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リチャード・ロジェム (アメリカ)
【 1957 〜 2024 】



リチャード・ノーマン・ロジェムは、1957年12月19日、アメリカ・オクラホマ州で生まれた。


1978年、ロジェムはミシガン州マコーム郡で10代の少女2人を強姦した罪で逮捕された。

ロジェムは強姦3件と第二級性的暴行1件の罪で有罪となり、懲役6年から15年の不定期刑2回分の判決を受けた。

だが、たった4年の刑期を務めた後、仮釈放された。

ロジェムは獄中でミンディ・カミングスという女性と知り合い、釈放後にミンディと結婚した。

ミンディには2人の子供がおり、下の娘はレイラ・ドーン・マリーといった。

しかし、ロジェムはレイラの母親を日常的に性的暴行を行い、ミンディの2人の子供たちとも関係は悪かった。

性的暴行に耐えられなくなったミンディはロジェムを告発し、ロジェムは仮釈放命令違反として刑務所に戻る事となった。

ミンディはロジェムに対して接近禁止命令を取得し、また、離婚を申請し1984年5月に認められた。


1984年7月6日、オクラホマ州エルクシティのアパートで、兄と2人きりで家にいたレイラが誘拐される。

レイラが誘拐された当時、ミンディは勤務先のファストフードで勤務中であった。


翌日7日の朝、バーンズフラット近くの畑で、農夫が切断された半裸姿のレイラの遺体を発見した。

検死の結果、レイラは複数の刺し傷が原因で死亡した事がわかり、刺し傷はレイラの首と膣周辺に集中していた。

また、レイラは殺害される前に強姦されていた事も判明した。

警察は捜査を進め、すぐに犯人をロジェムと断定し、レイラ殺害容疑で逮捕した。

警察はロジェムが元妻ミンディの仕事のスケジュールを知っており、ドアの鍵は破壊されていたのだがロジェムが侵入する際に破壊したとされた。

また、少女のアパートの外で発見されたカップにはロジェムの指紋が付着しており、カップ自体はレイラ誘拐直前にロジェムが最後に訪れたバーのもであった。

レイラの遺体近くでコンドームが包まれた紙が見つかったのだが、それはロジェムの自宅寝室で見つかった使用済みコンドームのものであった。

更に犯行現場で車のタイヤ痕が見つかったのだが、それはロジェムの車のタイヤ痕である事も判明し、動機はミンディに対する復讐であるとされた。


同年7月28日、ロジェムは誘拐、強姦、殺人の罪で起訴された。

検察はロジェムに対して死刑を求める意向を表明した。


1985年6月1日、ロジェムは陪審の45分の評決の後、誘拐、強姦、殺人の罪で有罪となり、懲役1000年が言い渡された。


同年7月11日、ロジェムは殺人罪で正式に死刑が言い渡された。

ロジェムは判決を不服として控訴した。


1988年3月23日、オクラホマ州控訴裁判所がロジェムの控訴を棄却し、有罪判決を支持した。


2001年3月31日、控訴裁判所は全員一致でロジェムの死刑判決を覆し、再判決裁判を受けるよう命じた。

控訴裁判所は陪審員が判決を下す際に、裁判官が陪審員に加重要因に対する酌量要因を考慮するよう求めなかった為、ロジェムの憲法上ほ権利を侵害したとの判決を下した。

検察は再び死刑を求めた。


2003年、ロジェムには再び死刑判決が下された。


2006年、ロジェムの2度目の死刑判決は、3人の陪審員を正当な理由で解任しなかった事など手続き上及び裁判上誤りがあったとして再び取り消された。


2007年5月、2度目の再判決裁判が始まり、ロジェムは3度目の死刑判決を受けた。


2010年1月、アメリカ合衆国最高裁判所はロジェムの控訴を棄却し、死刑判決が確定した。


2017年、ロジェムの最終的な控訴が棄却され、再審理も拒否されると、ロジェムはオクラホマ州で控訴の手段を尽くした16人目の死刑囚となった。


2024年、ロジェムは初めに死刑判決を受けてから40年死刑囚監房に収監されたままであった。

ロジェムは刑務所職員や他の囚人への暴行や不正行為により少なくとも8回懲戒処分を受けていた。

2020年には刑務所に鋭利な武器を持ち込んだ事もあり、刑務所での行いは非常に悪かった。


2022年8月、ロジェムの死刑執行日が2023年10月5日に予定された。

しかし、法的な理由により執行日は延期された。


2024年5月、ロジェムに対して新たな死刑執行令状が発行され、執行日は6月27日に設定された。


同年6月、ロジェムは審問を通じて無実を主張し、レイラ殺害を否定して慈悲を求めた。

また、弁護士らは仮釈放委員会に対して死刑判決を仮釈放の可能性がない終身刑に減刑するよう懇願した。

レイラの母親であるミンディやその家族は、40年前にレイラを失った痛みと悲しみにまだ苦しんでいるとして仮釈放委員会にロジェムに恩赦を与えないよう強く求めた。


同年6月18日、ロジェムの死刑執行が9日後に迫る中、仮釈放委員会は5対0の投票満場一致でロジェムの恩赦を拒否した。

ゲントナー・ドラモンド司法長官は仮釈放委員会の決定を称賛し、
「ロジェムは罪のない子供を残忍に強姦し殺害した怪物」
と非難し、死刑執行が正常に行われれば、完全に正義が実現されると述べた。


同年6月27日、ロジェムに薬物注射による死刑が執行された。

享年66歳。

処刑された時、ロジェムはオクラホマ州で最も長く服役していた死刑囚であった。

ロジェムの死刑執行は、2024年、オクラホマ州で執行された2人目であり、2021年にオクラホマ州で死刑が再開されて以来 (オクラホマ州は2015年に1人執行して以来、2020年まで執行を停止していた) 、記録が残る13人目の人物であり、ラミロ・ゴンザレス (掲載済) が処刑された翌日の執行であった。

ロジェムは最後に残す言葉はあるかと尋ねられると、

「ない。別れは言った」

と答えただけたった。

また、最後の食事は、ダブルチーズとペパロニが入ったリトル・シーザーズのスモールピザ、塩の袋8つ、赤唐辛子の袋8つ、ジンジャーエールのボトル1本、バニラアイスクリームのカップ2つであった。

ロジェムの死刑が執行されると、レイラの遺族は正義が果たされたと歓迎した。

母親であるミンディはレイラが殺害された事で全てが奪われ、本来送れるはずであった人生を送る事が出来なかったと述べた。

レイラの叔母は恩赦が拒否された事は家族にとって癒しと正義の証だと語り、処刑されるのを40年待ち続けたと語った。

また、レイラの実父はレイラが殺害された14ヶ月後に病死しており、レイラの死が影響を与えたのは誰の目にも明らかだった。


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     レイラ・ドーン・マリー・カミングス



《殺人数》
1人 (他強姦2件)

《犯行期間》
1984年7月6日



∽ 総評 ∽

元妻の娘を強姦して無残に殺害したロジェム。

ロジェムの暴行に耐えきれなくなったミンディが、離婚と接近禁止を得たにもかかわらず起こってしまった悲劇であった。

接近禁止命令とは一体何なんだろうか。

こういった逆恨みによる犯行というのは多く、実際に被害に遭っている人も多々いる。

相手に絶対バレないようにしっかりと保護と監視を行わなければいけないのではないだろうか。

ロジェムが処刑されたのは判決から40年も経った後であり、何を刑務所でだらだら生かし続けてるのだろうか。

控訴や恩赦等があったからだが、チャンスは1度でいいのではないか。

以前にも言っているが、控訴や上訴、恩赦に関して何のリスクもないからバカの1つ覚えのように繰り返すのだ。

そもそもこんな犯罪者にしかメリットがない制度というのはおかしくないだろうか。
「減刑される可能性はあるが棄却された場合、罪が重くなる」
というふうにすればそうやすやすと控訴しなくなる。

それが真の平等ではないだろうか。

ロジェムの処刑後、家族は口々に正義が果たされたと安堵しているが、犯罪に巻き込まれて苦しむのは被害者だけではない、その家族も同様なのだ。

殺害されたレイラの父親はわずか14ヶ月後に病死しているし、家族たちも苦しみ続けた40年であったろう。

家族の苦しみを少しでも緩和させて上げる為にも、死刑というのは早々に執行すべきでなのである。