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リチャード・リービット (アメリカ)
【 1958 〜 2012 】



リチャード・アルバート・リービットは、1958年11月12日、アメリカ・アイダホ州で生まれた。


1984年7月21日、アイダホ州ブラックフットに住むダネット・ジーン・エルグ (31歳♀) と連絡が取れないと、リービットとエルグの友人が警察を訪ねた。

エルグの同僚と雇用主がエルグが会社に来なかった為、連絡が来たと警察に話した。

警察は捜査を始め、リービットはエルグの両親から家に入る許可を得たと話し、警察に協力してエルグの部屋に入った。

すると、室内で腐敗したエルグの遺体を発見した。

遺体を調べた所、その傷は凄惨さを極めた。

エルグはナイフで15回刺され切りつけられ殺害されたのだが、性器を切り取られるという残忍なもので、その暴力の激しさはベッドが破れ壊れる程であった。

また、エルグの遺体を調べたところ、刺し傷の1つは肺を貫通し、もう1つは心臓の右側を貫通していた。

3つ目の傷は左肺を切り裂いており、他には胃、胸腔、首を貫通しており、頭部の傷は目を貫通し脳にまで達していた。

警察は早速捜査を始め、犯人が家の窓の網戸を切り裂いて侵入した事がわかった。

そして、最終的に犯人をリービットと特定する。

リービットとエルグはブラックフットの同じ地域に住んでおり、リービットは友人と警察を訪ねた際、「エルグの雇用主から連絡を受けた」と主張していたが、雇用主はリービットに連絡していない事が判明した。

また、情報筋によると、殺害される2日前の7月16日夜、エルグはリービットだと思われる男性が家の周りを徘徊し家に侵入しようとしたとして警察に通報していた事もわかった。

事件後、ブラックフット警察が犯人だけが知っていると思われる情報を共有する人物から2回電話を受けた。

その人物は自らを「マイク・ジェンキンス」と名乗っていたが、警察が調べたところそんな人物は存在しない事が判明した (リービットが名乗った偽名) 。

これらの証拠により、警察はエルグ殺害容疑でリービットを逮捕した。


1985年2月25日、リービットは第一級殺人罪で起訴された。

アイダホ州の法律では第一級殺人で有罪となった場合、死刑になる可能性が十分にあった。


同年7月、リービットは裁判地の変更を求めていたが却下され、アイダホ州裁判所の陪審員の前で裁判をかけられる事となった。

検察側はリービットと殺人を結び付ける状況証拠を提出した。

血液検査の結果、エルグの血液 (A型) のDNAとは別に、O型の血液を持つ別の人物のDNAがあり、それはリービットの血液型と同じであった (当時はまだDNA検査が確立されてなかった) 。

また、リービットが事件後、左手の人差し指の深い切り傷の治療をしに病院に行っていた記録があり、それはエルグを殺害する際に負った傷だと推測された。

裁判ではリービットが病的な性的趣向を持っていたと、2人の証人によって語られた。

その内の1人である元妻は、リービットが狩猟旅行中に、射殺した鹿の雌の生殖器を楽しそうにいじっているのを目撃したと法廷で証言した。

もう1人の証人である元愛人は、リービットと性行為中、ナイフを持ち出し性的興奮を得ていたと話した。

検察はエルグの生殖器が抉り取られていた事を示唆し、リービットが病的な性癖を満たす行為だったと主張した。

しかし、弁護側はリービットの無実を主張し、リービット自身もエルグ殺害を否定した。

犯行現場で自身の血液が見つかった事について、リービットはエルグが殺害される数日前に部屋を訪ね、その際に鼻血が出たと主張した。

だが、後に話し変え、扇風機で指を切った際に付いた血だと述べた。

リービットの妻は証人として呼ばれたが、後に虚偽の証言した事が発覚し偽証罪で起訴された (有罪となっている) 。


同年9月25日、陪審はリービットを第一殺人で有罪とした。

ただ、判決自体は精神科医による診察の後、死刑に値するか判断される事となった。


同年12月19日、リービットは死刑判決を受けた。

判事は
「殺人は凶悪かつ残忍であり、被告の行為はあまりにも忌まわしく非人道的である」
として最高刑である死刑が相当と判断し言い渡した。

リービットの死刑執行が1986年3月28日に予定されていたが、裁判所の審査を待つ為に延期された。

リービットは1989年から死刑判決に対する控訴を続け、死刑判決が覆ったり再び死刑判決が言い渡されたりと何度も繰り返した。


1989年5月30日、アイダホ州最高裁判所は殺人罪での有罪判決は支持したが、死刑判決を取り消しリービットに対する再判決公判を命じた。

検察側はこの決定に対し、アメリカ合衆国最高裁判所に控訴するが受け入れられなかった。


同年12月、再判決公判はリービットに死刑宣告をしないよう裁判所に嘆願した。

法廷ではリービットが獄中で詩や本に取り組み、子供や他の受刑者たちと良好な関係を築いている事は死刑判決回避に十分な酌量の余地があると主張した。


1990年1月25日、リービットに死刑判決が下され、この判決は1991年11月27日にアイダホ州最高裁判所によって最終的に支持された。


1992年11月8日、リービットはアメリカ合衆国最高裁判所に控訴したが棄却された。


2000年12月17日、リービットの死刑判決を覆し再審を命じた。

しかし、司法長官が控訴し、最終的に死刑判決は支持された。

リービットが1977年に殺害されたカート・コーネリソン殺害の容疑者として指名された。

そして、コーネリソン殺害に関与しているかDNA検査が行われる事となった (この事件はロビン・ルページという男性が無実の罪で逮捕され終身刑が言い渡されていた) 。


2004年6月14日、控訴裁判所がリービットの死刑判決が陪審ではなく裁判官によって言い渡されたと判断され、判決を覆した (2003年1月から陪審ではなく裁判官のみによる量刑制度が禁止されていた) 。

しかし、アメリカ合衆国最高裁判所は、同法律は2003年1月以降に可決された判決のみに適用されるものであって、それ以前に対する判決には遡及しないとし、死刑判決は維持されるべきであると主張した。

この為、リービットへの死刑判決が再度復活するが、リービットは更に控訴を続けるが認められる事はなかった。


2005年6月28日、アイダホ州最高裁判所は上訴を棄却しリービットの死刑判決を支持した。


2012年5月14日、アメリカ合衆国最高裁判所はリービットの上告を棄却した。


同年5月17日、リービットに対する死刑執行令状が承認され、執行は6月12日に設定された。


同年5月25日、リービットは死刑を回避する最後の手段として、死刑執行に反対する控訴を行った。

弁護人はポリグラフ検査によってリービットの無実は確実であり、エルグが殺害された時に犯行現場にはいなかったと主張した。


同年5月30日、リービットには適正な手続きが行われており、死刑執行を阻止する権限はないとして死刑執行令状取り消しの要求を却下した。


同年6月12日、リービットに薬物注射による死刑が執行された。

享年53歳。

リービットの最後の食事はベイクドチキン、フライドポテト、牛乳であった。

また、最後の声明については拒否したため何もなかった。

リービットの死刑執行は、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、アイダホ州としては3人目であり、1994年のキース・ウェルズ (掲載済) 、前年の2011年に執行されたポール・ロウズ (掲載済) 以来であった。

リービットが処刑された当時、エルグ殺人事件はアイダホ州ブラックフットで起きた最悪の事件の1つであった。

その為、事件は風化せず人々の心の中に記憶として残り続け、ビンガム郡のトム・モス検察官は
「今まで見てきた中で最も醜い犯罪現場」
と事件を評した。

リービットの処刑後、薬物の不足と製薬会社が薬の販売を拒否し為、アイダホ州は10年以上に渡って死刑執行が無期限に停止された。

アイダホ州は死刑が執行出来ない事を危惧して、処刑方法に銃殺も選択出来るよう法案が提出された。

2023年に薬の調達の目処がたった為、死刑執行が可能となったが、現在まで死刑は再開されていない。

その為、現時点でリービットはアイダホ州において最後に処刑された人物であった。

余談だがリービットにはトラヴィスとティモシーという2人の息子がいたのだが、リービットがエルグ殺害で逮捕された後、2人は強姦罪で何度も逮捕され有罪判決を受けた。

トラヴィスは2024年に女子高生への強姦と誘拐の罪で懲役25年から50年の不定期刑を宣告された。

トラヴィスは減刑を求め、その際の答弁で父親が殺人を犯して刑務所に入る事が自身の人生に多大な影響を与え人間が形成されたと述べた。

ティモシーは2022年に仮釈放されたが、2003年2月から2004年4月まで父親であるリービットと同じ刑務所に服役されていた。


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       ダネット・ジーン・エルグ



《殺人数》
2人?

《犯行期間》
1977年?、1984年7月16日



∽ 総評 ∽

知人女性を凄惨な暴行の末に殺害したリービット。

リービットの犯行は当然死刑に値し、最後は処刑されたので良かったが、執行まで判決から約30年近く経過しており、もっと早く執行出来なかったのかと甚だ疑問でしかない。

今回もある程度の控訴や上訴、死刑判決が覆ったり支持された経緯など掲載したが、毎度毎度一体何をやってるのだろうか。

死刑判決が下された→控訴した→棄却された、多くてもこの1ターンこれだけでいいではないか。

それを何度も何度も、しかも執行が決まってるのに恩赦や最後の控訴など、一体どこまで犯罪者に権利と権限を与え続けるのだろうか。

ただ、リービットも鬼畜だが、今回は息子たちも父親に匹敵する鬼畜振りである。

父親の遺伝子を見事に引き継いだ形となった。

息子は自分が犯罪者になったのは父親のせいだと主張したが、何でもかんでも人のせいにするなと思う。

確かに父親が殺人鬼というのはショックであるし、その事で周囲から白い目でみられ生き辛い生活環境であったかもしれない。

ただ、そうだからといって自分も犯罪を犯していいという事には当然ならない。

犯罪を犯す犯さないは結局本人次第であり、親が殺人鬼というのは関係ない。

所詮、自身も犯罪したいだけのただの犯罪者であり、鬼畜の子は鬼畜という事である。