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ジョエル・スタインバーグ (アメリカ)
【 1941 ~      】



1962年、ジョエル・スタインバーグ (1941年5月25日生) は、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨークにあるフォーダム大学を卒業後、ロースクール (アメリカにおける法曹養成を目的とする法学教育機関) に通うが1964年に中退した。

翌年からアメリカ空軍に入隊し、軍務の後、ロースクールに戻った。

その後、ロースクールでニューヨークの弁護士資格を取得した。

だが、当時、ベトナム戦争が勃発していた為、徴兵によって学業を中断された弁護士は、司法試験の受験資格を免除された。

その為、スタインバーグは司法試験を合格した正式な弁護士ではなかった。

スタインバーグはマンハッタンのグリニッチ・ビレッジのアパートに、ヘッダ・ナスバームと同棲していたが、他にリサとミッチェルとも暮らしていた。

リサとの関係性だがスタインバーグはシングルマザーのミッシェル・ランダーズにリサに相応しい養父母を探すよう依頼されていた。

その為、リサを家に連れ帰り、ナスバームの元で育てさせた。

スタインバーグはリサについての正式な養子縁組の書類は提出しなかった (その為、正式な養子とはなっていない) 。


1987年11月1日、スタインバーグはクラック・コカインの影響でリサの頭部を殴った。

攻撃後、スタインバーグは友人とパーティーをする為にアパートを出て行くが、ナスバームは911に連絡した。

警察が到着すると、リサはセイント・ビンセンツ病院に搬送された。

しかし、リサはすでに意識がなく植物状態であり、3日後に生命維持装置を外され死亡した。

リサの死に加え、ミッチェルとナスバームもスタインバーグから身体的虐待を受けていた形跡が見つかった。

スタインバーグが弁護士という事と、ナスバームの姿がボロボロで手入れされていない様子からリサの死を伝えるメディアは熱狂し大いに煽った。

ナスバームはスタインバーグに不利な証言を行う事で、リサの死に関して起訴されない事になった。

というのも、ナスバームはリサが意識不明で出血しているにもかかわらず、10時間以上アパートに一緒にいてリサの為に何の治療も行わなかった (その為、保護の観点から本来は起訴される予定であった) 。

スタイバーグの裁判は12週間に及び、弁護士はナスバームの虐待跡は2人の合意の上で行われたサドマゾヒスティックな関係から生じたものだと主張した。

ナスバームの弁護士は、家庭内暴力を受けていたにもかかわらずスタインバーグと一緒にいたのは被虐待症候群の兆候であると主張した。

当時のニューヨーク州では、第一級殺人は警察官を殺害した者、あるいはすでに過去の殺人事件で服役中に殺人を犯した者にのみ適用されると決められていた。

陪審員はスタインバーグを第二級殺人の罪では有罪に出来なかったものの、第一級過失致死罪で有罪とした。

ハロルド・ロスワックス判事は、スタインバーグに8年4ヶ月から25年の不定期刑を言い渡した。

また、弁護士資格を剥奪された。

スタインバーグは2度に渡って裁量仮釈放を拒否されたが、その主な理由は殺人に対して反省を一切示さなかった為であった。


2004年6月30日、グッドタイム法 (収監中に善行した受刑者は最高刑期の3分の2以上を服役した後に釈放される) に基づき、スタインバーグは仮釈放される事となった (後にニューヨーク州は暴力的な重罪を犯した受刑者には7分の6以上に引き上げられている) 。

スタインバーグは服役中、ほとんどをニューヨーク州のサウスポート矯正施設で過ごしたが、これは他の受刑者から襲われるのは防ぐ為だとされた。

出所後、スタインバーグはハーレムに移り住み、建設業に従事したが、無実を主張し続けた。


2007年1月16日、ニューヨーク州最高裁判所は、スタインバーグに対しリサの親であるランダーズに1500万ドル (約16億円) の賠償を支持した。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
1987年11月1日



∽ 総評 ∽

スタインバーグは弁護士という立場でありながら殺人を犯した。

そもそも、スタインバーグが弁護士に相応しいという問題がある。

人格は言わずもがなだが、試験自体もベトナム戦争により免除されている為、知能的にも及んでいない可能性もある。

殺害した子供も正式な養子縁組の手続きを踏んでおらず、弁護士として考えられない。

しかも、そんな輩が当時の司法制度により第一級殺人ではなく裁けず、すでに外に出ている。

善良な市民の為ではなく、犯罪者の為に存在する司法というのは一体何なのだろうか。