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エミリオ・イスキエルド (スペイン)
【 1934 ~ 2006 】



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アントニオ・イスキエルド (スペイン)
【 1938 ~ 2010 】



カバニージャス家とイスキエルド家との争いは、1967年にアマデオ・カバニージャスがプエルト・ウラコのマヌエル・イズキエルドの農場に鋤で侵入した際の境界紛争から始まった。

当時、アマデオはルシアナ・イスキエルドに片思いしており、両者は恋に落ちたが、結局アマデオは結婚を拒否し、ルシアナはショックを受け、両家の関係は更に悪化していく。


1986年、ジェロニモ・イスキエルドが刑期を終えて出所する。

ジェロニモは1984年10月18日に家の火事で死亡したイサベル・イスキエルド・カバレロの復讐の為にプエルト・ウラコに戻って来る。

というのはイスキエルド家が警察の捜査で犯人は見つからなかったにもかかわらず、アマデオの兄アントニオ・カバニージャスを事件の犯人だと非難した。

ジェロニモはアントニオに殺すつもりでナイフで襲いかかる。

アントニオは負傷するものの一命を取り留めた。

ジェロニモは逮捕され、精神病院に収容された後、同年8月17日に死亡した。


1990年8月26日、エミリオとアントニオ兄弟は、姉妹のアンジェラとルチアナに別れを告げると、

「キジバト狩りに行ってくる」

と言い残して家を出た。

エミリオとアントニオはハンターの格好をしており、12口径の自動散弾銃で武装すると、路上の裏で待機した。

そして、やって来たカバニージャス一家に対して発砲を行った。

2人は特にアントニオを探していた。

その後、路上で偶然出くわした関係ない通行人に対しても発砲を行った。

この銃撃で死亡したのはレイナルド・ベニテス・ロメロ (62歳♂) 、マヌエル・カバニージャス・カリージョ (55歳♂) 、イサベル・カリージョ・ダビラ (70歳♀) 、イサベルの息子アンドレス・オヘダ・ガラルド (36歳♂) 、アラセリ・ムリーリョ・ロメロ (60歳♂) 、アントニア・ムリーリョ・ロメロ (58歳♂) 、ホセ・ペンコ・ロサレス (43歳♂) と、他にカバニージャス家の2人の姉妹、エンカルナシオン (13歳) とアントニア (14歳) は広場で遊んでいる所を至近距離から残酷に撃たれた (即死は7人で後に病院で2人が死亡した) 。

負傷者は12人以上で、中には半身不随となり一生車椅子生活となった人もいた。

銃撃後、逃走した兄弟は隣人の通報で市民警備隊の一部隊が到着し、銃撃戦が展開される。

この銃撃戦で市民警備隊2名が負傷し、兄弟はシエラ・デル・オロの丘に向かって走った。

銃撃から9時間後、市民警備隊が眠っている兄弟を発見し、2人は抵抗せず逮捕された。

拘留されたエミリオは

「私がずっと苦しんできたように今こそ町を苦しめよう」

と述べ、後悔の様子を微塵も見せず、アントニオは

「あなたが私たちを捕まえなければ私たちは死者の埋葬 (葬儀) の間に全員を撃つ為に戻って来ただろう」

と話し、自分達は殺戮を続けなければならないと主張した。

兄弟は全部で20人撃ったと述べたが、実際は21人であった。

法廷の外では殺されたエンカルナシオンとアントニアの父親であるアントニオ・カバニージャスは復讐の為ナイフを持って待ち伏せしたが、建物を警備していた市民警備隊に拘束され武装解除された。


1994年1月25日、兄弟2人にはそれぞれ懲役684年、賠償金3億ペセタ (約2億7500万円) の判決が言い渡された。

判決を言い渡した判事は、
「彼らの知能は標準的なものであり、その事実は彼らが約1000頭の羊の群れを管理している事からもわかる。彼らはプエルト・ウラコの町の住民をできるだけ多く絶滅する計画を述べた。彼らは時間や場所から多くの人を殺す事が出来ると話し、犯行には路地と夜を選んだ」
と述べた。

また、2人について
「文化的原始主義と人間生活に対する軽蔑を決定する感情的貧困。異常な社会的孤立と閉鎖集団による恐怖症と強迫観念を培った」
と強調した。

検察側は当初、姉妹のアンジェラとルチアナが兄弟の犯罪を誘発したとして起訴した。

しかし、裁判官が決定的な証拠は見つけられないとし、姉妹を無罪放免にした。


2005年2月1日、ルチアナが精神病院で77歳で死去すると、同年11月、妹のアルジェラも同じ精神病院で64歳の生涯を終えた。


姉妹の死から約1年後の2006年12月13日、バダホス刑務所で監房内で死亡しているエミリオが発見された。

エミリオは心臓病を患っており、それが死因とされた。

葬儀には弟のアントニオが参列し、

「兄よ、安らかに眠れ。我々の母の仇は討たれたのだから」

と墓の横で述べた。


2010年4月25日、イスキエルド兄弟最後の1人であるアントニオがベッドのシーツで首を吊って自殺した。

イスキエルド兄弟は5人であったが、誰も子孫がいなかった為、アントニオの死を持って血統は途絶えてしまった。

また、カバニージャス家は唯一虐殺から生きながらえたのはマリ・カルメンだけで、カルメンは2人の子供を生んだ。

しかし、この子供達は2番目にカバニージャス姓をとった為、イスキエルドとカバニージャス両方の姓は消滅してしまった。

この事件は様々なメディアで扱われ、1999年にはスカパンクバンドによって曲が歌われ、2004年には映画が公開されている。



《殺人数》
9人 (他12人負傷)

《犯行期間》
1990年8月26日



∽ 総評 ∽

積年の恨みを果たしたイスキエルド兄弟だが、犯行後も一切反省や後悔を示さない程、その憎しみは異常なものであった。

元々家の敷地内に侵入したというのがきっかけだが、普通なら謝れば済む話である。

謝らなかったのか謝り方が悪かったのか、謝ったのにイスキエルド家の態度が悪かったのか詳細はわからない。

個人の恨みであればある程度晴れてくる事もあるが、一族と一族の恨みである。

正当性がないとしてもその恨みはかなりのものであったと推測される。

ただ、結果、両家が消滅するという何とも虚しい結果になってしまい、正直一体何の為の犯行だったのかと思ってしまう。