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モハメッド・ナザリ (イエメン)
【 1948 ~ 1997 】



モハメッド・アフマン・アル=ナザリは、ソ連・アフガン戦争に参加した退役軍人であった。

ナザリは5人の子供がおり、イエメンの首都サナアで暮らし、ムサビン・ヌサユ学校のバスドライバーとして働いていた。


1997年3月30日、ナザリは不法に入手したカラシニコフ突撃銃で武装すると、タライ・スクールへ向かった。

そこでアスマ・アル=バリ校長を待ち伏せし、頭を撃って射殺した。

そして、食堂の従業員を射殺し、続けて助けに来たバスの運転手を負傷させた。

ナザリは校舎に入り、教室から教室へと歩き回り、教師や生徒を無差別に撃った。

その後、ナザリは近くのムーサー・ビン=ヌサイル学校へ行き、そこでも銃乱射を行った。

ナザリは計6人 (校長、教師、食堂の従業員、生徒2名、傍観者) を射殺し、12人を負傷させ、最終的には自身も負傷し逮捕された。

ナザリの動機だが、タライ・スクールに通う娘の1人が学校管理者から性的虐待を受けたと知った為、犯行に及んだのだった (しかしそれを確認する証拠は見つかっていない) 。

また、ナザリは事件の数日前にバスの運転手を解雇されていた (理由不明) 。

ナザリは裁判にかけられると6件の殺人で有罪となり、翌日には死刑判決が言い渡された。

ナザリの娘たちは判決を不服として裁判で争ったが敗れた。


同年4月5日、ナザリは事件を起こした2つの学校の間にある空き地で、銃殺による死刑が執行された (胸に5発の銃弾を浴びた) 。

処刑後、ナザリの死体は3日間公共の場で磔になる予定であったが、その予定は中止となり、代わりに死体は怒り狂った市民によって蹴り飛ばされサナアの街中で焼却される事となった。

余談だが、強姦されたとされる娘は5年後に自殺し、他の4人の子供たちは2006年に列車事故で全員死亡している。



《殺人数》
6人 (他負傷者12人)

《犯行期間》
1997年3月30日



∽ 総評 ∽

娘が学校管理者から強姦された事に対する犯行とされるが、実際に強姦されたかは不明である。

ナザリが娘から聞いたのか、強姦した本人から聞いたのか、バスの運転手をしていた事から情報が入ったのか詳細がなくわからない。

仮に事実だとしたらナザリに同情は出来るが、6人全員が強姦と関係あったとは思えない。

その為、とても許される犯行ではないが、イエメンの判決から執行までの早さは凄いものがある。

事件から1週間後には処刑されており、これこそ見習うべき司法である。

ただ、強姦されたとされる娘は自殺し、他の兄妹たちも全員が事故で死亡するというナザリの事件以降、呪われたかのような一族の結末は、何か虚しさや悲しさがある。