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レイモンド・ジョンソン (アメリカ)
【 1974 〜  】



レイモンド・ユージーン・ジョンソンは、1974年3月26日、アメリカ・オクラホマ州オクラホマシティで生まれた。


1995年9月11日、オクラホマシティでジョンソンはクラレンス・レイ・オリバー (25歳♀) と口論となる。

怒りが頂点に達したジョンソンは銃を取り出し、撃つと脅した。

怖くなったオリバーは車に乗り込み逃走しようとしたが、ジョンソンは助手席側の窓から発砲した。

撃たれたオリバーの車は近くの溝に衝突し、翌日その場で遺体が発見された。


約2週間後、ジョンソンは逮捕され尋問を受けた。

ジョンソンはオリバーを撃った事を認め、裁判で過失致死罪で有罪となり懲役20年が言い渡された。


2005年、仮釈放されると、ジョンソンはタルサに移り、そこで4人の子供の母親であるブルック・ウィテカーという女性と出会い交際を始めた。

しかし、ジョンソンはウィテカーに暴力を振るい、ストーカー行為をし、殺害を仄めかす脅迫を少なくとも10回以上行った為、関係は最悪であった。


2007年4月、ウィテカーはジョンソンに対して接近禁止命令を申請したが、翌月の5月21日、予定されていた法廷審問に両者とも出席しなかった為、命令は取り消された。


同年6月23日、ジョンソンはウィテカーの自宅を訪れると、ハンマーで頭蓋骨が割れるほどウィテカーの頭部を激しく殴った。

その後、ジョンソンは火を放ち逃走した。

この放火により生後7ヶ月のカイア () が焼死し、ウィテカーも重度の火傷を負った。

消防士はかろうじて息のあるウィテカーをヒルクレスト医療センターに搬送するが、間もなく傷がもとで死亡した。

すぐにジョンソンの逮捕状が発行され、同日遅くにカウェタで逮捕された。

ジョンソンの身柄はタルサに移送され、第一級殺人2件と放火1件の罪で起訴され、ジョンソンは罪を認めた。


2009年6月、ジョンソンの裁判の陪審員選考が行われ、検察はジョンソンに死刑を求刑した。

ジョンソンは全ての罪で有罪となり、殺人罪で死刑、放火で終身刑が言い渡された。

ジョンソンは判決後に声明を出す事はなく、判決に被害者家族は歓喜した。

ジョンソンは何度も控訴するが、その都度却下された。


2019年11月、最後の控訴が最高裁判所によって却下されると、死刑執行日の設定が可能となった。


2022年7月1日、オクラホマ州控訴裁判所は、州の死刑囚25人に対して死刑執行日を設定したが、その内の1人がジョンソンであった。

ジョンソンの死刑執行は2024年5月2日に予定されていたが、司法長官ゲントナー・ドラモンドの要請により執行は延期された。

現在もジョンソンは死刑執行を待っている。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1995年9月11日、2007年6月23日



∽ 総評 ∽

最初に殺害したオリバーだが、その関係性が不明な為、何故殺人に至ったのかよくわからない。

また、銃で撃ったのを認めているのに何故殺人罪ではなく過失致死罪で有罪となったのかわからない。

だから懲役20年という軽い罪になってしまい、しかも仮釈放してしまうのだ。

最初の殺人で死刑になり処刑されていればその後の犯行は起きなかったと思うと残念である。

後は延期などせずさっさと処刑して被害者や遺族に少しでも早い平穏をもたせて欲しいものである。



✼ 追伸 ✼

本日で年末最期の記事にさせて頂きます。
次回更新は1/1におこないたいと思います。