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ウィクトル・フォーキン (ロシア)
【 1935 ~ 2003 】



ウィクトル・フォーキンは、1935年2月19日、ロシア・ノヴォシビルスク州モシュコルスキー地区モシュコヴォで生まれた。

高校を卒業するとフォーキンは軍隊に入り、除隊後、ノヴォシビルスク半導体デバイス工場で働き始めた。


1950年代後半、フォーキンは結婚し子供も生まれた。

長らく務めた工場でフォーキンはリーダーであり、ベテランであった。

フォーキンは順調な人生を歩んでいたが、1988年に妻が亡くなった頃から雲行きが怪しくなっていく。

フォーキンは難聴に苦しみ、その苦痛を紛らわす為にアルコールを飲み、売春婦を買うようになる。


1990年代に入ると、フォーキンは無気力となり何もしなくなった。


1996年4月、フォーキンは初めての殺人を犯す (1995年12月ともいわれる) 。

その後、フォーキンは殺人を繰り返すのだが、犠牲者は18歳から55歳の女性であった。

フォーキンは標的にアルコールや薬物中毒で特定の居住地のない売春婦を選んだ。

その為、彼女たちが姿を消しても誰も気に留める事はなく、警察も捜査を真剣に行わなかった。

フォーキンは鉄道広場で犠牲者と出会い、家に連れて帰り強姦して殺害した。

ただ、殺害方法は様々で、首を絞めたりトイレで溺死させたり刺したりした。


フォーキンの最後の殺人は2000年3月5日で、バスルームで死体を解体した後、遺体を家の近くのゴミ箱に捨てた。

すると、人間の臓器の入った血まみれの袋を見つけた男性がそれを持って警察署を訪れた。

警察は解体された死体が見つかった地域を徹底的に調べ、また、外部監視と待ち伏せによる組織が作られた。


こうして、同年3月7日から15日の間にフォーキンは逮捕された。

フォーキンの自宅を捜索すると、沢山の犠牲者の所持品が見つかった。

フォーキンは尋問で全ての犯行を告白した。

フォーキンは少なくとも10人を殺害し、その内9人の遺体は発見されたが誰1人特定する事は出来なかった。


2001年5月、フォーキンの裁判が始まり、検察官は懲役20年を求刑した。

フォーキンは矯正労働コロニーで19年の禁錮刑が言い渡された。


2003年、フォーキンは死亡した。



《殺人数》
10人

《犯行期間》
1996年4月~2000年3月5月



∽ 総評 ∽

『The Pensioner Maniac (年金受給者の狂人) 』または『The Grandfather Ripper (お爺さん切り裂き魔) 』と呼ばれ、10人の女性を殺害したフォーキン。

フォーキンは結婚もし、仕事も順調で何の問題もない生活を送っていたが、妻の死をきっかけに精神を病んでいった。

また、難聴が更にフォーキンの精神を追い詰めていった。

フォーキンは60を過ぎてから殺人を始めるという殺人鬼としてはかなり遅咲きであった。

元々異常だった様子はないので、おそらく犯罪も行っていなかったと思われる。

それが、妻の死をきっかけに10人も殺害に至った。

人間いつどうなるかわからないという事だろうか。