
アッリーゴ・カンデラ (イタリア)
【 1956 〜 2007 】
アッリーゴ・カンデラは、1956年、イタリア・バルディッセーロ・カナヴェーゼで生まれた。
カンデラの母親コンチータはフランス人で、第二次世界大戦の際、マウトハウゼン強制収容所で殺害されたパルチザンの娘であった。
父親リッカルド・チェケッティといいトラック運転手であったが、カンデラが生まれて間もなくコンチータと離婚した。
チェケッティは後にフランスでアルジェリア人女性と再婚し2人の息子をもうけるが、成長したアッリーゴとは連絡を取らず避けた。
カンデラは幼い頃から銃器や制服 (軍服) に強い関心を示し、森に潜んだりカモフラージュする事を趣味にしていた。
また、カンデラは戦争への情熱が強く、それらの事から『The Rambo of the Piedmont (ピエモンテのランボー) 』というあだ名で呼ばれた。
成人後、カンデラはイタリアの役人にはフランスで既に勤務していると主張し、フランスの役人にはイタリアで勤務していると言って徴兵を逃れていた。
最終的にカンデラは両国で脱走の罪で起訴されたが、管轄権が両国のどちらにあるかという混乱により捜査が遅れ、結局起訴される事はなかった。
こうした中、カンデラは警備員の仕事を見つけ、妻と共に故郷で暮らした。
しかし、すぐに自身の天職は強盗である事に気付き、地元の店舗から盗みを働き生計を立てるようになった。
そして、1990年代に入ると、カンデラは出会った人々を無差別に殺し始める。
1990年10月17日、クーネオ市役所で勤務していた2人の市職員アルド・ブルーノ (♂) とフェリチオ・ブルギアフレド (♂) は、クリッソロの空き地に駐車していた車の車内で昼食を摂っていたところ、カンデラに射殺された。
最初にブルーノが心臓を撃たれ死亡し、続いてテーブルの下に隠れたブルギアフレドが射殺された。
1991年9月18日、花屋のエミリアーノ・チェッコ (21歳♂) が、自身の車の中で運転席側から5発の銃弾を受け死亡しているのが発見された。
同年10月、トリノ県でヴィンチェンツォ・ピローネ (59歳♂) とルイジーナ・ポディオ (49歳♀) 夫妻の遺体が発見される。
夫妻はマッツェの森でキノコ狩りの最中に射殺された。
当初、警察は密猟者が最初にポディオを誤って撃ち、一緒にいた目撃者を始末する為にピローネを殺害したと推測した。
1992年1月21日夜、カンデラはトリノの金物店の店主で幼なじみのカルミネ・ガッタ (♂) を殺害した。
カンデラはガッタと浮気関係にあった女性を巡ってガッタに恨みを抱いていた。
カンデラはガッタの家の下で待ち伏せし、ガッタが現れるとベレッタ92を取り出し16発の銃弾を発射して射殺したのだった。
その後、地元の森に隠れる事が出来なかったカンデラは妻のアントニエッタ・ビスコッティと共に国境を越えてフランス・ブルターニュ地方へ向かった。
そこでカンデラは4つの銀行を襲撃し、電話を使って妻と計画を立て、イタリアへの犯罪人引渡し条約がないケニアやタンザニアなどへ逃亡した。
同年9月17日、カンデラはルドンのブルターニュ銀行を強盗した後、4万フラン (約360万円) を奪い逃走し、近くの駅に駐車していた車に乗り込んだ。
しかし、カンデラは市警察官のミシェル・マセ (♂) に追跡された為、小学校付近でマセを5発撃って射殺した。
3000人の警察官とヘリコプターが動員され、3日間の追跡の後、カンデラは抵抗する事なく投降し逮捕された。
警察はカンデラの自宅を捜索し、ガッタ殺害に使用されたベレッタ、ブルーノとブルギアフレド殺害に使用された12ゲージポンプアクションショットガン、他に.357マグナムリボルバー等多数の銃器が発見された。
同年10月4日、カンデラはフランス当局に7件の殺人を自白した。
しかし、フランス当局はフランス国内で犯した罪 (フランスでは数件の強盗と1件の殺人) でのみ起訴する事を決定した。
その後、3年間カンデラは独房に監禁され、マセ殺害の裁判を待つ事となった。
1996年、カンデラはレンヌで裁判をかけられ、マセ殺害で終身刑が言い渡された。
また、フランスで犯した数々の強盗や殺人未遂等で18年の保護観察と独房収容が言い渡された。
イタリア政府はフランス政府に何度もカンデラの身柄の引き渡しを要請する。
しかし、フランス政府はカンデラが二重国籍者であり、フランスで犯した犯罪に対する罪を務め上げるまでフランスに留まらなければならないと主張し、要請を拒否した。
2007年、カンデラはフランスの刑務所で死去した。
カンデラはこれまでフランスで殺人罪で裁判をかけられ有罪判決を受けた唯一のイタリア人となっている。
《殺人数》
7人 (他強盗等犯罪多数)
《犯罪期間》
1990年10月17日〜1992年9月17日
∽ 総評 ∽
イタリアとフランスで犯罪を繰り返したカンデラ。
フランスで終身刑になってはいるが、殺人のほとんどをイタリアで行っている為、犯罪としてはイタリアがメインである。
フランスで終身刑になった為、イタリアでの犯罪では裁かれてはないが、仮にイタリアに送還されて裁判を受けたとしても結局は終身刑である。
イタリア政府も国の面子とか被害者や遺族の為に自国で裁きたいなど色々理由はあるのだろうが、結局は終身刑どまりなら正直意味ないしどうだっていい。
カンデラは50歳か51歳で刑務所で死んでいるが詳細はよくわからい。
ただ単に病死なのか、他の囚人に殺されたのか、死因はわからないがさっさと死んでくれた事は本当に良かったと思う。
コメント
コメント一覧 (8)
そうですね。
終身刑とは名ばかりの国が多いです。
仰る通り生かしておいても何一ついい事なんてありませんよ。
日本も戦国時代とかになれば国で分かれてましたし、どの国にもそういう歴史は少なからずあると思います。
どっち転んだってどうせ終身刑。
仮釈放なしもEUのルール上だめ。
そう考えると十年ほどで死んでいるのは本当によかったとおもいます。
終身刑というのはだいたい、更生は無理ということなんです。
安全で脱走できないような環境に隔離し閉じ込め放っておくだけでも充分なんです。
くさいめしも奪い合いが発生する食数あげればいい。
脱走の可能性が指摘されるような行為などが発覚次第死刑に格上げし即刻殺処分。
むろん、そのはこに収容されている全匹を。
人権うんぬんとおっしゃる方もいるかもしれませんが、再犯防止を考えるなら死亡時に彼らの訃報をお悔やみ欄にちょっとだけ載せればいいだけかとおもいますね。
むろん、死因は伏せたうえで。
そうなんですよね、どう転んでも終身刑ならどっちで裁かれようがどうだっていいんですよね。
世界の刑務所は人権を気にしてかとても本来の刑務所と呼べるようなものではなくなってます。
仰る通り地獄のような場所にして2度と戻りたくないからまともに生きるようにした方がいいと思います。
2025年9月13日、オハイオのクリーブランドで5歳の乙A・F花ちゃんが9歳の甲A・M太と10歳の甲B・F子(どちらも州法上非公表)にけがを負わされました。
10月15日、甲A・M太と甲B・F子を傷害等で起訴しました。
幼年の少年少女による傷害事件、調べていただけたら幸いです。
子供が子供をですか。
なかなか衝撃的な事件ですね。
今度調べてみます。