
マート・リングマー (エストニア)
【 1938 ~ 2021 】
1957年、マート・リングマー (1938年5月30日生) は産業企業向けの電気機器の学位を取得し、1968年には電気駆動装置と産業機器の自動化の学位を取得してタリン工科大学を卒業した。
2005年11月11日、リングマーは逮捕される。
リングマーは1998年から2005年の間にタリンのペー通りで爆発事件を起こしていた。
リングマーは7年間で12個の簡易爆弾を作ると公共の場所を11回爆破した。
この爆破により7人が死亡、6人が負傷していた。
2001年4月11日にタリンのプナネ通りの15番地にあるキオスクに爆発物を設置し、2003年11月19日にはペー通り23番地のロビー爆発物を届けた。
また、リングマーは虚偽の情報を含むワークブックをタリンの年金委員会に提出したとして非難された。
これに基づいて2001年5月から2005年11月まで合計2万255クローネ (約36万円) の老齢年金がリングマーに不当に支払われていた。
2009年3月23日、ハリュ県裁判所は爆発機器の違法な取り扱い、殺人未遂と詐欺でリングマーを有罪判決とし、懲役15年を言い渡した。
検察官はリングマーの犯罪行為がエストニア史上最悪なものの1つであると述べ、終身刑を要求していた。
2020年11月11日、リングマーは重病を理由に刑務所から釈放された。
2021年6月30日、リングマーは病気により死去した。
享年83歳。
《殺人数》
7人 (他6人負傷)
《犯行期間》
1998年~2005年
∽ 総評 ∽
『The Bomb man of Pae street (ペー通りの爆弾男) 』と呼ばれ、数年間に渡って公共に爆弾を仕掛け爆発させたとされるリングマー。
近年の事件であり、国内史上最悪の事件の1つといわれる割りに詳細が非常に少ない (エストニアではそんな事はないのだろうが) 。
そもそも数年間爆弾を爆破させ、7人を殺害したにもかかわらず、殺人ではなく殺人未遂で有罪判決というのがよくわからない。
死んだ人は証言する事が出来ず証拠がなかったからだろうか。
また、重病だからといって釈放する意味も理解出来ない (ただし逮捕されてから刑期である15年目ではある) 。
生きていて辛いと思わせるくらいなのが妥当であるのに、何故犯罪者にこんな待遇にするのか納得いかない。
コメント
コメント一覧 (8)
なんで普通の人間として死なせたんだよ。
せめて罪人として死なせるべきだったな。
そうですね。
病気が重いから外に出すとか理解に苦しみますよ。
エストニア自体が小国なので、連続爆破事件は世間を震撼させたでしょうね。
経歴を見ると、若くして学位を取得し、恐らく教授くらいまで上り詰めた秀才ですが、
何が原因でこうなったのでしょう。
90年代と言えば自治権を回復して日も浅いので、
不安定な社会情勢が関係したのかも知れません。
そういえば北海道などの日本の地方も、
中国などの海外資本に買い取られているという話を聞きます。
北海道も衰退が激しく、人口が札幌や首都圏に流れる一方ですからね。
中国が進出を強めるアフリカでも、中国人は侵略者として嫌われているそうです。
しかし、日本も日本で、バブル期に日光や沖縄をリゾート開発し、
そこに暮らす動物を追いやった過去があります。
バブル崩壊により、建設途中のホテルやマンションは、そのまま廃墟となりましたが、
改めて見るとバブル期の資本の力に驚かされます。
福島の処理水の事もそうですが、日本という国が地方と都市部を差別しているから、
体の弱った組織を海外資本に食い荒らされる事になるのです。
本人はおそらくテロリストのつもりはないのでしょうね。
やってる事は完全にテロリストですけど。
賢かったのは間違いないようなので勿体ないですよね。
中国人が土地を買い漁ってますね。
ただバブルの時は日本もアメリカの土地を買ってましたからそういうものなのかもしれません。
まぁ一番不気味なのは異常に甘い処罰ですけど。
本当にそうですね。
まあ何にせよ生かしておいても百害あって一利なしなのでさっさと処刑すべきでしたね。
ボビー・シニアは3人を殺した殺人鬼になったジュニアに憧れて3人を殺害しました。
今度調べてみます。