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キース・フォーレ (オーストラリア)
【 1951 ~      】



キース・ジョージ・フォーレは、1951年6月、オーストラリア・ビクトリア州ノーレーンで生まれた。

フォーレの祖父であるノーマン・レスリー・ブルーンは1920年代にシドニーを拠点として活動したギャングであった (ブルーンは1927年にメルボルンで銃撃戦により死亡している) 。


1976年5月1日、フォーレはリッチモンドでシェーン・デニス・ローランド () を射殺する。


同年6月4日、フォーレは共犯者2人と共にクリフトンヒル銀行を襲い、警察官マイケル・プラット () を背後から撃った (プラットはこの銃撃により警察を引退している) 。

逮捕されたフォーレは懲役4年が言い渡された。

ペントリッジ刑務所に収監されたフォーレは、囚人のアラン・ソプラク () を鋭利なバターナイフで背中を9回刺して殺害した。

フォーレはローランドとソプラク殺人で有罪となった。


2004年3月31日、地下世界の人物、ルイス・モラン () が、仲間とブランズウィックのクラブで飲酒していた所を射殺される。

後にフォーレの口座にモラン殺害で15万オーストラリアドル (約1200万円) が支払われている事が判明した。


同年5月8日、メルボルンの地下世界の人物、ルイス・ケイン (ショーン・ヴィンセントとしても知られる) の遺体がブランズウィックの住宅街に投棄されているのを発見される。

逮捕されたフォーレは、モラン殺害で起訴され、また、ケイン殺害も認めた。


2005年12月3日、モラン殺害の公判中にフォーレは脳卒中で倒れ救急車で運ばれる騒ぎとなった。


2006年5月3日、フォーレはケインとモラン殺害で有罪判決となり、最低19年は仮釈放の可能性がない終身刑が言い渡された。

フォーレは1970年代から80年代、ペントブリッジ刑務所に収監されていたが、この時、同刑務所にはチョッパー・リード (以前掲載) がおり、フォーレとリードによる刑務所内のギャング抗争が激化していた。

それはリード本人が刺される程激しいものであったが、その様子を後にリードは本に書いており、本には頻繁にフォーレの名が登場している。

余談だがフォーレの祖父はギャングであったが、フォーレの兄弟のレスリーは1997年にガールフレンドを殺害して刑務所に収監されていた。

また、末弟のノエルも1990年に殺人により逮捕されている。



《殺人数》
4人

《犯行期間》
1976年5月1日~2004年5月8日



∽ 総評 ∽

フォーレの殺人は最初の人物についてはよくわからないが、基本的にギャングや囚人であった。

犯罪者同士争ってくれるのはこれ程素晴らしい事はなく、一般人を巻き込まないのならどんどんやって欲しいくらいだ。

フォーレが収監されたリッチモンド刑務所は、オーストラリアでも最も治安の悪い刑務所として有名で、ギャングの抗争が頻繁に起きていた。

そんな中、フォーレはチョッパー・リードと抗争を繰り広げ、それは当時相当有名であった。

犯罪者同士争ってくれのは良い事だが、看守なども巻き込む可能性があるのでそこは危険である。

フォーレは祖父がギャングで、兄弟も殺人を犯すなど、犯罪一家であった。

犯罪遺伝子というのが存在し、犯罪気質は遺伝すると聞いた事があるが、こういう事例を知ると事実だと思えてくる。