
アンタナス・ヴァルネリス (リトアニア)
【 1971 ~ 1994 】
アンタナス・ヴァルネリスは、1971年、リトアニア・テルシェイ地区ダドッカイで生まれた。
ヴァルネリスは他に6人 (男3人女3人) がいる7人兄弟であった。
両親はアルコール依存症で、その為、幼いヴァルネリスを含む子供達は様々な施設に預けられ、ヴァルネリスはヴェイエシュビレ孤児院に入った。
孤児院でのヴァルネリスは控えめで無愛想であり、よく孤児院を抜け出し近所をうろついた。
そして、窃盗や非社会的行為を繰り返した。
11歳の時、ヴァルネリスは非行少年たちの為の全寮制の専門学校に入った。
しかし、ヴァルネリスはアルコールを飲み、タバコを吸い、弱い者をいじめた。
ただ、自身より強い者には敬意を払った。
ヴァルネリスは窃盗や家出を繰り返し、学業への意欲も見られなかった。
退学後、ヴァルネリスには仕事場で寮が提供され、また、農業学校で学ぼうとするがすぐに断念した。
1987年8月、食料品店でビール瓶12本と鶏肉1羽を盗んだ罪でヴァルネリスは初めて有罪判決を受けた。
ヴァルネリスは精神病院で検査を受け、軽度の知的障害と顕著な精神病質の傾向があると診断される。
ただ、裁判を受ける事は可能だと判断され、2年3ヶ月の教育コロニー入りを宣告されるが、判決は延期された。
数ヶ月後、通行人を襲い財布を奪い、懲役4年を言い渡された。
1992年1月14日、ヴァルネリスは釈放された。
釈放後、ヴァルネリスは孤児院の知人と同棲していたが、すぐに喧嘩となり家を出ると農場で働く兄のもとに去った。
ヴァルネリスは兄に寄生し、兄の稼いだお金で生活しアルコールを乱用した。
同年6月、ヴァルネリスは13歳の少女をナイフで脅して強姦しようとし、パン1個と300ルーブル (約450円) を盗んだ。
その後、ヴァルネリスは定住せず様々な村を放浪した。
同年7月、ヴァルネリスは弟と共にシャキアイ郡サムオリネにある林業家の家を襲い、弟は逮捕されたがヴァルネリスは逃亡した。
同年7月28日、ヴァルネリスはシャキアイ地区で、孤独な地元の住民 (70歳) を殴り殺した。
警察は容疑者を6人逮捕するが、その中にヴァルネリスは含まれていなかった。
容疑者として逮捕された6人は全員がアリバイがあり間もなく釈放された。
ヴァルネリスは人の集まる場所を避け、徒歩で移動し適当な納屋で寝泊まりした。
同年8月18日、ヴァルネリスはテルシェイ地区で、孤独な年金受給者 (♂) を襲い、12000ルーブル (約18000円) を奪う。
そして、男性が生きている間に食べて殺害した。
警察は2件の殺人事件に関連性を見出だす事が出来なかったが、ヴァルネリスが盗品を売った2人の男性から証言と顔の合成図を作成した。
同年8月末、ヴァルネリスはジュルバルカ地区に到着すると、孤児院時代の友人と出会い、一緒に農場で働く事となった。
同年10月31日、ヴァルネリスは86歳の老人の家に侵入し、斧で頭部を数回殴った (老人はこの時点ではまだ生きていたが、1週間後、傷が元で死亡した) 。
老人を襲撃後、お腹がすいたヴァルネリスは家に留まり卵を焼き始めた。
すると、老人の親戚が様子を見に家にやって来る。
ヴァルネリスは親戚に対し家事を手伝っていると話した。
不審に思った親戚が近所の住人に確認しに向かうと、その隙にヴァルネリスは森の中に隠れ、遠くから騒ぎを見ていた。
同年11月14日、ケルメ県パクラザンティスの近くで、ヴァルネリスは孤独な年金生活者 (68歳♀) を斧で9回殴り殺害する。
ヴァルネリスは自転車、レインコート、コーヒーグラインダー、ヘアスプレー、自家製ワイン数本、食料品等を盗んだ。
ヴァルネリスは少なくとも1日以上は犠牲者の家に滞在した。
老婆の死体は1週間後にストローで覆われた状態で発見された。
警察は5人の容疑者を逮捕するが、全員のアリバイが証明された為、釈放された。
同年11月20日から21日にかけて、ヴァルネリスはシャウレイ県ラウデナイ付近で空き家に侵入し、その後、48歳の男性と69歳の女性を斧で襲った。
2人は命に別状なかったが、バイクや6000リトアニアタロス (約2300円) を奪った。
同年12月5日、ラセイニアイ地区ケリヴァイで、ヴァルネリスは女性 (92歳) を殺害し、その義理の娘 (68歳) を負傷させる。
ヴァルネリスは家の中でシャンパンを見つけるとそれを飲み、一晩中家に残った。
そして、帰る際に数本の酒、時計2つ、金の結婚指輪2つ、食料品、15000リトアニアタロス (約6000円) を盗んだ。
義理の娘は生きている状態で発見されるが、後に病院で死亡した。
4日後の9日、ヴァルネリスの写真がテレビで放映されると、新聞に掲載され国民に情報提供を求めた。
内務省は犯人逮捕の為の対策本部を設置し、警察も捜査を続けた。
自身が指名手配されている事を知ったヴァルネリスは戦法を変え、昼間は廃屋や納屋で眠り、夜に行動するようになった。
そして、首都のビルニュスへ向かった。
同年12月21日、ヴァルネリスは地元の人に刺青によって確認され、その日の内に逮捕された。
ヴァルネリスはすぐにこれまでの殺人と強盗を告白した (ただ、強姦未遂については告白しなかった) 。
ヴァルネリスは精神科の法医学検査を受け、裁判を受ける資格があると結論付けられた。
裁判で弁護側はヴァルネリスの障害や困難な幼少時代、また、素直に犯行を自白し警察に協力した事実を主張した。
更に弁護士はヴァルネリスへの2回目の精神鑑定を求めたが、それはヴァルネリス本人に拒否された。
ヴァルネリスは最終陳述で前述の全ての状況を考慮し、終身刑を求めた。
しかし、1994年2月1日、ヴァルネリスには銃殺による死刑が言い渡された。
同年9月16日、当時の大統領アルギルダス・ブラザウスカス大統領はヴァルネリスの慈悲の嘆願を却下した。
同年9月28日、ビルニュスでヴァルネリスの死刑が執行された。
リトアニアは死刑を廃止するまで7人の死刑を執行しているが、ヴァルネリスはその中で5人目であった。
《殺人数》
6人 (他3人負傷)
《犯行期間》
1992年7月28日~同年12月5日
∽ 総評 ∽
ヴァルネリスは基本的には強盗を目的とした犯行であり、特に引退した高齢者を狙うといった卑怯極まりないものであった。
ただ、生きている内に食人を犯すという異常振りも見せていた。
また、殺害後にその家に留まるという世田谷一家殺害事件の犯人のような大胆不敵さを兼ね備えていた。
個人的に思うのは警察の捜査のざるさ加減である。
容疑者を6人と5人拘束するのはいいのだが、それら全員をアリバイがありとして釈放している。
そもそも、アリバイを確認せずにとりあえず拘束している警察が恐ろしい。
普通、まずアリバイがあるか調べないものだろうか。
そんな捜査を行っていると必ずいつか冤罪が生まれてしまう。
ヴァルネリスは死刑となり刑場の露と消えたが、現在のリトアニアには死刑がない。
恩赦の拒否、判決から執行までの早さ、この頃のリトアニアに戻って欲しいものである。
コメント
コメント一覧 (12)
やっぱり案の定パワーアップ。
警察はやっぱりまだまだソ連体質が残っているけど、死刑まで速いのはまだ救いようがあります。
こいつの様子を見てみると腹立たしさ感じなかったし。
パワーダウンするわけないんですよね。
仰る通り死刑があって執行がはやいのが救いですよ。
失業率の高さから人口流出が深刻で、高齢化率も高いです。
日本国内においても、比較的南が栄え、北が衰退しているのも同じような構図でしょう。
北海道も釧路、函館、室蘭は夏は快適ですが、衰退が激しい理由も、それ以上に冬の気候が過酷だからでしょう。
永住するなら沖縄や関東に近い静岡や長野が人気ですからね。
自殺率が高いというのは確かに日本に似てますね。
寒いよりも暑い方が断然良いですからね。
生きて行き易いですし。
元々出身の人はいいですが新たに住むにしてはかなり過酷な環境といえます。
死刑を廃止しては いけません。
再び死刑を復活させるべきです。
復活させるべきですね。
この事件もやくたたずな警察のせいで被害が拡大しましたね死刑になってるのが唯一の救いか今は死刑がないから同類が出現しないことを祈るしかないですね。
典型的な弱い者いじめタイプですね。
警察もあまりに酷過ぎますよ。
ただそれでも死刑判決となって執行されてるだけ遥かにましですね。
一回一回奪う金額も少額だし、金が尽きたらその都度襲ってたって感じがします。
刺青くらい隠せそうですが、その金も無かったのでしょう。自分が死ぬのは恐くて終身刑を求めるというのも許せないですね。
典型的な小物の悪人て感じですよね。
何もかもが情けない。
処刑されて本当に良かったです。
孤児院送りですからすでに出来上がっているのは目に見えてますね。
少女への強姦、ホームレスと高齢者への強盗殺人がそれを如実に物語っています。
死刑は当然であり、つつがなく処刑されているのはよかった。
犯罪者を崇拝する集団もいますが、弱者を欲望のまま好き放題したバカもいっぱいいるんですよ。
今日のクソのように。
プリズングルーピーという存在もいるくらいですからね。
こんな輩を生かしておくから崇拝とか尊敬する愚か者が誕生するのです。
即刻惨めに処刑すればそんな気も失せるでしょう。