
ハロルド・ホールマン (アメリカ)
【 1978 〜 】
ハロルド・デイヴィッド・ホールマン三世は、1978年11月28日、アメリカ・ミシガン州で生まれた。
ホールマンの幼少期についてはほとんどわかっていない。
1990年代半ば、ホールマンは家族でドイツ・ラムシュタイン=ミーゼンバッハに移住し、そこで父親は民間技術者としてラムシュタイン空軍基地に駐在した。
1990年代後半、ホールマンは父親と口論となり、父親は空軍基地を辞めトルコに移住した。
父親が去った後、ホールマンはしばらくガールフレンドの家に住んでいたが、1999年に別れると家を出てホームレスとなった。
ホームレスとなったホールマンは市内と空軍基地の間にある森の中で数ヶ月暮らし、ダッグ・アウト (シェルター) で寝て過ごした。
収入を得る為に雑務をしたり窃盗したが、1999年6月5日、窃盗により逮捕された。
逮捕されたホールマンは、6日前の5月30日に空軍大佐の息子ジョセフ・ローレンス・ホワイトハースト (21歳) を殺害したと告白した。
実際、ホワイトハーストは殺害されていた為、捜査関係者はホールマンの告白に大いに驚いた。
ホールマンは市内のバーでホワイトハーストと何度か出会い、5月29日にバーで一晩一緒に飲んだ。
翌朝、2人は近くの公園に行き、キャンプファイヤーを行った。
その後、泥酔したホワイトハーストが走り回ったり踊ったりした為、ホールマンは棍棒で頭部を殴った。
その傷がもとでホワイトハーストは死亡すると、遺体を空軍基地近くの森の中に捨てた。
ホワイトハーストの遺体は6月2日に発見されていた。
最終的にホールマンは過失致死罪で起訴され、ホールマンはキャンプファイヤーの周りで走ったり踊ったりしていたホワイトハーストに恐怖を感じ殺害したと述べた。
弁護士はホールマンが統合失調症の初期症状を示しているという精神科医の診断を示したが、ホールマンは正常だと判断された。
同年末、ホールマンは全ての罪で有罪となり、少年犯罪者に科せられる最高刑である懲役10年が言い渡された。
しかし、裁判官がホールマンに同情し、ドイツの矯正施設で6年の刑に変更した。
3年間服役したホールマンは、仮釈放が認められ釈放されると母国アメリカへ帰国した。
帰国したホールマンは親戚が何人か住んでいるミシガン州バトルクリークに定住した。
ホールマンはすぐに下宿先とトラック運転手としての仕事を得た。
2009年、ホールマンはバトルクリークを離れ、2020年までペンシルベニア州、カリフォルニア州、イリノイ州、メリーランド州と各州に移住した。
2010年代、ホールマンはアンという名の女性と結婚するが、ホールマンの束縛が激しかった為、2013年に離婚した。
以来、ホールマンはオンラインの出会い系サイトを通じて女性と出会った。
2020年12月27日、ホールマンはペンシルベニア州バトラータウンシップで、12月4日に行方不明となり12月27日早朝に遺体で発見されたエリカ・シュルツ (26歳♀) 殺害容疑で逮捕された。
シュルツは仕事に行く為にアパートを出た後に行方不明となっていた。
捜査によりシュルツとホールマンの携帯電話の履歴から12月4日にシュルツのアパートに滞在し、その後に旅行に出掛けていた事が判明した。
12月23日に1度、FBI捜査官がホールマンに尋問したが、本人が否定した事と、この時点で遺体が発見されていなかった為、逮捕出来なかった。
しかし、尋問の翌日にホールマンは逃走し、26日にカッターナイフで手首を切って自殺を図った。
だが、血が出る前に鉄道員に発見され、病院に搬送された。
適切な治療を終えた後、ホールマンはFBI捜査官にシュルツ殺害を認め逮捕されたのだった。
ホールマンは6日の早朝にシュルツと州間高速道路80号線と81号線の間の森に入り、そこでシュルツに車から降りるよう指示し、強姦した後12回殴った。
しかし、その時点でまだシュルツは生きており、そこでナイフで12回刺して止めをさしたと主張した。
2021年5月、ホールマンは別の殺人を告白する。
それは、2018年6月13日、ペンシルベニア州ベリックでボーイフレンドと口論の後、行方不明となっていたティアナ・アン・フィリップス (25歳♀) であった。
ホールマンは「デイブ」という名前を使ってオンラインで知り合った女性と頻繁にデートしていたのだが、ホールマンはフィリップスとデートした。
そして、シュルツを殺害した場所と同じ地域にフィリップスを連れ込むと強姦し、何度も殴った後に刺して殺害した。
ホールマンはフィリップスの死体の写真を撮り、それを妻アンに見せるが、その時、アンは警察に知らせなかった。
後にホールマンとアンは犯行現場に行き、白骨化した遺体を黒いビニール袋に入れ、スコット・タウンシップにある映画館近くのゴミ箱に捨てた。
アンの証言によりホールマンはフィリップス殺害でも起訴された。
数日後、ホールマンは更に別の殺人を告白する。
それは2005年6月12日まで遡り、ミシガン州バトルクリークで殺害されたアシュリー・マリー・パーリエ (21歳♀) であった。
パーリエは両親と口論となった後、家を飛び出しそのまま帰って来なかった。
ホールマンは尋問中、パーリエと親密な関係にあり、パーリエが妊娠しておりその父親が自分ではないかと疑っていたと述べた。
ホールマンによると、パーリエを車で人里離れた地域に連れて行き、そこで口論となった後に丸太で頭部を殴ったと話した。
ホールマンは遺体を森の中に放置したと主張し、2ヶ月後に確認しに行き白骨化していた事に安堵したと供述した。
告白後、ホールマンはミシガン州に身柄を引き渡され、パーリエの遺体を探しに行くが見つからなかった。
ホールマンはパーリエ殺害で起訴された。
2021年8月、ホールマンはルツェルン郡検察当局との司法取引に応じ、シュルツとフィリップスの殺害を認め、死刑を回避し仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。
判決を言い渡された際、ホールマンは平静を保ち、後悔の念や反省は一切述べず、法廷での動機などの証言を拒否した。
判決後、ホールマンはミシガン州カルフーン郡に移送された。
2022年12月14日、裁判が始まり、2023年2月1日、ホールマンはパーリエ殺害を認め、37年6ヶ月後に仮釈放の可能性がある懲役60年が言い渡された。
最後にインタビューで話したホワイトハースト殺害動機について語ったホールマンの言葉で終わりたいと思います。
「人を殺す事がどのようなものか見てみたかった。人を殺す事は麻薬では決して得られない快感だ」
《殺人数》
4人 (もっと多い可能性あり)
《犯行期間》
1999年5月30日〜2020年12月4日
∽ 総評 ∽
『Dave』と呼ばれ、ドイツとアメリカ3州で犯行を繰り返したホールマン。
ホールマンはインタビューで殺人について麻薬でも得られない快感だと述べたが、そういった快楽殺人鬼はシリアルキラーには多い。
ただ、殺人を何にも代え難い快楽と述べてる割に殺害したのはわかっているだけで4人である。
しかも、20年以上捕まらなかったにもかかわらず4人なので、もっと多いの間違いなく、10人以上殺害していてもおかしくない。
ドイツの司法について詳しくわからないが、最初の殺人の時、過失致死により少年犯罪の最高刑である懲役10年に科せられた。
まず、犯行時ホールマンは20歳になっており、とても少年という年齢ではない (ドイツでは少年扱いなのかもしれないが) 。
また、過失致死罪というのも理解出来ないし、そんなホールマンを裁判官が憐れんで減刑するのも理解出来ない。
ドイツで一生閉じ込めておけばアメリカに舞い戻り被害者を出す事がなかったと考えると悔やまれてならない。
コメント
コメント一覧 (7)
ホントですよね。
寛大さなんて鬼畜には無用です。
ちなみに世界の成人年齢一覧をネットで見つけたけど、15歳から21歳まであって、18歳、20歳、21歳が特に多いね。
一昔前のEU諸国は21歳成人だった。
そうなんですね。
何かいまいちな法律ですね。
しかも、かわいそうなやつ扱いしたせいで4年もおまけ。
その後の事件を見てみると何やっているんだと思いました。
こいつを減軽する理由なんてないだろ。
そういえば台湾でコロナ後初めて死刑が執行されたみたいです。
執行された死刑囚(以下甲A助)は2013年の10月女性(乙B子さん)を殺害し、その娘さんである乙A実さんを強姦の末殺害。
2017年に死刑が確定しました。
2025年1月16日、甲A助の死刑が執行されました。
確かに死刑は残酷ではあるけれど、死刑以上に凶悪犯罪者への減刑などのほうが残酷な結果になると思うんですがね。
そうですね。
日本も首相が代わったりコロナで死刑が全然執行されないですけどさっさと執行して欲しいですね。
その後に着いては結果論だから関係はない