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モハメド・ファーレハ (フランス)
【 1944 〜  】



モハメド・ファーレハは、1944年、モロッコで生まれた。


1960年代、ファーレハは結婚し質素な生活を送っていた。


1970年、ファーレハは家族を残しモロッコを離れ、単身フランスへ移住した (移住理由は不明) 。

モンベリアールに定住したファーレハは金属加工工場で働き始めた。

ファーレハは冷静沈着で模範的な労働者と見られていた。

ファーレハは女性を次々と口説き落とす事を好み、友人には

「女性を断る方法がわからない」

と冗談をよく言っていた。

ファーレハはポーカー等プレイ出来るバーを好み、友人たちとよくポーカーに興じていた。

しかし、ファーレハはイカサマしている事が友人にばれ、以降、監視され続けた事で負け込んでしまい、最終的に1997年までに15万フラン (約1300万円) の借金を抱える事となった。


1995年9月29日、ファーレハはオーダンクールの銀行で、アンナ・ラッティ (82歳♀) が1万5000フラン (約130万円) を引き出そうとしている所を目撃する。

ラッティがお金を受け取りその場を去ると、ファーレハは後をつけた。

ラッティが家に入ろうとすると、ファーレハは無理矢理家に押し入り、ポケットナイフを取り出し躊躇なくラッティの喉を切り裂いて殺害した。

ファーレハは先程ラッティが銀行から引き出した1万5000フラン (ラッティは亡き夫の墓石代に使用するつもりだった) を盗んだ。

ファーレハはナイフを残し、遺体をラッティ自身の車の下に隠しその場を去った。

その後、遺体は子供が誤ってボールをガレージに蹴り入れてしまった事で発見された。

警察はラッティの行動を調べ、銀行で引き出した際に不審な男がラッティに近づき後をつけていた事を発見する。

警察はその不審な男をファーレハと特定し逮捕した。

拘留されたファーレハであったが、ファーレハはラッティ殺害を否定し、銀行に行った事も否認した。

ファーレハは現場で目撃したという証人の前に身元確認の為に連れて行かれたが、証人がファーレハではないと述べた為、証拠不十分で釈放された。


1998年11月16日深夜、ファーレハはベルフォールの駐車場をうろついていると、その場にいたモハメド・セラミ (67歳♂) に背後から忍び寄り、斧とナイフで襲い殺害した。

殺害後、ファーレハは現金を盗み、凶器を残してその場を去った。

セラミの遺体は翌日の午前8時に発見され、近くで汚れた所持品が見つかった。

駐車場に駐車していたトラック運転手が、現場から30m程の所にいた為、容疑者とされ拘束された。

トラック運転手は (日付が変わった) 午前2時頃に駐車場に到着し、本を読んでから午前4時頃に就寝したと話した。

結局、服に血痕がなかった為、釈放される事となった。


1999年2月28日、ファーレハはアブデルカデル・チャムルーキ (61歳♂) をソショーの自宅アパートに招き入れた。

ファーレハはチャムルーキから6000フラン (約5万円) を借りており、返済を装って呼び寄せると背後から斧で襲い殺害した。

その後、チャムルーキの遺体をバラバラにし、5つのゴミ袋に詰めると建設中の建物の庭にばら撒いた。

遺体を捨てた後、痕跡となる血痕を拭う為に自宅に戻った。

チャムルーキの息子が戻らない父親を心配し、警察に通報した。

しかし、通報は失踪して間もない事と立派な大人の男性という事で失踪ではないと判断され捜査は行われなかった。


同年3月3日深夜、ファーレハは31歳のマックスという男性に接触し、大麻を売りたいからアパートに来ないかと誘った。

マックスは3500フラン (約3万円) でその申し出を受け入れ、ファーレハのアパートに向かった。

ファーレハはマックスがお金を持っている事を確認すると、大麻を所持していると思わせ、電話帳で電話番号を探す振りをした。

そして、隙を見せたマックスの背後からファーレハは電話帳で頭部を殴りつけた。

マックスは驚き殴った理由を問いかけるがファーレハは黙るよう告げ、今度は首の辺りを殴った。

しかし、マックスは何とかアパートから逃げ出す事に成功し、近くのカフェに逃げ込み店員に助けを求めた。

店員はファーレハのことを知っており、以前、店内で問題を起こし店から追い出した事があった。

店員はすぐに警察に通報するが、犯行後、ファーレハは逃走した。

マックスは病院に搬送された際は重体であったが、奇跡的に一命を取り留めた。

警察がマックスが襲われたと証言した外の場所を調べても血痕が見つからなかった為、警察はマックスが嘘を付いているのではないかと疑った。

しかし、警察がファーレハのアパートを捜索するとマックスが襲われたという確信を得る事が出来た為、ファーレハを指名手配した。


同年3月5日、警察が街の瓦礫置き場でバラバラになった遺体を発見する。

検死の結果、死因は鈍器、おそらく斧と肉切り包丁によるものと結論付けられ、遺体はチャムルーキと断定された。


同年3月6日、ファーレハはモンベリアール警察署に自ら出頭した。

ファーレハはマックスが斧で襲い掛かって来た為、正当防衛であったと主張した。

しかし、警察はファーレハのこの主張に疑問を抱き、拘留する事に決める。

警察は再尋問を行い、釈放を口実にマックスについて真実を話すよう強要した。

すると、ファーレハは電話番号を探す振りをして背後からマックスに殴りかかった事を認めた。

ただ、ファーレハはあくまでも正当防衛を主張し続けた。

だが、マックスにはいくつもの傷があるにもかかわらず、ファーレハには一切の傷が見られなかった為、警察はファーレハの主張を信じなかった。

そこで警察はチャムルーキの遺体についても尋問を行った。

ファーレハは驚いたが自分とは関係ないと否定した。


同年3月8日、ファーレハはマックス殺人未遂の罪で起訴され勾留されるが、チャムルーキ殺害に関しては証拠がなかった為、起訴されなかった。

だが、警察はファーレハがチャムルーキを殺害したと確信していた為、アパートを更に捜索する事にした。

すると、ファーレハが拭き取ろうとして拭ききれてなかった血痕を発見し、それを採取した。


同年4月、採取した血痕の鑑定結果が出ると、チャムルーキのDNAと完全に一致した。

しかし、ファーレハはおよそ20年間チャムルーキに会ってないとして殺人を否認した。

また、遺体がバラバラであったことや遺体が発見された場所も知らないと主張した。

チャムルーキ殺害を否認したファーレハだったが、殺人と死体損壊の罪で起訴され、身柄をモンベリアール刑務所に送還された。

警察がファーレハのこれまでの経歴を調べたところ、1995年にラッティ殺人事件の容疑者となっていて事がわかり、ラッティの死因が頭部を鈍器で殴られていた為、ファーレハによる犯行だと確信した。

警察は当時の目撃者を再度尋問し、当初はファーレハを見ていないと述べた。

しかし、ファーレハが殺人容疑で勾留されている事を告げると、安心した目撃者は証言を変え、ファーレハが犯行時に銀行にいた事を認めた (目撃者はファーレハからの報復を恐れ嘘をついていた) 。


2001年2月5日、ファーレハはモンベリアール刑務所から連行され、ラッティ殺害容疑で拘留された。

だが、ファーレハはラッティ殺害を否定した。

拘留期間満了後、ファーレハはラッティ殺害と死体損壊の罪で起訴され、再びモンベリアール刑務所に送還された。

また、警察はセラミ殺害事件に関してもファーレハを起訴するが、証拠や訴因が不十分であると判断され起訴は却下された。


2003年3月24日、ファーレハはチャムルーキ殺害とマックス殺害未遂の罪でドゥー県ブザンソン高等裁判所で裁判にかけられる事となった。

裁判でもファーレハは全ての犯行を否認した。

ただ、裁判でのファーレハは挑発的で軽蔑的な態度を見せ、判事から
「悪魔のような目をした男」
と呼ばれ、真実を話すよう強く求めた。

ファーレハは被害者を嘘つき呼ばわりし、チャムルーキ殺害の証拠となった衣装箪笥に付着した血痕について

「私を嵌める為の陰謀だ」

と主張した。

しかし、ファーレハの犯行動機は金銭的な争いに関連していた事が立証され、同様の状況に陥れば再犯を犯すのは明らかな連続殺人犯だと非難された。


同年3月28日、ファーレハには終身刑が言い渡された。

ファーレハは判決を不服として控訴するが、更に22年の刑期延長となった。


2004年11月24日、ファーレハはラッティ殺害でも裁判にかけられた。

証言台に立ったファーレハはラッティ殺害を強く否認した。

銀行でファーレハを見たと証言を変えた目撃者が出廷し、ファーレハが犯行現場にいた事を認めた。

また、ファーレハがモンベリアール刑務所に収監されていた際、同房者であった囚人がファーレハが名前は明かさなかったものの、他に2人を殺害したと言っていたと証言した。


同年11月26日、ファーレハはラッティ殺害でも終身刑が言い渡された。


2009年、ファーレハに判決が下され刑務所に入ってから10年経ったこの年、セラミ殺害事件に関連する新たな捜査が開始された。

警察は犯人のDNAを特定する為、新たな鑑識検査を行う事を決定した。

しかし、DNAは検出されなかった。

その後、ファーレハが犯行当日にタクシーに乗っていた事が判明し、運転手がファーレハがセラミについて話していたと証言した。


同年11月30日、ファーレハはセラミ殺害容疑で再び拘留された。

ファーレハは犯行を否認したが、検察官がファーレハに対して14もの訴因を提示し、セラミ殺害の罪で起訴した。

ファーレハは数年間服役したサン=マルタン=ド=レのメゾン・サントラル刑務所に送致された。


2015年10月12日、ファーレハの裁判がオート=ソーヌ県ヴズール高等裁判所で始まった。

ファーレハは再度無実を主張し、弁護団は犯行現場でファーレハのDNAが発見されなかったと主張した。

証人にセラミの息子が証言台に立ち、事件直前に父親とファーレハが口論となり、ファーレハの行動が原因でバーから追い出されたと証言した。

次にタクシー運転手が証言台に立つと、当時のファーレハの様子について証言を繰り返した。

裁判所はファーレハに対して終身刑を求刑した。

ファーレハの弁護士はDNAの証拠がないこと、盗まれたとされるお金が見つかってないという事実を強調した。


同年10月15日、ファーレハは終身刑が言い渡された。

ファーレハは親しい人からは親しみを込めて『Bouraba』と呼ばれていたが、マスコミはその凶悪性から『The Axe Killer (斧殺人者) 』と呼んだ。

現在、ファーレハはフランスの刑務所において最高齢囚人の1人とされている。



《殺人数》
3人 (他殺人未遂)

《犯行期間》
1995年9月29日〜1999年3月3日



∽ 総評 ∽

『The Axe Killer』と呼ばれ、3人を斧で無残に殺害したファーレハ。

ファーレハは80歳をこえ、現在フランスで最も高齢の囚人の1人となっているらしいが、こんな年になってもまだ無実を主張している。

往生際が悪いというか、情けないというか被害者や遺族を永久的に苦しめる鬼畜である。

何故、ファーレハが母国のモロッコから離れフランスに来たのか詳細がなくわからないが、以前にもこういう殺人鬼を何人も紹介してきた。

異国での生活でストレスが溜まり、精神が破綻した事で犯行に及んだ可能性もあるが、ファーレハの場合は生まれもっての異常者と思われる。

そもそもフランスに来ないで黙ってモロッコにいろと思う (まあモロッコでも殺人を行う可能性高いですが) 。