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アルトゥール・ヴァガノフ (ジョージア)
【 1955 ~ 1997 】



アルトゥール・ヴァガノフは、バシキリア出身のロシア人であった。

ヴァガノフはトツコエ師団の偵察大隊で2年間の義務教育を受け、二等軍曹に昇進し、小隊の副司令官になった。

1年後、ヴァガノフはジョージア・アブバス紛争地帯の平和維持軍に自発的に入隊した。


1997年4月15日、ヴァガノフは副司令官としてアブハジアに到着し、2日後に平和維持活動を開始した。

ヴァガノフは国連軍事監視員やロシア平和維持軍の報道官から非常に厳格で効率的な兵士で酒もタバコもやらないが、心理的に任務に適さない人物だと言われていた。

ただ、勤務振りは概ね好評であった。


同年5月14日、アブハジアとジョージアの戦争後、停戦の監督を任務とする独立国家平和維持軍をアブハジアとジョージアの国境に派遣する合意が結ばれた。


同年6月1日午前5時、公務を終えたヴァガノフは、ガリの南方約15キロのシダ村とナバケビ村の近くにある北部安全地帯の第203監視所の兵舎に入った。

そこで監視所の通信を遮断し、他の全ての武器を収納、または無効化した後、AK-47で武装するとベッドで寝ていた仲間に向かって発砲した。

その後、2階に向かうと中隊長のセルゲイ・ガブリロフを射殺し、アレクセイ・スモトリンを負傷させた。

そして、銃声を聞いて駆けつけた見張りの兵士の頭を撃つと、最後は自らを撃って自殺した。

この銃撃で駐屯していた19人の兵士の内、10人が死亡し、7人 (この内3人が重症) が負傷した。

動機については不明であったが、いじめが原因ではないかとされている。



《殺人数》
10人 (他負傷者7人)

《犯行期間》
1997年5月14日



∽ 総評 ∽

ヴァガノフが使用したAK-47は、抜群の利便性、卓越した耐久性と信頼度から多くの国で使用され、「世界で最も多く使われた軍用銃」としてギネスに登録されている程の銃であった。

その為、容易に10人を殺害するに至った。

動機については本人が死んでしまっているため不明だが、いじめが原因ではないかとされている。

軍でのいじめはどの国でもあり深刻な問題となっている。

こういった軍人による犯行は、銃の扱いや鍛え抜かれた身体能力により被害者が多くなる傾向にあり、非常に厄介で恐ろしい。