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セバシュティアウ・オリベイラ (ブラジル)
【 1915? ~ 1976 】



セバシュティアウ・アントニオ・デ・オリベイラは、1915年10月7日、ブラジル・サンパウロ州アンパロで生まれた (生年月日については実際は不明で1916年という説もある。また、出身地についても諸説あり) 。

オリベイラは子供の頃から精神的な問題を抱えており、それは年々悪化していった。


1938年、そんなオリベイラだったが結婚し、数人の子供に恵まれた。


1950年代に入ると、オリベイラの精神は限界に達した。


1953年、オリベイラはアティバイアにいた時、8歳の少年を誘拐すると強姦し殺害した。

その年の暮れにブラガンサ地方で別の少年の強姦された形跡のある死体が発見された。

オリベイラは逮捕され、カランディル刑務所に収監された。

裁判所から要請された精神鑑定の結果、オリベイラは治療の為にフランコ・ダ・ローチャ病院に移送された。


1958年、模範囚であったオリベイラはジュケリ精神病院に移された。

翌年、オリベイラはジュケリ病院を脱走し、各地を放浪した結果サンパウロで落ち着いた。

オリベイラは妻と娘と一緒にタトゥアペ地区に住んだ。


1959年7月10日、オリベイラは娘を誘拐して逃亡した。

妻は当局に報告し、当局はオリベイラの経歴によりサンパウロとその周辺の地域の捜索を行った。

翌日、オリベイラは娘を強姦した後、カンピーナスのモギ・ミリム街道に娘を捨てて再び逃走した。


1963年、未成年の少女を強姦してアダマンティーナで逮捕され起訴される。

オリベイラは再びフランコ・ダ・ローチャ病院に送られた。


1969年、医療報告書によって「純粋な性犯罪者」に分類されたオリベイラは、タウバテ病院に移送され、1973年2月24日、監視下付きで釈放された。

その後、オリベイラは放浪しながら物乞いして過ごし、1974年半ばにブラガンサに落ち着いた。


同年12月26日、オリベイラはマリア・ジャネテ (6歳♀) 、同年12月29日にはバルディール (8歳♂) を誘拐し、強姦して殺害した。

また、その間に他に4人の子供を襲った。

逃げた子供たちの証言から犯人をオリベイラだと特定された。

警察が捜索中、更にアナ・アパレシーダ (6歳♀) とロサンジェラ (7歳♀) 姉妹が行方不明となる。

2人の失踪がニュースで報道されると、ブラガンサ市全体がパニックに陥り、親は子供を外で遊ばせる事や学校に行かせるのを止めさせる程であった。

その後、22日間の捜索の末、オリベイラはアンパロで逮捕された。

オリベイラは身柄をブラガンサに送られ、そこで4人の少女殺害を告白した。

そして、行方不明であった姉妹の遺体を捨てた場所に捜査官を導いた。

犯人が逮捕されたニュースが流れると、オリベイラをリンチする為に群衆が警察署を取り囲んだ。

オリベイラをカンピーナス刑務所に移送する為に実に50人の警察官が護衛にあたった。

オリベイラは裁判を待っている間、他の囚人たちからも殺すと脅された為、アティバイア刑務所に移送された。

裁判長によりオリベイラを裁判にかけるべきがどうか判断する為の精神鑑定を依頼されるが、精神鑑定は実施されなかった (理由は不明) 。


1976年1月7日、オリベイラは独房で首を吊って自殺した。

享年60歳。



《殺人数》
6人以上 (他強姦多数)

《犯行期間》
1953年~1975年



∽ 総評 ∽

The Monster of Bragança (ブラガンサの怪物) 』と呼ばれ、6人以上の少年少女を殺害したオリベイラ。

この鬼畜も例によって何度も釈放され、犯罪を繰り返した。

「私は変態で異常者です」と何度もアピールしているにもかかわらず、何故バカの1つ覚えのように外に出すのか。

こんなのはもはや国により国民へのテロ行為と言っていいレベルである。

子供だったら誰でも良かったのだろうか、10歳に満たない子供ばかりを狙った鬼畜であった。

その為、逮捕されると民衆がリンチを求めて警察署を取り囲む程であり、しかも、その鬼畜な犯行は他の囚人たちからも嫌われ殺すと脅される程であった。

オリベイラは最後自殺しているが、それがそれらのプレッシャーに耐えきれなくなっての事であればまさに自業自得、ざまあみろと言ってやりたいくらいである。