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ラモン・エスコバル (アメリカ)
【 1971 〜  】



ラモン・アルベルト・エスコバルは、1971年6月5日、エルサルバドルで生まれた。

エスコバルの幼少期についてはほとんど知られていなかったが、貧困の中、幼少期と青年期を過ごした。


1980年代半ば、エスコバルは不法移民としてアメリカへ入国するが、1988年に逮捕され、同年2月に強制送還された。


1990年代初頭、エスコバルは再びアメリカに入り、テキサス州ヒューストンの親戚の家に定住した。

エスコバルは1995年から2000年まで窃盗の罪で刑務所に収監され、その後、再びエルサルバドルに強制送還された。

翌年、エスコバルはアメリカへ戻るが、軽犯罪と不法入国で逮捕され、懲役23ヶ月が言い渡された。

服役中、エスコバルは統合失調症と診断され、ハリス郡の精神病院に移送された。

そこで数ヶ月間過ごした後、1997年から2011年まで合計6回アメリカから国外追放された。


2012年、エスコバルは再度アメリカへ入国を試みるが、ブラウンズビルの国境警備員に捕まってしまう。

エスコバルは郡刑務所に収監されるが、精神が不安定となり、ミズーリ州スプリングフィールドの精神病院に収容された。


治療が終了した後、エスコバルはブラウンズビルに引き渡されると裁判にかけられ、2013年10月、懲役2年の判決を受けた。

刑期を終えた後、エスコバルは再び国外追放となるが、すぐにアメリカへ戻り、政治亡命を申請した。


2017年1月、ついにエスコバルはアメリカの永住権が認められた。

その後、エスコバルはヒューストンにある叔父と叔母の家に移り、底で日雇い労働者として仕事を見つけた。

真面目に働き始めたエスコバルだったが、軽微な窃盗を繰り返して収入を補っていた。


エスコバルは2017年11月と2018年2月に不法侵入と窃盗で2回逮捕されるが、裁判にはかけられず罰金を支払うだけで免れた。

度重なる犯罪行為にもかかわらず、エスコバルは友人や知人からは暴力的な人物とは思われていなかった。


2018年8月26日、エスコバルはヒューストンの自宅で、叔父ロジェリオ (65歳) を警棒で殴り撲殺した。

殺害後、エスコバルは死体を処理したが、犯罪を隠すつもりはなく、ロジェリオのバックパック、靴、シャツを普通に置いていった。

その為、当初、疑惑は叔母ディナ (60歳) に向けられた。

2日後、ディナは弟の捜索をミニバンに乗って始めたが、エスコバルは出発前にミニバンに忍び込んでいた。

ディナがヒューストン郊外に車を停めると、エスコバルはディナを襲い、首を絞めて殺害した。

殺害後、エスコバルはロジェリオとディナの遺体を2つの別々のゴミ箱に捨てた。

遺体は2ヶ月後に埋め立て地で白骨化した遺体が発見された。

エスコバルはディナのミニバンを盗んでテキサス州ガルベストンに向かい、そこのビーチで車を捨て、犯罪を隠蔽する為に車に火を放ち燃やした。


同年8月30日、ロジェリオとディナの知人が警察に失踪届を出し、その結果、エスコバルが尋問を受けた。

しかし、起訴する程の証拠が何もなかった為、エスコバルは釈放された。

釈放されたエスコバルはカリフォルニア州へ逃亡した。

ロサンゼルス周辺に着いたエスコバルは、様々なホームレスの野営地で地元の一時滞在者や漂流者たちに混じって暮らした。


同年9月8日早朝、エスコバルはサンタモニカのビーチで寝ていたホームレス男性を襲撃し、野球のバットで繰り返し殴った。

男性は頭部に重傷を負うが、奇跡的に生き延びた。


同年9月10日、エスコバルはホームレスのフアン・アントニオ・ラミレス (51歳♂) を襲撃し、頭部を何度も殴った。

ラミレスは昏睡状態となり、約1年4ヶ月後の2021年1月に死亡した。


同年9月16日、エスコバルはロサンゼルスのダウンタウンで寝ていたホームレス男性3人を襲撃し、バットで殴り強盗を行った。

3人の男性の内、ブレイデン・リダウト (24歳) とケルビン・ウィリアムズ (59歳) が死亡し、ティーボン・ハーモンは生き残った。

犯行時、エスコバルは近くの建物の監視カメラに記録されており、これにより法執行機関は顔の合成を行った。

そして、襲撃者が平均的な体格と身長、黒髪、30代か40代の白人、またはヒスパニック系の男性と発表した。

また、特徴として脚が曲がっている為、明らかに特徴的な歩き方をしていた。


同年9月20日、エスコバルはサンタモニカの桟橋の下で、スティーブン・レイ・クルーズ・ジュニア (39歳♂) を撲殺した。

クルーズはこれまでの被害者と違い、ホームレスではなく、サン・ガブリエルで両親と暮らしていた。

クルーズは釣りの為にサンタモニカに行き、そこで一晩過ごそうとしていた。


同年9月24日、エスコバルはロサンゼルスのダウンタウンの路上で、ホルヘ・マルティネス (63歳♂) の頭部を殴った。

しかし、複数の目撃者がおり、警察に通報し、マルティネスは地元の病院に搬送された。

搬送された際はまだ息のあったマルティネスだったが、同年9月30日に死亡した。

マルティネス殺害からわずか数分後、エスコバルは逮捕された。

逮捕後、警察が車内を調べたところ、野球のバットとボルトカッターが発見された。

エスコバルは指名手配中の合成写真の顔と非常に似ていた為、これまでの殺人事件の最有力容疑者となった。

その後、ヒューストンの捜査当局もエスコバルのロジェリオとディナの遺体を発見し、エスコバルを殺害の容疑者だと発表した。


同年10月初旬、ロサンゼルス郡地方検事局は、エスコバルを4件の殺人、5件の殺人未遂、4件の強盗で起訴した。

5件の殺人未遂だが、エスコバルは他にも暴行事件を起こしている事がわかり、それは9月9日に襲われたカイラ・レナードとデビッド・ドットソン、9月11日に襲われたアルバート・ジーン・スコット、9月15日に襲われたミシェル・マティスであった。


同年11月8日、エスコバルは正式に起訴されるが、無罪を主張した。


同年12月、エスコバルはロサンゼルス郡刑務所に拘留されていたが、ヒューストン警察殺人課の捜査官が訪問した。

捜査官との会話の中で、エスコバルは叔父と叔母の殺害を告白し、その詳細を語った。

その結果、エスコバルは叔父と叔母殺害でも起訴された。


2019年半ば、エスコバルの弁護士は精神鑑定の申し立てを提出し、裁判所もそれを認めた。


同年10月17日、エスコバルは正常だと断定され、裁判を受ける資格があると判断された。

エスコバルこ裁判は、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックによって遅延となり、裁判は2022年初頭まで延期された。

裁判中、エスコバルは司法取引に応じ、死刑判決を受けない代わりに全ての罪を認めた。


2022年5月6日、エスコバルは仮釈放のない複数の終身刑が言い渡された。

エスコバルは個人的な敵意と、経済的苦痛から殺人を犯したと主張した。

叔父ロジェリオ殺害に関しては、口論となった時にロジェリオに生活スタイルについて侮辱された為、殺害したと述べた。

判決後、エスコバルはノース・カーン州立刑務所に移送された。

そこで、エスコバルは加重性的暴行で終身刑で服役中のフアン・ビジャヌエバ (53歳♂) と監房を共有した。


2023年2月24日、ビジャヌエバは監房で反応がない状態で発見され、間もなく死亡が確認された。


同年5月、ビジャヌエバの死因が絞殺である事が明らかになり、監房を共有していたエスコバルが殺人罪で起訴される事となった (現在まだ正式に訴追となっていない) 。


同年9月、エスコバルが同房者を殺害しようと決意した理由を記したメモを監房に残していた事が明らかになった。

そのメモによると、絞殺した理由はビジャヌエバが不衛生で、部屋を出て言ってくれと言っても拒否したからだと綴り、絞殺は5分で終わったと書かれていた。



《殺人数》
8人

《犯行期間》
2018年8月26日〜2023年2月24日



∽ 総評 ∽

エスコバルは何度もアメリカに不法入国し、その都度犯罪を犯して祖国のエルサルバドルに強制送還されていた。

それでも諦めずに何度もアメリカへ渡ったが、何かアメリカに住みたい理由でもあったのだろうか。

どんなに送り返しても、戻って来てしまうのでアメリカとしてはどうしようもないが、異様な執念さえ感じる程であった。

ただ、これだけ犯罪を犯して何度も強制送還されているのに結局永住権を取得出来る意味がわからない。

エスコバルが標的としたのは主にホームレスや不法滞在者等だったが、エスコバルも後に永住権を得たといっても元々は同じような存在であった。

同族嫌悪なのだろうか、かつての自分を思い出すので嫌ったのかもしれない。