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トーマス・プロヴェンザノ (アメリカ)
【 1949 ~ 2000 】



1984年1月10日、トーマス・ハリソン・プロヴェンザノ (1949年6月6日生) は、ショットガン、アサルトライフル、リボルバーと共に大量の弾薬を持ってアメリカ・フロリダ州オーランドにあるオレンジカウンティ裁判所に入った。

プロヴェンザノは電気技師として働いていたが、この時失業していた。

2人の保安官、ウィリアム・アーノルド・ウィルカーソン (60歳♂) とハリー・ジョーダン・ダルトン (53歳♂) がプロヴェンザノに近づくと、プロヴェンザノはリボルバーで2人を撃った。

2人を撃ったプロヴェンザノは続いて刑務官マーク・リンゼイ・パーカー (19歳♂) を撃った。

プロヴェンザノは逮捕されるが、動機は5ヶ月前に無秩序な行為で起訴されており、その時に起訴した警察官を殺害する目的で裁判所に行ったのだった (撃たれた3人は起訴とは無関係であった) 。

頭部を撃たれたウィルカーソンは即死、同じく頭部を撃たれたダルトンは脳に損傷を負い部分的な麻痺を起こした後、1991年に死亡した。

民間人を庇って背中を撃たれたパーカーは脊髄を損傷し、首から下が麻痺した。

そして、2009年に傷がもとで死亡した。

ウィルカーソンはかつてアメリカ海軍に所属していており、少佐として第二次世界大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争に参加したベテランであった。

また、ダルトンもアメリカ陸軍に勤務した経験があり、伍長として朝鮮戦争に参加していた。


1984年7月18日、プロヴェンザノには死刑が言い渡された。

プロヴェンザノの死刑執行日が1999年7月14日に設定されるが、プロヴェンザノは電気椅子による死刑となったのだが、電気椅子は残酷で異常な罰であると主張し訴えた。

プロヴェンザノは自身をイエス・キリストであると信じており、自身の処刑とキリストの磔を比較して語った。

結局、最終的にプロヴェンザノの処刑方法は薬殺刑に変更された。

2000年6月21日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年51歳。

死刑を見届けたダルトンの息子ゲイリーは、
「ゲームは終わった。このゲームに勝者はいない」
と述べている。

プロヴェンザノの死刑執行は2000年、アメリカ全体の49番目であり、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、647番目。

フロリダ州としては2000年の4番目であり、死刑が復活して以降では48番目であった。



《殺人数》
3人

《犯行期間》
1984年1月10日



∽ 総評 ∽

いつも思うのだが、こういった復讐 (今回の場合は100%本人が悪く復讐とは言わないが) を行う場合、何故全く関係のない人物を狙うのか。

おそらく、対象者と出会わなかった為、後に引けなくなり行動を起こしたと思われるが、せめてもっと計画的に行う事は出来ないものだろうか。

詳細がなくわからないが、無秩序な行為というのがどのようか事かわからず、本人にとっては不当な逮捕だったのだろう。

おそらくこの逮捕で職も失ったと思われる。

撃たれた3人の内、2人は後遺症に苦しみ、ダルトンは7年後、パーカーは25年後に死亡した。

家族からすれば地獄のような日々であったろう。

規定通り処刑出来たのはいいが、残酷だといって処刑方法を安易に変更する司法もどうかと思う。