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アンソニー・アマティ (アメリカ)
【 1976 〜  】



アンソニー・レイ・アマティは、1976年6月28日、アメリカ・イリノイ州カーボンデールで生まれた。


1992年、アマティと家族はネバダ州ラスベガスに移住した。


1994年、アマティはクラーク高校を優秀な成績で卒業するが、在学中からテレマーケティングの仕事に就いた。

アマティは27歳のトロイ・サンプソンと23歳のエドワード・ジェームズと共に、ラスベガス南部の銃器店で3万ドル (約300万円) を強奪し、銃器も75丁盗んだ。


1996年5月27日、アマティ、サンプソン、ジェームズの3人は、ラスベガス南部の駐車場で、マイケル・マッタ (27歳♂) に20発以上発砲し射殺する。

マッタはホームレスで、殺害される直前ゴミ箱を漁っていた。


同年7月、マッタが殺害された駐車場から2ブロック離れたトロピカーナ・アベニュー近くで、ジョン・ガルシア (48歳♂) を自宅ガレージで射殺する。


同年8月、アマティらは友人の家のすぐ外で、キース・ダイアー (22歳♂) を13発撃って射殺し、ダイアーの友人であるステイシー・ドゥーリーの足を撃った。

ドゥーリーは一命を取り留め、後に公判で、覆面をした3人が銃撃の間、飛び跳ね、まるでジョークのように大笑いしていたと語っている。

しかし、現場でアマティが手を切り、血痕が残った為、最終的に警察がその血痕からアマティへと辿り着いた。


同年10月、アマティらは盗んだ銃をディーラーに売ったが、売ったディーラーは潜入捜査官であり、サンプソンとジェームズは逮捕された。

しかし、アマティだけは逃走したままだった。

その後、盗まれた銃器を発見し、被害者3人全員の殺害に使用された銃である事が判明する。


1998年2月27日、FBIはアマティを「Ten most wan (10大最重要指名手配犯) 」に正式に追加した (手配リスト番号は452番) 。

FBIがアマティを追った2年間、少なくともアンソニー・レイ・ジョーンズ、フィリップ・ギトリッツ、デボン・レスティビト、シェーン・ウィリアム・ウェイド等、複数の偽名を使用していた事がわかった。

また、アマティはユタ州で何度か逮捕されていたが、毎回名前が違った為、別人である事を主張して釈放されていた事が判明した。

アマティが逃走中、人気テレビ番組「アメリカズ・モスト・ウォンテッド」で取り上げられ特集された。

その中で、アマティは武装しており危険であると述べられた。

テレビが放送されてから数日後、ジョージア州から目撃情報が寄せられ、FBI捜査官がジョージアに急行した。


同年3月1日、捜査官がアトランタのホテルに滞在しているアマティの部屋を襲撃し、無事に逮捕した。

テレビで特集がくまれてからわずか2日後の出来事であった。

アマティの父親チャーリーは、逃亡中にアマティに写真付き不正の免許証を渡したとして、業務妨害の罪で逮捕されている (後に有罪となり執行猶予と200ドルの罰金が言い渡されている) 。

サンプソンは盗品所持と銃器所持で有罪となり、1996年に20〜50ヶ月の懲役刑がいち早く下されていた。

アマティ、サンプソン、ジェームズの3人は、殺人罪で起訴されたが、裁判官が証拠を差し控えた為、地方検事によってサンプソンとジェームズの告訴は取り下げられたが、アマティの起訴はそのままであった。


1999年、アマティの裁判が始まり、殺人は主にサンプソンとジェームズによって行われたものであり、自分は銃の引き金を引いた事はないと主張した。


同年9月22日、ダイアーの母親が病気により死亡した。

夫によると息子の死を受け入れる事が出来ず、殺人犯の追跡の為に献身的に取り組んでいたという。

裁判でアマティを診察した医師が出廷し、
「彼は非常に知性が高く、善悪の区別ができ、強迫性障害の特徴の多くを示した。彼は優秀な会計士に見られる性格的特徴を備えている」
と証言した。

裁判中、アマティはサンプソンを恐れて一連の殺人に参加しただけだと主張し、自首しても誰も信じてくれないと思い逃走したと主張した。

アマティはマッタとガルシア殺害に関しては無罪となるが、ダイアー殺害では有罪となった。

判決を言い渡されたアマティは、

「このような事が起きて本当に残念だ」

と述べ、陪審員に慈悲を求めた。

アマティの弁護士は、年齢を考慮すると寛大な処罰が正当であると主張し、他の2人が釈放されているのに彼だけ処罰されるのは不公平だと述べた。

そして、陪審に仮釈放の可能性がある終身刑が妥当だと勧告した。

結局、アマティには40年は仮釈放のない終身刑が言い渡された (ネバダ州は死刑が存在する) 。

陪審員らは、アマティがダイアーを撃ったと信じているが、殺人の前に暴力事件を起こしていなかった為、命を救う事にしたと述べている。

アマティが仮釈放の資格を得るのは2038年、62歳の時である。

サンプソンは1999年8月に釈放されるが、2000年11月14日にラスベガスのコンビニエンスストアに強盗に入り放火した。

サンプソンは警報システムを無効にする為に店舗への電話線を遮断し、屋内に侵入する為に屋根に穴を開け、店舗の監視カメラへの電力線も遮断するという用意周到振りであった。

しかし、1台のカメラを見逃しており、ATMをドリルで開けようとして店舗の周りにライター液を注ぎ、火をつける様子が撮影されていた。

2002年、サンプソンは放火の罪で懲役12年と6ヶ月の判決を受け、2012年12月11日、釈放されている。


最後に判決を言い渡された際のアマティの発言で終わりたいと思います。

「私にとって40年間刑務所に入るのは生き地獄だ」



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1996年5月27日〜同年8月



∽ 総評 ∽

スリル殺人での犯行と言われている通り、強盗や強姦を目的としない、ただ殺人を楽しむだけの犯行である。

3人がどのように知り合い行動を共にするに至ったのか詳細がなくわからないが、3人の中でアマティだけが犯行時19歳と特別若い。

その為、アマティが主張したサンプソンを恐れ従ったまでだという発言も嘘ではないように思えるが、犯行の一部始終を目撃したドゥーリーは3人が銃撃の時、笑って楽しそうだったと話した。

最終的に撃った人間はいるだろうが、75丁もの銃を盗んでおり、間違いなく3人に差はない。

このアマティが40年仮釈放ない終身刑はいいとして、納得いかないのはサンプソンとジェームズである。

サンプソンとジェームズは何故か告訴を取下げられ、殺人では裁かれなかった (ジェームズについては詳細がなくどのような刑罰になったかよくわからない) 。

ダイアー殺害でアマティが有罪になるのはわかるとして、サンプソンとジェームズが殺人罪を取下げられたという事は、マッタとガルシアは誰が殺した事になるのか。

アマティが3人を殺害した罪でというのならわかるが、アマティが有罪となったのはダイアー殺害のみである。

仮にアマティの言ってる事が正しいとして、サンプソンとジェームズが主体となっての犯行であれば、あまりに罪の落差があり過ぎる。

一体、どういう理屈でこんな事になるのだろうか。