Screenshot_20240915-180114~2
ジョン・フッカー (アメリカ)
【 1953 〜 2003 】



ジョン・マイケル・フッカーは、1953年10月9日、アメリカ・オクラホマ州オクラホマシティで生まれた。


1971年2月13日、フッカーはハミルトン・コート地区で開かれたパーティーに参加していた。

すると、客の1人であるアルタ・K・ラング (18歳♂) と口論となる。

フッカーはラングと掴み合いの喧嘩となり、怒りが頂点に達したフッカーは銃を取り出すとラングを撃って射殺し、20歳の主催者クラウディア・ボイスと17歳のチャールズ・エドワーズ・ナセニアの2人を負傷させた。

警察が現場に到着するとパーティーを解散させ、フッカーを含む乱闘に参加した男4人を逮捕した。

そして、フッカーを発砲した人物と特定し起訴した。

だが、目撃者が警察に協力しなかった為、警察は狙撃事件であったかどうか判断出来ず、フッカーは殺人罪ではなく過失致死罪で有罪となった。

釈放後、フッカーはシルビア・C・ストークスという女性と関係を持ち始める。

フッカーはストークスの間に数人の子供をもうけたが、正式に結婚する事はなかった。

しかし、次第に関係は悪化していき、フッカーはストークスに身体的虐待を加えるようになる。

暴行に耐えきれなくなったストークスは、フッカーに対して接近禁止命令を申請した。

審問中、ストークスはフッカーから自分を遠ざけて欲しいと述べ、
「殺害された人達のように死にたくない」
と懇願した。

実はストークスはフッカーが他に殺人を犯している連続殺人犯である事を知っており、その事を指摘したのだった。

フッカーとストークスは少なくとも1度は和解し、結婚を申し出るがストークスは拒否した。

その後、ストークスは母親の住むプロビデンス・アパートに移り住んだ。

この勝手な行為にフッカーは激怒し、ストークス殺害を決意し、友人にストークス殺害を何度も伝えた。


1988年3月27日、フッカーは肉切り包丁を手にストークスのアパートに押し入ると、ストークスを滅多刺しにして殺害した。

間もなく、ストークスの母親であるドルシラ・モーガン (53歳) が騒がしさに気づいて現れるが、フッカーはモーガンも刺して殺害した。

殺害後、血だらけの服のまま自身のアパートに戻った。


同年4月5日、目撃証言と血痕により当局はフッカーを逮捕した。

逮捕された時、フッカーのズボンにはまだ血痕が残っており、フッカーは反省する様子を見せず、傲慢な態度を終始取り続けた。

圧倒的な証拠と前科によりフッカーは有罪となり、死刑判決が下された。

被害者の家族は判決を称賛し、家族全員が報道陣の前でフッカーは死刑に処されるべきだと発言した。

裁判ではほとんど証言しなかったフッカーだったが、自分が死刑判決を受ける事は覚悟しており、どのように殺人を行ったかは覚えいないと語った。

判決後、フッカーは何度も控訴するが全て却下された。


2001年、FBIが法医学者ジョイス・ギルクリストを検察側に有利な証拠偽造の疑いで告発した。

ギルクリストは有罪となり、この事は一時期問題となった。

最高裁判所がフッカーの最後の控訴、執行停止、人身保護令状請求を却下した後、フッカーの死刑が執行される事が決定された。


2003年3月25日、フッカーはマカレスターのオクラホマ刑務所で致死量の注射による死刑が執行された。

享年49歳。

フッカーは担架の上に乗せられると、死刑執行に立ち合う被害者の家族たちに微笑みかけた。

フッカーの最後の言葉は

「みんな起きてろよ。俺は出て行く」

であった。

フッカーによる確実な犠牲者は3人だが、ストークスはフッカーが女性を数人殺害している事を知っていた。

その為、フッカーによる犠牲者はもっと多い可能性が高いが、ストークス自身が殺されてしまった為、真相は藪の中である。



《殺人数》
3人 (もっと多い可能性大)

《犯行期間》
1971年2月13日〜1988年3月27日



∽ 総評 ∽

フッカーが最初に犯した殺人は18歳の時で、明らかな殺人にもかかわらず目撃者から協力を得られなかったという理由で過失致死罪になってしまった。

フッカーが何年の懲役刑になったのかよくわからないが、過失致死罪なのでおそらく数年である。

この時、終身刑か死刑になっていれば後の犯罪は起こる事がなかった。

そう考えると協力しなかった目撃者の罪は重い。

フッカーは死刑判決を覚悟していると言っておきながら何度も控訴を行った。

覚悟しているのなら無駄な足掻きは止めて受け入れよと思う。

ストークスによるとフッカーは何人も殺害している連続殺人犯であったという。

彼女自身殺されてしまった為、実際、フッカーが女性を殺したのか、何人殺したのかわからない。

ただ、釈放後、次の犯行まで (おそらく) 期間が空いているので、数人の殺害に関与しているのはほぼ間違いないと思われる。