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ジェイソン・ガマシュ
(カナダ)
【 1977 〜 1997 】




ジェイソン・ガマシュは、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州ナナイモで家族と住んでいた。

ガマシュが2歳の時、両親は離婚し、6歳の時に父親が一時期ガマシュの監護権を得た為、父親と住み始めた。

父親はガマシュを厳格に規律をもって育てようとした。

その教育は肉体的・精神的虐待があったとされ、そんな父親に育てられたガマシュの精神は歪んでいった。

ガマシュは父親のポルノテープを見つけ視聴する。

内容はオーラルセックスが含まれており、初めて目の当たりにしたガマシュは強い衝撃を受ける。


1990年、ポルノテープに触発されたガマシュは、4歳の子供2人に強制的に口淫させようとして逮捕された。

ガマシュは性的暴行により有罪判決を受け、裁判所命令によりセラピーを受ける事となった。

一家は世間の汚名から逃れる為、ナナイモから同州のコートネイに引っ越した。

当時、カナダでは性的暴行で有罪判決を受けた者の記録を義務付ける法律が存在しなかった。

その為、一家が引っ越して来た時点ではガマシュの過去を知っている者は近所にいなかった。

ガマシュは学校に通い始めるが、学校での成績は良くスポーツマンで、ラグビーチームのキャプテンを務めた。

また、親切で礼儀正しかった為、同級生に人気があり、近所の人からは好青年として見られていた。

そんなガマシュを隣人のショー一家は信頼していた。

2人の子供 (息子と娘ドーン) もガマシュを慕い、ガマシュも子供達と心から楽しんでいる様子であった。


1992年10月のある日の午後、ドーン (6歳) の両親が子供達の世話をいつものようにガマシュに任せていた。

すると、ガマシュはドーンを誘い、「一緒に隠れ場所を探そう」と騙して人里離れた森の中に連れ込んだ。

そこでドーンを強姦すると殺害し、最後に顔面を強く踏みつけその場を去った。

ドーンの遺体を発見した男性はすぐに警察に通報する。

警察は現場に残された足跡と、ドーンの顔に残った靴跡を発見した。

その後、捜査の結果、靴跡から犯人をガマシュと断定し、逮捕した。

ガマシュが逮捕されると、ガマシュを知る人々は「信じられない」と一様に驚きをみせた。

事件の残忍性からあまり詳細が公開されなかった為、推測や憶測が飛び交った。

ただ、法廷ではガマシュが犯行を告白した際の様子を録画したビデオテープが流された。

ガマシュは警察に犯行の経過を説明し、どのようにドーンを強姦し殺害したかを説明した。

ガマシュはドーンの叫び声が10歳の兄に聞こえるのを恐れた為、殺したと話し、死ぬ直前にドーンが「ママ」と呼んだので黙らせたと語った。

裁判でガマシュはいかにドーンを愛していたか話し、酷く落ち込んだ様子であった。

だが、警察はガマシュがドーン殺害の詳細を告白した時、異様に冷静で冷淡に見えたと話し、このため法医学精神科医はガマシュを解離性同一性障害と診断した。

ガマシュは自分の悪い行動は「カール」と呼ばれる人格が行っていると話し、カールのせいにした。


1997年、留置所の看守が午後10時半頃に定期の確認に行ったところ、首を吊ってすでに死亡しているガマシュを発見した。

享年20歳であった。



《殺人数》
1人 (他性的暴行)

《犯行期間》
1992年10月



∽ 総評 ∽


カナダは法律上、死刑制度が廃止されたのは1999年だが、事実上1963年1月に廃止されている。

その為、ガマシュが死刑になる事はなかった。

ガマシュが犯罪を行った当時、カナダには性犯罪者の記録を義務付ける法律が存在しなかった為、別の土地に逃げて来たガマシュの犯罪歴を周囲の人々が知る事はなかった。

アメリカは性犯罪者の所在についてネットで確認出来る事が出来るが、当然日本は出来ない。

1度、日本でも導入すべきという話が上がった事があったが、いつの間にかフェードアウトしてしまい、今では話題にも上がらなくなってしまった。

反対する人のほとんどが「人権」を主張するが、落ち着いて冷静に考えて欲しい、相手は性犯罪者である。

まともに一生懸命生きて納税している人間の生活を脅かす犯罪者に人権などない。

よく性犯罪者の再犯率の高さが取り沙汰されるが、基本的に犯罪率は他の犯罪とさほど変わらない。

個人的には性犯罪者だけではなく、犯罪者 (重犯罪者) は全て登録して欲しいくらいである。

唯一の救いは早々に自殺してくれた事だろう。