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ジョン・モレーノ (コロンビア)
【 1979 ~ 1998 】



ジョン・ハイロ・モレーノ・トーレスは、1979年、コロンビアの首都ボゴタで生まれた。

モレーノは経済的問題を抱えた機能不全の家庭で育った。

13歳の時に学校生活を辞め、1990年代にフォンティボンとケネディで活発に活動していたギャングのリーダーとなった。

当時、ボゴタで最も恐れられたギャングであった。

モレーノは様々な地域で発生したいくつかの殺人や強姦事件に関与していた。

モレーノはギャングのリーダーとして銃器、マチェーテ、ナイフを使って何人もの人を殺害した。

ギャングは拡大していき、市内のいくつかの地域に定住した。

その結果、他の犯罪組織を駆逐し、麻薬の密売を独占するようになった。

コロンビア当局は徹底的に調査を行い、ギャングのメンバーを捕まえる戦略を立てる。


そして、モレーノのパートナーが住む場所を突き止め、現場で張り込み戻って来たモレーノを逮捕した。


1998年6月11日、ボゴタのラ・モデルノ刑務所に収監されたモレーノは殺害された。

享年19歳。

数人の囚人がモレーノを殴り、刺して最終的に銃を使って12回撃って射殺した。

モレーノは公式には4人の殺害に関係しているのはわかっているが、10人から20人の殺人を犯したと考えられている。

モレーノの殺人は全て苛烈で暴力的であり、犠牲者の1人であるオマール・セペダ・レンドンは銃で処刑された後、バラバラに解体され燃やされるとケネディ通りにばら蒔いた。



《殺人数》
4人 (10~20人の可能性大)

《犯行期間》
1997年~1998年



∽ 総評 ∽

『Johnny the Leper (のけ者のジョニー) 』と呼ばれ、ギャングを率いて数々の犯罪を繰り返したモレーノ。

いくつの時にギャングのリーダーになったのかはわからないが、19歳で殺されているのでかなり若くしてなったのは間違いない。

若さの割に犯行は残虐であり、すでに完成された異常者であった。

何が驚きかというと、殺されたのは良い事であるが刑務所で銃で撃たれるという事実である。

すでに刑務所として破綻しており、南米らしいといえば南米らしい出来事ではあるが。