
ヒューゴ・ペレス (チリ)
【 1965 〜 】
ヒューゴ・ブスタマンテ・ペレスは、1965年、チリ・キルプエで生まれた。
1987年から1989年の3年間で、ペレスは窃盗に関連した19件の犯罪に関与した。
1992年11月8日に作成された精神医学報告書では、ペレスについて分析が行われており、
「彼は何気なく自分を正当化し、自分に提示された状況や人々を操作し利用する傾向がある。自分の理念に有利な状況を求める神経質な人間だ。彼は反社会的精神病質の性格を持っている」
と報告された。
2005年、度重なる強盗の罪で服役していたペレスだが、一念発起しアルコールと麻薬を止め、青果売りとして新たな人生を始めようとする。
真面目に働き始めたペレスは、幼稚園教師で息子のいるベロニカ・バスケスと出会う。
2人はすぐに付き合い始め、ペレスは未成年のバスケスの息子の父親の役割を果たそうとした。
一見真面目になったペレスだったが、すぐにボロが出始め、稼いだお金で売春婦を買い、お金がなくなるとバスケスに借りていた。
更にお金を求めたペレスは、もっと小さな家で十分だと家を売却しようとバスケスに提案する。
だが、ペレスの目論見は、家を売って小さな安い家を買う事で銀行からローンを申請し易くなるというのが狙いであった。
しかし、その提案を何度も拒否すると、ペレスはバスケスを殴り虐待した。
バスケスの友人たちは、ペレスとの別れを切り出すが、バスケスが1人になりたくない事と、ペレスの暴力的な性格を変える自信が自分にはあると語っていた。
そして、ペレスは家を売却すると、購入した小さな家の入口で商売を始めた。
また、ペレスは家の売却で得たお金で相変わらず売春婦や麻薬を買った。
だが、ペレスの商売は上手くいかなかった為、バスケスは家族で北に引っ越す事を提案する。
2006年、バスケスが家を売却すると、ペレスはその売ったお金の在り処を尋ねた。
しかし、バスケスはペレスにお金の在り処を教えなかった。
その事に激怒したペレスはバスケスの首を掴み地面に叩きつけた。
そして、首を切り裂き絞めて殺害すると、バスケスの悲鳴と呻き声を聞いて現れた息子 (9歳) も殺害する。
殺害後、ペレスは杖を持ち、すでに死亡している2人を杖が折れるまで何度も殴った。
ペレスは2人の遺体をゴミ袋に包み、食用油を保管する為に使用していたドラム缶に入れようとするが容易に入らなかった為、2人の関節を砕いて入れた。
遺体を入れた後、石灰、石膏、水を入れて隠蔽を図った。
家の売却で得た数百万ペソを見つけると大きな家に引っ越し、そこに死体の入ったドラム缶を運び込んだ。
しかし、次第にペレスも耐えられなくなるほどドラム缶の死体の腐敗が進んだ。
ペレスはドラム缶を埋めようと考えるが、その前に隣人が異臭に耐えられず警察に通報した。
警察官がペレスの家に到着すると、中庭の土が不自然に掘り起こされているのを発見する。
そして、土の中からドラム缶を発見し、ペレスは逮捕された。
逮捕後、ペレスは殺人について詳細を語った。
裁判でペレスは2件の殺人で有罪判決となり、懲役27年が言い渡された。
ペレスは服役中、心理学者のインタビューを受けた。
心理学者に
「釈放されたらまた同じ事をすると思いますか?」
と問われると、ペレスは
「ノーとはいえない。(殺人を) しないと断言出来ない」
と述べた。
ペレスの事件がメディアに大々的に取り上げられると、チリ国内で話題となり、ペレスは『El Asesino del Tambor (ドラム缶殺人者) 』と呼ばれた。
2016年、ペレスは2032年1月に刑期を終える予定であったが、わずか11年の刑期を務めた後、条件付きで仮釈放となった。
ペレスの仮釈放は国内に衝撃を与え、多くの国民が司法制度に疑念を抱いた。
2020年7月29日朝、アンバー・コルネーホ (16歳♀) が行方不明となる。
コルネーホは実の父親から支払われる慰謝料を受け取る為、叔母の家を訪ね、母親デニス・リャノスと暮らす家に戻った後、失踪したのだった。
警察は自発的な家出を疑ったが、叔母が家を訪ねて来たコルネーホが私物を一切持っていなかった為、家出を否定した。
警察はコルネーホの母親であるリャノスのパートナーが、かつて2件の殺人で服役していたペレスだという事を知る。
ペレスはリャノスとコルネーホと一緒に同居していた。
ペレスはすぐに最重要容疑者となり、尋問を行った。
すると、ペレスはコルネーホ殺害を認めた。
ペレスは事件の経緯を話し、事件当日、自宅でコルネーホと口論となり、ペレスは鈍器でコルネーホを殴ると、口に布を詰め込み窒息死させるが、窒息死するまでの間、強姦し続けたと話した。
そして、殺害後、遺体を15個に切断し、3つのプラスチック容器に入れ家の下に埋めたと供述した。
同年8月6日、警察はペレスの言った場所を掘り起こし、コルネーホの遺体を発見する。
事件から約1ヶ月後、警察はコルネーホの母親であるリャノスを逮捕した。
リャノスはコルネーホが失踪してから数時間後にとある人物に
『落ち着いたので時間を教えて下さい。あなたがいなくなって寂しい。愛している』
と送っており、まだ家出なのか殺害されたのかわからない状況にもかかわらず、すでにコルネーホがこの世にいない事を知っているメッセージを送っていた。
これにより警察はリャノスがペレスがコルネーホを殺害したのを知っていたのに隠したと判断されたのだった。
2021年10月26日、ペレスの裁判が始まった。
2022年6月2日、ペレスには終身刑が言い渡された。

ベロニカ・バスケス&息子
《殺人数》
3人 (他犯罪多数)
《犯行期間》
2006年、2020年7月29日
∽ 総評 ∽
『El Asesino del Tambor』と呼ばれ、3人を殺害したペレス。
最初の殺人はパートナー親子、次の殺人がパートナーの娘と、周囲の人間を手にかける無慈悲な鬼畜である。
このペレスの犯行は、南米の中では比較的治安のいいチリ国内を震撼させた。
というのも、そもそも最初の犯行で懲役27年が下されているのに、何故か11年足らずで釈放され、案の定殺人を繰り返したからである。
そもそも何の罪もない親子を殺してたった27年というのも問題だが、条件付きといえど何故11年で釈放させるのか。
仮釈放させなければ、コルネーホが殺される事は100%なかった。
国民が司法制度に愕然とするのは当然であり、こんな司法なら凶悪犯がいつどこにいるか恐ろしくてたまらなくなる。
司法が犯罪者に甘いというのはどの国の事件の時にも常に言っているが、何故、国民の大多数が甘いと言っているのに厳しくしないのか。
中国など一部を除いてどこの国も洩れなく該当し、本当に理解に苦しむ事である。
コメント
コメント一覧 (12)
常にその場の空気を読まなきゃいけないのが嫌ですね。
僕自身も、言いたい事ははっきり言いたいので、拘束される事が嫌いなのかも知れません。
一方で、考えさせられる事例もあります。
これはナイジェリアですが、国内企業を批判したインフルエンサーの女性が、
逮捕された事件がありました。
ナイジェリアでも、政府と企業の癒着関係があり、
不都合な発言をした人は拘禁される事があるそうです。
中国やナイジェリアでは、インフルエンサーがメディアの替わりをしているかも知れませんが、
日本でも「メディアが報じない事を知っている」という優越感を求めたいが為に、
ある事ない事、話をでっち上げる人がいますね。
僕も含め、正直情報の取捨選択能力のない人が過半数だと思うので、
ある程度のネットの監視も致し方ない事だと思います。
現在の中国は一党独裁ですからね。
よく言論の自由とありますが、一見自由と謳ってても言論の中に言ってはいけない事があります。
現在はネット社会であり、その情報が全てで正しいと判断する人も多いと思います。
なぜ更生すると思うのか、なぜ更生すると期待するか、私には理解出来ません。
司法に関しては仰る通りそれらの国を多少は見習って欲しいですね。
国や世界情勢と犯罪は切っても切り離せないですからね。
冷戦がピークとなりいつ第3次世界大戦が起きてもおかしくなかった1970年代から80年代はアメリカで現在でも名を残すシリアルキラーが暗躍していましたし、日本の殺人件数のピークも1970年代ですし。
現在は物価高騰、円安、自民党の汚職など数々の不安定要素があり、いつ犯罪が爆発的に増加してもおかしくないですね。
ベロニカさんとその息子Aくん、アンバーさんは腐った外道にふざけたおぞましい理由でぶっ殺されてるのに小便刑。
我が国の普通の感覚でまともに考えれば・・・意味わからん。
が、チリのことを解らん限り何とも評することは難しいな。
先日OJが死んだけど、あいつも限りなく黒に近い黒。
だったんだけど、刑法的には白扱いだったし、死人に口なし。
なんとも法と市民感覚のずれ、我が国とよその国の感覚の違いがはっきり分かった事件だったと思いました。
まともじゃないですよ。
残酷なのは死刑じゃなくて犯罪者です。
それを多くの人に理解してもらいたいです。
確かに今の自民党は確かに有害ですね。
少なくとも私の目には、ペレスはそれほど魅力的には見えないのですが。
女性を誑し込んで裏切れないようにもっていくのかもしれませんね。
男としてそれほど魅力的だったのでしょうか。
私にも魅力的には思えないですが、当事者は違ったのでしょうか。