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ウェイン・ホートン (アメリカ)
【 1956 〜 2010 】



ウェイン・ドナルド・ホートンは、1956年1月26日、アメリカ・ネバダ州ラスベガスで生まれた。

ホートンは幼少時よりサディスティックで暴力的な性格であった。

気性が激しく、口論が起こると相手が誰であろうとすぐに暴力を振るった。


1972年後半、ホートンは酒屋で若い女性を拾うと、ドライブに一緒に来ればマリファナを上げると約束する。

ホートンと女性はマリファナを吸いながら車で砂漠へ向かう。

しかし、途中で女性がマリファナを吸いたくないと言い出した為、その事に怒りを覚えたホートンは女性をジャッキハンドルで何度も殴り殺害した。

殺害後、遺体を砂漠に捨てた。

女性の遺体は、1973年2月4日に頭蓋骨が砕けた白骨状態で発見されたが、現在まで身元は不明であった。

その後、ホートンは軽犯罪は行っていたものの、しばらく大人しくしていた。


1975年5月12日、ホートンはエドワード・ブッチェリ (52歳♂) を強盗目的で襲う事を考える。

すると、ブッチェリが (ホートン曰く)「汚い言葉を投げかけてきた」ので、ホートンは黙らせる為にブッチェリの頭部に銃弾を5発撃ち込んで射殺した。


同年8月、ホートンはタクシー運転手のウィリアム・ティネル () を射殺する。

ティネルはひざまずいてホートンに命乞いしたが、ホートンはティネルを「生きるに値しない」という理由だけで頭部を5発撃って殺害したのだった。


1976年4月、ホートンは強盗、誘拐、強姦の容疑で逮捕され、ラスベガスの刑務所に収監された。


同年4月21日、裁判を待っていたホートンは、同房者のカルビン・ブリンソン (19歳♂) に対し腹を立てていた。

そこでもう1人の同房者と協力し、ブリンソンを殺害する。

ただ、実際はホートンが直接ブリンソンを殺害したわけではなく、同房者に刺すよう命じただけだった。

逮捕されたホートンは殺人への関与を認め、ブリンソン殺害理由を問われると、狭い空間に閉じ込められた事による自身のフラストレーションが原因だと述べた。


同年6月5日、ホートンはブッチェリとティネル殺害を認めた。

ホートンは法廷では常に笑顔でクスクスと笑い、楽しんでいる様子であった。

ホートンは殺人を認める代わりにいくつかの罪を取り下げられた。

3週間後、ホートンは2つの仮釈放の可能性がない2つの終身刑が言い渡された。

判決を受けホートンは、

「死刑の方が良かった」

と呟いた。

ホートンは刑務所に入った後、自身を不快にさせる囚人を殺すと宣言した。

ホートンは

「殺せるなら殺したいやつが何人かいる」

と述べ、それを聞いた黒人の囚人が笑い始めると、ホートンはその黒人の方に振り返り、

「笑っていいぞニガー。お前が最初になるかもしれない」

と言い放った。


同年8月3日、ホートンはブリンソンと最初の身元不明女性殺害を認め、更に2つの終身刑が言い渡された。

判決を言い渡されたホートンは落ち着いた態度であった。

判決後、ホートンは他の囚人たちにとって危険だと思われていた為、カリフォルニア州の刑務所に移送される事となった。


2010年1月3日、刑務所で死去した。

享年54歳。

余談だが、ホートンはデルマー・ブライトという女性の殺害容疑で起訴された事があったが、最終的にブライト殺害はビリー・チャッド (後日掲載) という連続殺人犯の犯行だとわかり取り下げられている。



《殺人数》
4人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1972年〜1976年4月21日



∽ 総評 ∽

ホートンは幼少期からサディスティックで凶暴であったとされている。

虐待されていたのかそもそも脳に障害があったのか、詳細がないのでよくわからない。

ホートンの殺人の理由は、ほとんどが強盗や強姦を目的としたものではなく、「気に入らないから」というものであり、動機としては自己中心的で身勝手極まりない。

人間性を知らない人からしてみれば脅威でしかなく、こんな人間が身近にいると考えると恐ろしくたまらない。

ホートンは他の囚人に対して「気に入らないやつは殺す」と宣言しており、実際に殺した。

正直、こんな利用できる犯罪者はそういるものではなく、他の囚人をどんどん殺してもらえるよう移送せずそのままにしておけば良かったのではと思う。