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トリスタン・ブリス (オランダ)
【 1977 ~ 2011 】



トリスタン・ヴァン・デル・ブリスは、両親とアルフェン・アーン・デン・レインの集合住宅に住んでいた。

ブリスは銃撃協会のメンバーであり、3丁の銃を所持していた。

また、ブリスは妄想型統合失調症を含むいくつかの病歴を持っていた。


ブリスは2006年に自殺を試みた後、精神科病棟で10日間過ごした (2008年にも自殺を試みている)。

ブリスは生物を殺す事で神を罰する事が出来ると信じていた。

ブリスは1999年に起こった「コロンバイン高校銃乱射事件」に夢中になり、自身も同じ事を行いたいと願った。

そして、犯行日を2011年4月9日に決めた。

この日に決めたのは、4月9日がエリック・ハリスの誕生日であったからだった。


2011年4月9日午後12時8分 (12時8分に犯行を始めたのはハリスが自殺した時間がこの時間だった、ブリスは防弾チョッキを着てスミス&ウェッソンの銃、コルトM1911、0.44マグナムリボルバーで武装すると、アルフェン・アーン・デン・レインのショッピングモールで犯行を始める。

最初にブリスは外で人を撃ち、それからモールの中に入った。

そして、ブリスは100発以上銃弾を発射する。

センターには多くの買い物客がおり、銃声と悲鳴が飛び交いパニックに陥った。

一通り銃撃が終わると、ブリスは最後自身を撃って自殺して果てた。

ブリスの銃撃による犠牲者は全部で6人 (80歳、49歳、42歳の男性3人と、91歳、68歳、45歳の女性3人) で、負傷者17人という大惨事であった。

警察がブリスが乗って来た車を調べると、市内の3つのモールに爆発物を残したというメモが見つかった。

その為、モールの従業員や客は避難し店舗は封鎖された。

当初、殺害された中にシリアの詩人とジャーナリストがいた為、ブリスが特定の人物を狙ったのではないかと憶測が流れたが、結局、ランダムに無差別に攻撃した事がわかった。


翌日の10日、モールで追悼式が行われ、式には数千人が参加した。

式にはマルク・ルッテ首相、オプステルテン大臣、当時のアルフェン・アーン・デン・レイン市長代行も出席した。

事件後、ロッテルダムの17歳の少年が銃乱射事件を起こすと Twitter に投稿した事で逮捕された。

また、他に Twitter で同様の投稿を行ったとして4人が逮捕されている。


2019年9月20日、オランダ最高裁判所は、アルフェン・アーン・デン・レイン警察が、明らかに精神疾患に苦しんでいる加害者に銃器の免許を交付した事について責任があると結論付けた。

この決定により、アルフェン・アーン・デン・レイン警察は被害者とその家族が被った全ての損害の責任を負う事となった。

また、事件後、銃の所持に関する法律が改正され、より厳しい規則が設けられている。



《殺人数》
6人 (他負傷者17人)

《犯行期間》
2011年4月9日



∽ 総評 ∽

瞬間大量殺人者 (マス・マーダラー) は数十分から数時間程度で何人、何十人と殺害し負傷させてしまう。

これは何年にも渡って数人から数十人殺害するシリアルキラーと比べ、時間単位にすると遥かに多く勝る。

また、瞬間的な為、もの凄い衝撃を与え強く印象に残る。

その為、このブリスの事件の後のように模倣が生まれ易い。

ただ、ブリス自身もかの「コロンバイン高校銃乱射事件」に衝撃を受け強く影響を受けていた。

銃乱射事件の歴史は「コロンバイン高校銃乱射事件」以前・以後で大きく分かれると言っても過言ではない。

以後に起こった事件は、ほぼ「コロンバイン高校銃乱射事件」の影響を何らかの形で受けていると断言しても差し支えない。

以前までの事件は、それぞれがそれぞれの思考で犯行に及んでいるが、以後の事件は「コロンバイン高校の事件かっけぇ」という憧れから入っている傾向にある。

迷惑以外の何物でもないが、確かに衝撃的な事件であったのは間違いない。

ブリスは犯行前に何度も自殺を試みており、この時に死んでいれば後の惨劇は起きる事はなかった。

こういった悪人の悪運の強さはなんとかならないものだろうか。