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デイビッド・ドーソン (アメリカ)
【 1957 〜 2006 】



デイビッド・トーマス・ドーソンは、1957年10月20日、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴで生まれた。

ドーソンは3人兄妹の2番目で、他2人は姉妹であった。

父親はいくつかの事業を経営していたが失敗し、その為、家族はアメリカ国内を転々と過ごし、カリフォルニア州、コロラド州、フロリダ州、モンタナ州と移り住んだ。

子供の頃、ドーソンは病弱で不器用であった為、友達を作るのが苦手であった。

ドーソンは若い時に結婚し、娘が生まれた (と言われている) 。

しかし、後に離婚すると、1980年代初頭、建設業に就く為にモンタナ州に移動し、コルトストリップで仕事を見つけた。

ドーソンはビリングスでアパートを借り、週末はそこに滞在した。

ドーソンはマリファナやメタンフェタミンなどの薬物に手を出し、麻薬中毒者となってしまう。


1986年4月18日、ドーソンはモンタナ州ビリングスにあるロッドスタイン一家が滞在しているモーテルに侵入する。

そして、一家をすぐ隣の自分のモーテルの部屋に行くよう強制した。

ドーソンは一家4人をテープで縛り、猿轡をはめ、その間に金品を奪った。

その後、翌日19日の2日間で、一家4人の内、デイビッド (39歳♂) 、妻のモニカ (39歳♀) 、息子のアンドリュー (11歳♂) の首を絞めて殺害した。

もう1人の子供であるエイミー (15歳♀) は2日後にモーテルのドーソンの部屋で生存している所を発見された。


同年4月21日、一家の死体が発見されたこの日、ドーソンは逮捕された。


1987年2月、ドーソンは約14時間の審議の結果、計画的殺人3件、誘拐4件、強盗1件で有罪判決となり、同年4月15日、死刑が言い渡された。

ドーソンは判決を受け入れ、控訴する権利を放棄した。


2006年8月11日、ドーソンに致死量の注射による死刑が執行された。

享年48歳。

ドーソンの最後の食事は、ダブルチーズバーガー2個、フライドポテト大盛り2つ、バニラアイスクリーム0.5ガロン (約2kg) 、ドクターペッパー2本であった。

また、最後に何か言いたい事はあるかと尋ねられると、

「いいえ」

と答えた。

ドーソンの死刑執行は、2006年、モンタナ州としては唯一の執行で、1976年、アメリカで死刑が復活以降では3人目であり、1998年以来、8年振りの執行であった。

また、モンタナ州は現在も死刑を廃止していないが、ドーソンを最後に現在まで17年以上執行されておらず、現時点でモンタナ州で最後に執行された死刑囚となっている。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1986年4月18日〜19日



∽ 総評 ∽

ドーソンは何の罪もない一家を強盗目的で殺害したが、それはモーテルの一室に監禁し、2日間に渡って行われたものだった。

首を絞められて殺害されたのはわかっているが、犯行の詳細についてはわからない。

ただ、2日間に渡って行われたくらいなので、おそらく拷問され残虐に殺されのは間違いない。

また、唯一生き残った娘は特に重傷を負っていたという詳細はなかったが、間違いなく強姦されていたであろう。

おそらく、何度も何度も満足するだけ強姦したと思われ、唯一殺さなかったのは情でも湧いたからであろうか。

モンタナ州はアメリカで死刑が復活して以降、このドーソンを含んでわずか3人にしか執行していないが、死刑判決自体も10人にしか言い渡されておらず、非常に死刑に消極的な州であった。

ただ、消極的といってもそもそもモンタナ州はアメリカの中でも犯罪率が低く、比較的平和な州であり、そもそも死刑をあまり必要としないともいえるが。