
アンドレイ・ゴロバチョフ (ロシア)
【 1967 〜 】
アンドレイ・グリゴリエヴィッチ・ゴロバチョフは、1967年6月22日、ロシア・コミ共和国ヤレガで生まれた。
ゴロバチョフの幼少時代についてはほとんど知られていなかったが、学生時代にはスポーツに熱中していた。
1980年代半ば、ゴロバチョフは協同組合法の制定と協同組合運動の隆盛に伴い、警護と組織犯罪から巨額の利益をもたらす事に成功し、ウフタで犯罪活動を始める。
1980年代末、ゴロバチョフは強盗罪で投獄され、90年代初頭に釈放された。
その後、ゴロバチョフは地元のギャングの一員となった。
ギャング内ではゴロバチョフは「シュワルツ」というあだ名で呼ばれた。
1996年9月、ゴロバチョフは友人とカフェを訪れた際、ウェイトレスの女性を気に入り言い寄った。
しかし、女性が拒絶した為、その事に怒りを露わにしたゴロバチョフはナイフを掴み、女性の腹部を数十回刺し最後に喉を切り裂いて殺害した。
これがゴロバチョフの最初の殺人であった。
ゴロバチョフは逃走し、指名手配犯としてリストに掲載されるが捕まらなかった。
同年11月から12月にかけて、ゴロバチョフはウフタで3人の男性を射殺した。
3人の内、2人の遺体は橋からポジニャ川に投げ捨て、もう1人は高速道路脇に捨て、遺体は1997年に入ってから見つかった。
解剖の結果、3人全員が激しく殴打され、頭部を撃たれた事が確認された。
弾道分析ににより銃はトカレフTT-33である事がわかった。
数ヶ月後、ゴロバチョフは逮捕され、4件の殺人で起訴された。
1997年末、拘留延長審問中、裁判官がゴロバチョフの誓約者に基づき釈放してしまう。
これは予期せぬ事であり、釈放されたゴロバチョフはコミ共和国から逃亡し潜伏した。
ゴロバチョフは連邦指名手配犯リストに載せられ、2000年にモスクワ州で家主を斧で殴打した罪で逮捕された。
逮捕後、ゴロバチョフの身柄はコミ共和国へ移送された。
2002年5月、ゴロバチョフは殺人罪で有罪判決となり、終身刑が言い渡された。
裁判でゴロバチョフは無礼で傲慢な態度をとり、
「私は誰が生き誰が死ぬかを決める権限を持っている "神の死刑執行人" である」
と語った。
その後、ゴロバチョフはモスクワ州へ送還され、そこで更に殺人罪で有罪判決となった。
ゴロバチョフは厳重警備のヴォロゴツキー・ピャタク刑務所に収監された。
10年の刑期を務めたゴロバチョフは、ウラジーミル州にあるロシア連邦捜査委員会の捜査部に連絡を取り、1999年にアレクサンドロフで男性を殺害した事を告白した。
ゴロバチョフの告白は信憑性があると考えられ、尋問の為にウラジーミル州へ移送された。
ゴロバチョフは当時アレクサンドロフに住んでおり、出稼ぎ労働者から金をゆすっていた組織から部屋を借りていたと話した。
そこで男性と口論となり、ストーブのそばに置いてあった斧を掴んで頭を殴り、その勢いのまま頭部に突き刺さったと語った。
殺害後、遺体を地下室に運んで埋め、部屋を掃除してすくに出て行ったと話した。
捜査をすると実際にゴロバチョフが殺害した事が判明し、翌年懲役9年の判決が下された。
2019年、ゴロバチョフはモモスクワ州検察庁に連絡を取り、更に3件の殺人を告白した。
ゴロバチョフの証言によると、1998年、当局から身を隠す為、セルギエフ・ポサードの賃貸アパートに数人で住んでいた。
その年の春、ゴロバチョフは家主と2人の友人を殺害した。
ゴロバチョフが酔った勢いでうっかり自身が指名手配犯である事を告白した為、通報を恐れ口封じで殺害したのだった。
その後、モスクワ州から逃走し、国内の様々な地域を転々とする放浪生活を始めた。
ゴロバチョフはモスクワ州へ移送され、そこで尋問を受けた。
捜査終了後、ゴロバチョフは更に5件の殺人を告白した。
ゴロバチョフは3件の殺人後、クラスノダール地方へ移り、ダゴミスに住む女性から部屋を借りた。
そこで女性と25歳の息子を殺し、その後、ホスタに数週間潜伏すると、そこで若い女性と暮らした。
最終的にその女性も殺し、その後、ロストフ州シャプティへ移動した。
ゴロバチョフは数日間に渡り売り出し中のアパートの広告を閲覧した。
そのうち記載された1つのアパートへ行き、大家と共にアパート内を視察した。
その日の夕方、再びアパートへ戻ると、そこにいた少女を刺殺した。
少女殺害後、ゴロバチョフはすぐにシャフティを離れ、ヴォロネジ州ヴォロネジへ逃亡した。
そこで同様にアパートの広告を応募し、アパートで大家を殺害したと告白した。
尋問中、ゴロバチョフはそれぞれの殺人について日付、場所、被害者の顔や身体的特徴、状況、動機について細かく正確に述べた。
ゴロバチョフの犯行手口は共通しており、賃貸アパートの広告を探し回り、家主や居住者を20回から40回刺し喉を切り裂くというものだった。
2019年から2022年にかけて、ゴロバチョフは犯行現場を再現する為、様々な地域を転々とした。
警察は目撃者、被害者の近隣住民、知人を見つけ出し裏付けを行った。
2022年2月11日、長い期間続けられた捜査が終了し、ゴロバチョフは確実な発見の殺人罪で正式に起訴された。
2023年、ゴロバチョフは数百万ルーブル (1ルーブルは約2円) の資産を持っている富豪である事が判明する。
同年7月、セルギエフ・ポサード裁判所は、被害者2名の遺族の精神的損害賠償請求を求める民事訴訟を認めた。
賠償額は親族関係を考慮して決定され、1件では40万ルーブル (約80万円) 、もう1件では約100万ルーブル (約200万円) となった。
その後、執行官はゴロバチョフの口座を差し押さえ、そこから遺族へ賠償金が支払われた。
2024年12月、ゴロバチョフはアレクサンドロフでの2件の殺人罪で懲役12年が追加された。
ゴロバチョフは少なくとも14人を殺害しており、当局はゴロバチョフによる被害者はもっと多いと考え捜査を続けている。
最後にアレクサンドロフで男性を殺害した際の様子を語ったゴロバチョフの発言で終わりたいと思います。
「私はテーブルから立ち上がることなく、いつものようにストーブの横に置いてあった斧を掴みました。それを両手で持ち、自分の頭上に掲げ、持ち主の頭を上から下まで、おそらく左側から叩きつけました。斧は頭蓋骨に刺さり抜けませんでした。私は死体を地下室に埋め、部屋を掃除して家を出ました」
《殺人数》
14人以上
《犯行期間》
1996年9月〜2000年
∽ 総評 ∽
『The Apartment Maniac (アパートの狂人) 』または『The Tenant Maniac (テナントの狂人) 』と呼ばれ、少なくとも14人を殺害したゴロバチョフ。
読んで頂いたらわかる通り殺人に一切の躊躇がなく、人の命をこれほどまで軽視する鬼畜はそうはいない。
記事を作っていてこんな輩がいるのかと久し振りに驚嘆する程であった。
何が恐ろしいかというとほとんどの殺人が逮捕後に自ら告白した事で発覚したという事であり、もし、告白していなければ未解決だった可能性が非常に高かった。
おそらくロシア国内を転々とした事が中々捕まらなかった要因だと思われるが、それにしても杜撰で怠慢な捜査だと思う。
これまでロシアのシリアルキラーを数多く掲載してきたが、このゴロバチョフを含め、いちいち異常で早熟、大量殺人を繰り返す輩が多い。
シリアルキラーといえば数や質を考えればアメリカがダントツだが、ロシアもその異常性は決して引けを取らないものがある。
コメント
コメント一覧 (6)
そういえば日本の殺リンピックゴールドメダリスト関根元も似たようなこと言ってましたね。
たまにいますよね。
「おれスゲー」とか勘違いと甚だしい輩。
愛犬家殺人の関根ですね。
殺人にかなりの自信を持っていましたが、当然自慢することではないし結局バレてるので大したことないです。
ただ、ロシアという国情考えると小鬼の中でもちびっ子なほうなのかな。
国や組織で超大物を数多育てつくり出してきた背景を考えると。
チカチーロやポプコフなどは連続殺人鬼はカタギの中の超大物なんだろうな。
ソ連対日参戦、赤軍のちびっ子小鬼たちの群れの狂乱のおぞましさにあんぐりしましたね。
原爆投下の日に起こった蒙古襲来に言及させてくれる記事を載せてくれて本当にありがとうございます。
確かに、鬼畜揃いのロシアの中ならそれ程でもないですね。
ロシアにはまだ巨万とヤベー殺人鬼がいるので今後もドンドン掲載していきますね。
ウィリアムズは死刑が、シプルは懲役20年が言い渡されました。
また、乙B・F美ちゃん(享年1か月)の殺害にも関与してたらしいです。
2026年8月13日、ウィリアムズは死亡。
享年42歳でした。
掲載していただけたら幸いです。
とんでもコンビですね。
気になるので調べてみます。