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劉 子業 (リィゥ・ズーイェ 中国)
【 449 ~ 466 】



劉子業は、449年2月25日 (元嘉26年1月17日) 、武陵王劉駿の長男として生まれた。


453年、劉邵が文帝を殺害して帝を称すると劉子業は監禁される。

父親の劉駿が即位すると劉子業は一転皇太子に立てられた。


464年7月12日 (大明8年5閏23日) 、父の死により5代皇帝に即位した。


同年8月、劉子業は劉義恭、柳元景、顔師伯を殺害し、同年9月、劉子鸞に死を命じ、同年11月には何邁を獄死させ、沈慶之を殺すなど次々に身内や配下を殺害した。


466年1月1日 (景和元年11月29日) 、叔父の湘東王劉彧らにより後堂で殺害された。

享年16歳。

殺害された時、劉子業は華林園というハーレムで寵姫と鬼ごっこしている最中であった。

劉子業は廃帝とされたが、後に従兄弟で7代皇帝劉昱も廃帝となった為、区別する為に前廃帝と呼ばれている。

劉子業は幼い頃から家臣に暴力を振るう残虐な一面を持ち、また、実の姉と関係を持ち淫行を繰り返した。

父親の劉駿を嫌っていた劉子業は、死亡した劉駿の墓を暴き糞尿をかけようとした。

母親が病気で危篤となった時は、「病室に鬼が出る」と言って見舞いに行かなかった。

即位後はその淫行振りに拍車がかかり、すでに家臣の妻となっていた美しいと評判の姉の劉楚玉に夢中になり関係を迫った。

だが、すぐに飽きて劉楚玉を捨てるとその事に激怒する。

劉楚玉は男好きとして有名で、劉子業に迫ると美少年30人を用意させた。

次に劉子業は伯母の劉英媚に目をつけ、強引に妻にしてしまう。

劉英媚は重臣の何邁の妻であり、何邁はこの事に激怒し、劉子業の廃立を画策するが事前に計画は漏れ逆に殺された。

劉子業は側近たちに宮中の女性を犯すよう命令し、その行為を見て興奮するという異常な性癖を披露した。

また、劉子業は気分で殺人を行い、前述した重臣や宗室を次々理由をつけて殺害した。

実の弟や妹たちも父親に気に入れられているという理由だけで殺し、父親の兄弟たちを嫌い「豚王」「殺王」「賊王」等とけなし、竹籠に閉じ込め四つん這いにしてご飯を食べさせるという仕打ちを行った。

特に劉彧 (6代皇帝) は太っていた為、「豚王」と呼び、裸にさせると泥水の張った大穴に入れ桶に入れた雑草とご飯を口で食べさせた。



《虐殺数》
数十人?

《在位期間》
464年7月12日~466年1月1日



∽ 総評 ∽

後に後廃帝となる劉昱とは従兄弟同士であるが、この廃帝コンビは抜きん出て異常であった。

それは廃帝となるのも頷けるものであった。

劉昱は人を殺す事に、劉子業は淫行を犯す事に喜びを感じており、まさに異常一族といえる。


ただ、考えなければならないのは、今から1500年以上も前の話であり、しかも、勝者によって殊更悪人に仕立て上げられている可能性である。