
アントワネット・シエリ (フランス)
【 1890 ~ ? 】
アントワネット・シエリは、1890年、イタリアで生まれた。
シエリは幼少期にフランスに移住した事以外、その生い立ちについてはほとんどわかっていない。
第一次世界大戦の初期、デュランの死傷者整理所で働き、そこで犯罪を始めた。
シエリは負傷者から現金や宝石を盗み、家族に送る手紙に署名を偽造し、郵便で金銭を要求した。
1915年、シエリは将校の給料袋を盗んだ罪で刑務所に収監されるが、翌年に釈放された。
自由を手に入れたシエリは、サモンという名のイタリア兵士と結婚する。
シエリは2人の子を産むが、不貞行為を繰り返した為、それを知ったサモンは家を出て行った。
その後、シエリはジョセフ・ロシニョールという名のアルコール依存症の男性と結婚する。
しかし、ロシニョールは酔っては定期的にシエリを殴った。
シエリは何度かロシニョールを暴行罪で訴え、刑務所に入ったが、その都度和解し生活を続けた。
1920年、一家は南フランスのサン=ジルという村に引っ越した。
シエリは『Nurse Scieri (ナース・シエリ) 』と名乗り、世話を必要としている高齢の患者を募った。
そして、世話をする代わりに (高額の) 金銭を要求した。
シエリの元には多くの高齢者が集まるが、高齢者や病人が相次いで突然死した。
同年12月11日、独身女性ドルーア (58歳) が死亡し、同年12月24日にはラシャペル夫人が死亡した。
ラシャペル夫人は最後、痙攣して亡くなった為「プトマイン中毒 (屍毒とも。食中毒の一種) 」によるものとされた。
2日後、ラシャペルの夫が倒れると、シエリは心臓発作が原因だと主張し、親切な医師もそれに同意した。
こうしてシエリはこの月だけで5人の患者を殺害した。
1925年1月1日、ロシニョールは酔った勢いでシエリを殴った。
我慢の限界に達したシエリは、ムール貝をロシニョールに与え、それを食べたロシニョールは2時間後に死亡した。
ロシニョール殺害後、シエリは乱交パーティを開き自由を祝った。
次にシエリは患者のマリー・マルタン (67歳♀) と妹のマダム・ドワイエにコーヒーを淹れた。
ドワイエは「苦い」と言ってコーヒを捨てるが、マルタンは飲み干してしまった。
間もなくマルタンは死亡するが、この事がきっかけでシエリに疑惑の目が向けられる。
最後の犠牲者はグアン=クリケ (70代♀) で、元々病弱であったがシエリの看護で急速に健康状態が悪化し死亡した。
クリケの夫が警察に疑惑を告げ、調べるとクリケのベッドの下からエーテルと除草剤ピラリオンの混合物の入った瓶が見つかった。
これを受け、ロシニョールをはじめ数人の犠牲者の遺体を掘り起こし解剖した所、全ての遺体からピラリオンが検出された。
拘留されていたシエリはこれまでの犯行を告白し、隣人も共犯者と言って巻き込もうとするが、後に隣人は潔白が証明された。
1926年4月27日、シエリは12人の殺人の罪で死刑が言い渡された。
判決を言い渡した判事は
「あなたは怪物と呼ばれているがその表現では十分ではない。あなたは堕落し、あらゆる悪徳に手を染めている。偽善者で恥を知らず、これまでの司法の歴史であなたのようなタイプの犯罪者の記録は多く残っていません」
と述べた。
その後、シエリは減刑され終身刑となり、そのまま刑務所で死亡した (いつ死んだかはわかっていない) 。
《殺人数》
12人
《犯行期間》
1924年?~1925年
∽ 総評 ∽
『Nurse Scieri』と自ら名乗り、高齢者や病人を看護するつもりで毒殺していったシエリ。
シエリはナースと名乗っているが、おそらく免許など持っていなかったであろう。
女性の連続殺人の特徴の1つである「強欲」だが、シエリは暴力的な夫も毒殺しており、もはや気に入らない事があれば全て殺すという恐ろしい鬼畜であった。
死刑判決から終身刑となった理由については詳細がないが、現代ならまだしもまだ厳罰であった時代に何故そんな事になったのか。
女性というのが理由なのか政権の問題なのかわからないが、さっさと処刑して欲しいものである。
コメント
コメント一覧 (13)
あいつは怪物という表現すら生ぬるいと評しているのに、捨て台詞がせいぜいだったのが悲しいです。
元々死刑にもできたし、死刑しか選択肢のないゴミなのに。
一般人にしか牙を剥けてないのは相当卑怯で堕落している証拠
きっとムショで天寿を全うしたのでしょう。
むかつく。
いつ死んだのかわかりませんが天寿は全うしたでしょうね。
何故処刑しなかったのか。
時代が悪い方に作用したのかもしれませんね。
キュリー夫人も、夫という後ろ盾を失って以降の後半生は、
マスコミの誹謗中傷に耐えながらの研究を強いられたようですから。
フランス革命以降は、女性の権利拡大を説いたジョルジュ・サンドが登場しましたが、
庶民階級まで男女平等の思想が浸透するまで、死後数十年と掛かりましたからね。
1975年まで中絶も禁止されていた事から、カトリックの権限が非常に強く、
未だ女性や子供に厳しい社会の名残りがあるのでしょう。
謎ですよね。
女性に優しくないのなら余計にですよね。
中絶禁止て他の国でもあった法律ですが、強姦とかで望まぬ妊娠をしてしまった人にも中絶はダメとか身勝手過ぎますよ。
個人的に女性のこういった殺人は本当に恐ろしいです。
人を殺す事に何の躊躇もないですから。
しかし死刑にならなかったのは本当に残念ですね
殺人犯罪抑止の観点からも処刑すべきでした
何故死刑を回避されたのか理解に苦しみます。
未成年というのはどうしても判決が甘くなってしまいます。
まだ未熟というのが理由にありますが、司法というのはどうしても加害者側に立ちます。
被害者からすれば相手は誰だろうと関係ないのです。
お前は怪物と表現しているがその表現すら生ぬるいと評していますが、それで評するのがせいぜいだったのが悔しいですね。
日本でも除草剤や農薬を使った連続殺人事件や心中事件が多発したせいか、より安全で効くネオニコチノイドやグリホサートがよく使われるようになったそうです。
この2種は強い効力や持続力のわりに人畜毒性や魚毒性はそう強くないのだとか。
対して有機リン系やパラコートなどの除草剤は人畜毒性や魚毒性は相当強いが、あまり長くはきかないのも多いし使えないのも多いとのこと。(アセフェート系など一部例外もあり)。
私は環境のことを考えるなら農薬は使うなです。
しかし、農薬、特に除草剤のおかげで農閑期、特に夏の草取りの時間を減らしてその時間を余暇などの時間に充てれる点を考えると複雑ですね。
殺虫剤とかもそうですが、人を死に至らしめる事の出来る物って容易に手に入れる事が可能です。
ただ何もかも廃止したり規制するというのは無理があり、やはり使う側の問題ですね。