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ジョン・サノス (アメリカ)
【 1949 ~ 1994 】



ジョン・フレデリック・サノス (1949年3月28日生) は、ジョン・スティーブンとパティの長男として生まれた。

サノスはダンドーグで育った。

父親のスティーブンは第二次世界大戦に参加したベテランの軍人であったが、帰国後に精神に異常をきたし、退役軍人病院で精神疾患の治療を受けた。

スティーブンはサディストであり、サノスを幼い頃から陰嚢を蹴る等定期的に暴力を振るった。

また、スティーブンは妻のコーヒーに睡眠薬を入れ眠らせると、その間に長女を強姦した。

しかも、長女への強姦はサノスの寝室で行われた。

サノスが成長すると次第に邪魔になったスティーブンは、娘を強姦する為にしばしばサノスを家から追い出した (スティーブンは1982年に死亡している) 。

そんな劣悪な環境で育ったサノスは、学校でも問題行動ばかり起こし、12歳の時に自家製の爆弾を爆発させた為、学校を追放された。

サノスは問題を抱えた若者たちが集まる施設に送られるが、更生どころか更に悪化していった。

サノスは何度も逃げ出し、その為、メリーランド少年訓練学校に入れられた。

だが、そこでもサノスは逃げ、15歳の時に逃走中に車を盗んで破壊した。


1964年5月、サノスは窃盗罪で成人刑務所で懲役2年が宣告された。

この時、サノスを診た精神科医は、
「敵意と無責任な行動に満ちた非常に邪悪な若者」
と表現した。

サノスは成人の刑務所に収監される事となるが、華奢で女性的な容姿であり少年で会ったったサノスは他の年配の囚人の餌食となった。

サノスは少なくとも2人の囚人に強姦された。

サノスは自身の独房に火を放ち独房を壊したり他の囚人と争いを起こした。

その事をサノスは弁護士に

「恐怖に対処する方法だ」

と述べた。


1966年3月、釈放されたサノスは2、3年の間に数台の車を盗み、警察官を襲撃したが、刑務所には短期の収容で出てきた。


1969年10月、ボルチモアの女性を強姦して逮捕されるが、サノスは最後まで無実を主張した。

しかし、サノスは有罪判決となり懲役21年が言い渡された。

サノスは判決を下した陪審員を殺すと脅した。

また、刑務所に収監されたサノスは、強姦した女性に刑務所の写真を送り、脱獄するつもりだと自慢し、その際には会いに行くと書いた。


1971年、サノスは洗濯物入れに隠れてトラックで刑務所から脱出するが、間もなく逮捕された。


1986年4月、仮釈放されたサノスだったが、1ヶ月後にハーフォード郡のコンビニエンスストアに強盗に押し入り、再び刑務所に戻された。

サノスは刑務所内で薬を手に入れると自家製ワインを作り、囚人を刺したりテーブルの脚で殴ったりした為、10ヶ月間独房に入れられた。


1990年4月、刑務所職員のミスにより間違ってサノスは釈放されてしまう (この職員は後に解雇されている) 。

釈放されたサノスは短い間、煉瓦工として働き、次に鶏肉加工工場で夜勤の仕事に就いた。


同年夏、サノスは女性を車に乗せ猥褻行為に及ぶが女性は逃げ出した。

サノスは女性が告発し、再び刑務所に戻されるのではないかと不安になり、その心境はやがて自暴自棄となる。


同年8月29日、サノスは仕事を辞め働いた分の給料を手にすると、銃砲店で.22口径の半自動小銃を購入する。

その日の夜、サノスはミルトン・マーシーの乗る車を奪おうと銃で脅し、トランクに入るよう命じた。

マーシーは拒否すると、サノスはマーシーに向かって発砲するが、マーシーは逃げる事が出来た。


同年8月31日、サノスがヒッチハイクしていると、仕事帰りの溶接工グレゴリー・テイラー (18歳♂) の乗る車が停車する。

テイラーはサノスを快く車に乗せるが、サノスは銃を突きつけ、テイラーに人気のない森の方へ行くよう命じた。

サノスは初めはテイラーを殺すつもりはなく、木に縛り付けて車を奪うつもりであった。

しかし、テイラーは怯えて喚き、縛られたくないと叫んだ。

テイラーの様子にうんざりしたサノスは頭を3発撃って射殺した。

テイラーの青いフォードを奪ったサノスはボルチモアとソールズベリーの間を運転し、テイラーに似せる為にわざわざ染色剤を購入して髪を黒く染めた。


同年9月1日、サノスはミドルリバーにあるガソリンスタンドに寄った。

ガソリンスタンドにはビリー・ワインブレナー (16歳♂) が働いていた (オーナーは父親のマーティ・ワインブレナー) 。

お金がなかったサノスは、ワインブレナーに物々交換を申し入れ、サノスは父親の形見の金の時計をワインブレナーに渡し、サノスはガソリンと20ドル (約2000円) を手にした。

ただ、サノスが60ドル (約6000円) を持ってくれば時計は返すという契約を結んだ。


2日後の3日、ガソリンスタンドにサノスは戻り、ワインブレナーに60ドルを渡して時計を返してくれるよう頼んだ。

ガソリンスタンドにはワインブレナーのガールフレンド、メロディ・ピストリオ (14歳) もいたのだが、ビリーは時計はもうないと述べた (ビリーがピストリオにプレゼントとして渡しており、ピストリオのジュエリーボックスにあった) 。

その事に怒ったサノスはバッグから銃を取り出し、バッグに現金を入れるよう命じ、ワインブレナーとピストリオがレジから現金をバッグに入れて渡すと、サノスの2人の頭部をそれぞれ2発ずつ撃って射殺した。


翌日の4日、サノスはデラウェア州スマーナまで逃走するが、そこで警察官との銃撃戦の末に逮捕された。

逮捕後、サノスは自殺未遂を図った。

裁判が始まると、弁護士はサノスの自殺未遂は偽りのものではなく、精神病の一部と主張した。

しかし、検察官はサノスを病院に連れて行くのは脱走のチャンスを与えるだけだと主張した。

裁判でサノスは傍聴席に来ていた犠牲者の家族を罵倒し、

「彼らの叫びは私の魂の最も暗い洞窟から笑いをもたらしてくれる。私が今それらのガキの骨を墓から掘り起こす事ができなければ私の渇きを癒す事は出来ない。ワインブレナーとピストリオの死体を砕いて粉にして排尿し、それをかき混ぜて濁った黄色がかったエリクサーにし家族に提供したい」

と述べた。


1992年6月3日、有罪判決となったサノスは死刑が言い渡された。

死刑判決を受けたサノスは上訴を全て放棄し、判決に対して争う事を止めた。

当時、メリーランド州の処刑はガス室によるものであったが、サノスは処刑の際の様子をビデオで撮影し、それがいかに残酷で異常な事であるかを証拠として残す事を希望した。

結局、サノスはガス室による処刑は違憲だと主張した為、メリーランド州の議会が薬殺による処刑に変更した。


1994年5月17日、致死量の注射による死刑が執行された。

享年45歳。

サノスの最後の言葉は

「アディオス!」

であった。

このサノスの死刑執行は、1976年にアメリカで死刑が復活して以降、メリーランド州としては最初に執行された人物となった。


最後にテイラーについて述べたサノスの発言で終わりたいと思います。

「彼は常に迷惑だった」



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1990年8月31日~同年9月3日



∽ 総評 ∽

サノスは破綻した家庭環境で生まれ、その影響からか幼い頃にはすでに異常な行動が目立った。

そして定番の犯罪人生を歩む事になるのだが、安易な釈放が後の犠牲者を生む事となった。

また、手違いで釈放させてしまった刑務所職員の罪は非常に重い。

正直、解雇程度で済まされるレベルではない。

ただ、最後に殺害されたワインブレナーはサノスとの約束を反古しており、若者らしく相手を嘗めた結果となった。

サノスはアメリカで死刑が復活して以降、メリーランド州で初めて執行された人物であった。

メリーランド州は2013年に死刑を廃止しているが、結局廃止までの37年間で執行されたのはサノス含むたったの5人であった。

ある意味その5人は貴重だが、被害者や遺族の事を考えればとても納得いかないだろう (ちなみに死刑判決を受けたのは53人) 。