度調べてみます。
そうですね。
間違いないです。
犯罪者に気を遣っているのがよくわからないですよね。
正直軽犯罪なら更生の可能性もありますが凶悪犯罪ならまず不可能です。
近年発生した強盗殺人事件の犯人達が更生するなんて到底思えないですよ。