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劉 啓智 (リィゥ・チーヂー 中国)
【 1994 〜 2015 】



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付 振立 (フー・ヂェンリー 中国)
【 1995 〜  】



劉啓智は、1994年4月16日、中国・湖南省武岡市湾頭橋鎮八河村で生まれた。

名の「啓智」は両親が聡明な子供に育ち社会の役に立って欲しいという気持ちから付けた名前だった。

劉の家は決して裕福ではなかったが、両親は劉を溺愛し、劉が望むのものは何でも与えた。

そんな両親の気持ちとは裏腹に、甘やかされて育った劉の性格は身勝手で暴力的、粗暴であり、学校ではよく悪事を働いた。

劉が学校で喧嘩をした時、両親はただ遊んでいるだけだと庇い、また、盗みを働いた時は劉がまた若く未熟であるので仕方ない事であり、学校が大騒ぎし過ぎだと述べる始末であった。

また、劉の成績が悪化していくと、両親は学校の教師の質が悪いと学校側を非難した。

劉が高校入学を控える頃、両親は劉を武岡市で名門の模範的な私立の中学校に転校させた。

ここは年間の授業料と諸費用が約1万元 (約20万円) と、公立学校のほぼ倍の金額であった。

裕福ではなかった劉家だったが、両親は劉の為にと貯金のほぼ全てを劉の学費に投じた。

しかし、そんな両親の気持ちとは裏腹に、劉の成績は下降の一途をたどり、絶望的な状況に陥っていく。


2012年5月、劉は学校を中退する事となり、同年8月には夏期講習中に先生と口論となった。

劉は現金800元 (約1万6000円) を盗むと家出し、武岡市のインターネットカフェをうろつく日々を送った。

そんな中、劉は後の共犯者となる1歳下の付振立と出会う。

付もネットカフェで遊ぶ事を好んでおり、出会った2人は意気投合し、すぐに親友となった。


付振立は、1995年8月に生まれた。

「振立」とは「活力を与えキャリアを確立する」という意味で、両親が希望を願って付けた名前だった。

付の家庭環境は劉と似ており、貧しいながら両親に大切に甘やかされて育てられた。

付の家庭も劉の家庭同様学費の高い私立の学校に通わせ、劉と同じく2012年5月に学校を中退しインターネットカフェで暇を持て余していた。

何でも与えられ甘やかされて育った2人は欲しい物を手に入れるお金を欲し、常にその話題に耽った。

そして、今後、飲むこと、遊ぶことに困らない為にお金持ちになりたいと考える。

だが、学校を中退した2人には学や技能はなく、また、苦労や努力をして稼ぐ覚悟も皆無だった。

そこで付が

「外に出て何かしてやろう」

と提案し、更に

「君は長い間市内に滞在しているが、ターゲットは決まっているか?偉業を成し遂げる者は人を殺す勇気が必要だ。君にはその覚悟があるか?劉、お金がなければ惨めな乞食と同じだ」

と話し、劉も付の意見に大いに賛同し、お金持ちになるには殺して強盗するのが1番手っ取り早い方法という考えに行き着いた。

2人は犯罪を題材にした映画やテレビシリーズをよく観ており、それらから標的やタイミングを学び実行に移す事となる。


同年8月21日、付の提案で武岡市朝陽村の張家を訪ねると、家で休んでいた張夫妻を縛り上げた。

その間、2人は家の中を調べ、1000元 (約2万円) 以上の現金と携帯電話を発見したが少なす過ぎると感じ、棚からタバコ3カートンを盗んだ。

劉はそこで退散しようとするが、付が劉の腕を掴み、

「このまま見逃したら俺たちの事を通報するに違いない。警察に捕まるくらいなら殺して黙らせた方がマシだ。映画のセリフを忘れたか『死者だけが唯一口が堅い』だ」

と言うと、劉はナイフを取り出し、張夫妻を何度も刺して殺害した。

殺害後、張家にあったバイクに乗りその場を去った。

翌日、2人はバスに乗り広東省東莞市へ向かった。


同年8月23日早朝、2人は東莞市に到着し、盗んだ1000元をすぐに使い果たした。

大金持ちとは程遠い状態に2人はすぐに次の犯行を計画し、そして、前回の金額の少なさを反省した2人は富裕層をターゲットにしようと考える。

しかし、別荘地に侵入する事は出来ず、高級車を購入しようとしている人物も見つけられず、銀行にも入れなかったことなどから富裕層特定には至らなかった。

悩んだ末、2人は東莞市のような大都市で賃貸住宅を貸している大家は金持ちに違いないと考え、狙いを大家に定めた。

2人は夫妻で賃貸住宅を貸している呉夫妻に目をつける。


同年8月25日、東莞市万江区で部屋を借りる振りをしてまず夫妻の妻を呼び出し、縛り上げてクレジットカードを奪った。

その後、2人は妻を殺害し (暗証番号を教える事を拒否したからか、妻が戻らない事を心配した夫が通報する事を恐れたからか理由は不明) 、夫の呉仁和 (ウー・レンフェ) を呼び出した。

呉が部屋の中に入ると2人は呉を縛り上げた。

呉は部屋の中の荒れ具合とおびただしく飛び散った血痕を見て妻に何かあったと悟った。

2人は呉に金銭を要求し、呉は妻の安否を案じ銀行のカードとクレジットカードの暗証番号を教えた。

呉が嘘をついている可能性があるかもしれないと、1人が現金を引き出しに行き、暗証番号が正しい事を確認すると、口封じの為に呉を残忍に殺害した。

その後、2人は何もなかったかのように公共交通機関を利用して雲南省へ逃亡した。


同年8月27日、2人は雲南省昆明市に到着し、翌日の28日、バスで曲靖市富源県へ移動すると29日には富源県大河鎮へ逃走した。

29日正午、2人はターゲットを物色しながらぶらぶら歩いていると、唐という男性が目に付いた。

唐はおしゃれな服を着ており、身に付けている装飾品も高価な物であった。

午後1時頃、唐から漂う金持ちのオーラーを感じた2人は唐を尾行した。

大河鎮昌平村にある自宅に入った唐が家に1人だと確認すると、2人は家に押し入り唐を殺害した。

そして、家の中を物色した後、2人は富源県応上鎮へ車で向かった。

その日の夜、2人はそこそこ高そうなホテルを見つけると、ホテルのオーナーはお金を持っていると考える。

そして、そのホテルを調べるとオーナーが女性である事が判明し、2人はそのホテルにチェックインした。


翌日の30日午前9時頃、部屋で何かが壊れていると嘘をつき、オーナーの呉を部屋へ誘い込んだ。

そして、呉を殺害するのだが、呉は妊娠中でしかも2歳の娘を部屋に連れて来ていた。

呉が死んだ事でお腹の子も死亡し、2歳の娘は母親が殺されたのを見て泣き始めた。

うるさいと感じた2人はベッドから掛け布団を取り、それを少女の頭に被せると、数分後、少女は窒息死した。

母娘殺害後、2人は呉の部屋を物色し、現金1000元 (約2万円) と558元 (約1万円) 相当の携帯電話、200元 (約4000円) 相当の翡翠のペンダントを奪った。

しかし、ホテルを出ると、買い物から戻ってきた呉の義母と遭遇する。

義母は2人とすれ違う際、異様な雰囲気と血の匂いがした事で何か嫌な予感がし、急いで呉の部屋に向かうとそこで血まみれで死んでいる姿を発見する。

義母はすぐに警察に通報し、警察は捜査を開始した。

警察は義母から犯人の身体的特徴を聞き出し、ホテル周辺の施設も詳しく調べた。

すると、ホテル近くのインターネットカフェで容疑者のバッグを見つける。

バッグには靴が2足入っており、他にテレホンカードのレシートが見つかった。

捜査の結果、カードの持ち主が付と判明し、この手掛かりから警察は全国の住民情報を迅速に検索した。

そして、防犯カメラの映像と照合し、付振立が容疑者と特定された。

警察はパソコンの画面に表示された付の顔を呉の義母に見せると、義母はこの男で間違いないと述べた。

更に警察はホテルの近くの通りで捨てられた黒いビニール袋を発見し、中に血まみれの短剣2本を押収した。

遺伝子検査の結果、付着していた血痕が被害者の呉のものだと確認された。

湖南省、広東省、雲南省の警察は全国に働きかけ、協力して容疑者を追跡した。


同年9月6日、付が雲南省で逮捕された。


翌日の7日、劉も付が逮捕された近隣で逮捕された。

短剣の指紋情報に基づき、2人が犯人だと確認され、劉と付はそれぞれ犯行を自白した。

その短絡的な犯行理由と残忍さ、2人の若い年齢等が公になると、社会に衝撃を与えた。

逮捕された2人だが、付は逃走中に携帯電話でインターネットを閲覧し、友人たちに

「短期間で何人も殺してきた。多くの警察官は俺を捕まえる事が出来なかった。神様、どうか私を助けて下さい。俺はこれからも犯罪を犯し、人を殺し続けるだろう」

というメッセージを送り自身の犯罪を自慢していた事が判明した。

曲靖市中級人民法院で裁判が始まり、法廷に出廷した劉は頭を剃り、赤い犯罪者用ベストを羽織っていた。

裁判所は9日間に渡る犯行において付が犯行を率先し主導したと認めたが、犯行の残忍性と犯行の状況は極めて深刻であり、犯罪に差異はないと結論付けた。

結局、劉は強盗と故意殺人の罪で有罪判決となり、銃殺による死刑と終身政治的権利剥奪、及び全ての個人財産の没収を告げられた。

死刑を言い渡された劉は泣き崩れ、

「おじさん、死が怖い。怖いんだ…」

と呟いた。

裁判所は劉と付に遺族に対して合計25万元 (約500万円) の賠償金を支払うよう命じた。

ただ、付は犯行時17歳であった為、死刑を免れ終身刑となった (中国は犯行当時18歳未満の者、及び裁判時に妊娠中の女性には死刑が適用されない) 。

付も劉と同様、政治的権利を永久的に剥奪され、全ての私有財産を没収された。

劉は裁判官に命乞いするが拒否され、すぐに控訴した。

しかし、雲南省高級人民法院は二審で曲靖中級人民法院の一審判決を支持し、最高人民法院もこれを承認した。


2015年2月13日朝、劉の身元が確認されると、処刑場へ連行され銃殺による死刑が執行された。

享年20歳。

処刑される直前、劉は罪を償う為に死後、臓器を提供する意思を述べている。


最後に判決後、長考したのち、もう一度裁判官に懇願した劉の発言で終わりたいと思います。

「後悔しています。死にたくありません。腎臓、角膜、臓器、寄付できるものは寄付します。どうか生かして下さい!」



《殺人数》
7人 (他胎児1人)

《犯行期間》
2012年8月21日〜同年8月30日



∽ 総評 ∽

わずか9日間で7人を容赦なく殺害した劉と付。

しかも、2人はこの時18歳と17歳という若さであり、しかも2歳の年端もいかない女の子を容赦なく殺す残忍振りであった。

劉と付が両親から溺愛されて育ったのは前述したが、2人は甘やかされて育った子供を絵に描いたようにわがままで身勝手な性格に育った。

以前にも何度も言っているが、虐待されて育つのも危険だが、甘やかされて育つのも同じくらい危険である。

特に劉の両親レベルの甘やかされ具合なら尚更である。

ただ、これは決して劉と付の家だけの話ではない。

中国は現在でも男の子の価値が非常に高く、女の子の比ではない。

また、過去に行われていた一人っ子政策によって余計に男の子の存在価値が高くなり、1人男の子を寵愛、溺愛する親が沢山生まれてしまった。

大きく捉えると、この2人の存在は中国という国が生み出した愚かな結果ともいえる。

2人は楽に金持ちになる方法として躊躇なく強盗殺人を選択し、しかも短期間ですぐに実行する鬼畜振りであった。

浮浪者として異常者同士意気投合したが、付が劉をけしかけ犯行に及び、付が率先していた事を考えれば異常性は付の方が上であろう。

ただ、だからといって劉の罪が軽くなる事はない。

劉は死刑判決後、命乞いをしたが情けない犯罪者の典型である。

自分が手に掛けた被害者たちもおそらく同じように命乞いしたであろう。

それを己の欲望の為に無視して無残に殺しておいて、自分は死にたくないとかどれだけ身勝手極まりないことか。

劉は犯行時18歳であった為死刑であったが、付は17歳であった事から終身刑であった。

流石の中国も17歳未満への死刑は気が引けるのだろうが、それでも中国らしいと言える判決である。

死刑判決後、すぐに執行する中国であるが、劉の執行は判決後、執行まで2年を要した。

それでも他の国に比べれば十分早いが、流石に18歳への早期執行を躊躇った結果であろうか。

この2人の犯行を知った両親は一体何を思ったのか、直接聞いてみたいものである。