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オレグ・ザイキン (ロシア)
【 1972 ~ 2006 】



オレグ・アナトリーヴィッチ・ザイキンは、1972年、ロシア (当時はソ連) ・ザイクラエヴォで生まれた。

母親は地元の学校で、父親は工場でそれぞれ働いており、家庭は裕福であった。

両親はザイキンに愛情をかけるが、ザイキンは子供の頃から行動に逸脱が見られ、閉鎖的で無愛想に育った。

そして、近所の家のドアを燃やしたり学校の教科書を破壊するなど、反社会的な行動をとるようになった。

また、ザイキンはよく嘘をつき、法を犯し警察にマークされていた。


1992年、ザイキンは陸軍に徴兵された。

ザイキンは自殺未遂するが、そのまま軍に残った。

ザイキンは仲間の兵士から性的暴行を受け、興奮し易く予測不可能な行動をとるようになる。

友人に突然暴行を加える事もあったが、その時、未知の快感を覚え、それ以来、被害者を拷問する時に快感を覚えるようになる。

兵役後、ザイキンは働く気はなかったが、父親に強制され父親が働く工場に連れて来られた。

1ヶ月後、ザイキンは仲間と一緒に勤務する工場に大規模な強盗事件を起こした。

それを知った父親は首を吊って自殺してしまう。

ザイキンは家から出ないよう言われていたが姿を消してしまい、連邦政府から指名手配された。

ザイキンは偽造書類を手に入れ盗みで生計を立てるようになる。


2001年、ザイキンはチェリャビンスクで同居人の女性を殴り殺した。

ただ、ザイキンは女性を殺すつもりはなく、殴ったらたまたま死亡してしまった。


2005年、ザイキンはエカテリンブルクで女性と2人の幼女 (3歳と4歳) を殺害する。

ザイキンは3人共強姦し、首を絞めて殺害した。

殺害後、アパートから4万5000ルーブル (約6万7000円) を盗んだ。


2006年4月、ザイキンはオレンブルクで殺人を犯し、同年5月にはカザンで女性 (49歳) と若者 (16歳) を殺害した。


同年8月、モスクワ近郊ゼレノグラードで少女 (11歳) 誘拐し強姦した。

少女は数ヶ所刺されて重傷を負うが一命を取り留めた。

少女が犯人の一時的な居場所を示した事で、報道が大々的に行われた。

ザイキンはチュメニとウラン・ウデで殺人を繰り返し、その間に何百件もの強盗事件を起こした。

ザイキンは1階の窓から侵入し、指に粘着テープを巻いて指紋を残さないようにしていた。

また、いくつかの殺人を試みたが、未遂に終わったが、更にいくつかの強姦事件を起こした。

ザイキンの身元はすぐに判明したが、長い間放浪生活を送っていた為、容易に逮捕出来なかった。

警察はザイキン逮捕の為に報奨金を用意した。


同年10月6日、ザイキンはウファにある賃貸アパートで逮捕された。

アパートからは26cmの狩猟用ナイフ、強姦に使用されたコンドームのパックが見つかった。


同年11月20日、ザイキンはベッドのシーツで首を吊って自殺した。

自殺によりザイキンの刑事事件は抹消された。



《殺人数》
9人以上

《犯行期間》
2001年~2006年9月?



∽ 総評 ∽

『The Chernikov Maniac (チェルニコフの怪物) 』または『The Urals Chikatilo (ウラルのチカチーロ) 』と呼ばれ、9人以上を殺害したザイキン。

ザイキンは裕福な家庭で何不自由なく育ち、また、親は愛情をかけたが、それに反してザイキンは幼い頃から異常な行動を示した。

虐待で異常になるのはよくある事だが、おそらくザイキンは生まれながら脳に異常があったと思われる。

ザイキンは強姦に強盗、そして、殺人と凶悪犯罪の全てを網羅した鬼畜であった。

ザイキンは最後、自殺して果てたが、この時のロシアはすでに死刑を廃止しているのでさっさと自殺してくれたのは非常に素晴らしい事である。

この鬼畜とは関係ないが、ついにロシアがウクライナへ軍事侵攻を行った。

ロシアは「侵攻はあくまで自衛の為」と主張しているが、攻めておいて自衛とは片腹痛い。

今後、欧米の動きによってはどうなるか想像もつかず、緊張感が続く情勢に目が離せない。