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スレイマン・タロビッチ (アメリカ)
【 1988 ~ 2007 】



スレイマン・タロビッチは、1988年10月6日、ボスニア・ヘルツェゴビナ・ツェルスカで生まれた。

タロビッチには両親と3人の姉妹がいた。


1998年、一家はアメリカ・ユタ州ソルトレイクシティに移住し、2005年にはグリーンカードを取得した。

子供の頃、タロビッチは頻繁にショッピングモールに行き多くの時間を過ごした。

タロビッチは軽微な罪を犯し、16歳で高校を中退した。


2007年2月12日午後6時44分、タロビッチは白いシャツ、黄褐色のトレンチコートに身を包むと、弾薬でいっぱいのバックパックを持ってソルトレイクシティのショッピングモールへ向かった。

そして、トロリースクエアに到着すると銃撃を開始する。

この日、警察官ケネス・ハモンドが非番であった為、妊娠中の妻サリタとショッピングモールに買い物に来ていた。

ケネスはサリタに911に連絡するよう促し、サリタは店のウェイターの携帯電話を借りて911に連絡した。

銃を所持していたケネスはタロビッチに発砲した。

そして、ソルトレイクシティ警察署のアンドリュー・オブラッドが駆けつけると、タロビッチと銃撃戦が展開される。

ケネスとオブラッドによって徐々に押されたタロビッチは追い詰められ、家具店に逃げ込んだ。

すると、ソルトレイクシティのSWATチームが到着する。

最後はケネスの放った銃弾がタロビッチに命中し、タロビッチは死亡した。

結局、タロビッチの銃撃によりテレサ・エリス (29歳♀) 、ブラッド・フランツ (24歳♂) 、キルステン・ヒンクリー (15歳♀) 、ヴァネッサ・クイン (28歳♀) 、ジェフリー・ウォーカー (53歳♂) の5人が死亡し、少なくとも4人が負傷した。

肝心の動機だが、本人が射殺されてしてまい不明であった。

ただ、タロビッチは死ぬ前に繰り返し「アッラーフ・アクバル」と叫んでいた事が目撃証言からわかり、宗教的動機ではないかとみられている。


同年2月13日、ケネスはソルトレイクシティ警察当局から多くの命を救った英雄として表彰された。

タロビッチは射殺後、故郷のボスニア・ヘルツェゴビナのツェルスカに埋葬された。


同年3月2日、タロビッチの父親は故郷に戻り、息子の行動についてあまりに悲しく恥じているとインタビューで語った。

タロビッチの叔母は、何故こんな行動に出たのか全くわからないと述べ、
「彼はとてもいい子だった。何が起こったのかわからない」
と語っている。

また、父親は別のインタビューで、息子は外部の何かに影響を受けたと語り
「誰かが彼の背後におり、その影響を受けたと思う。私にはわからない」
と話した。

だが、父親は息子の行動に対してアメリカ政府に責任があると主張し、
「当局は息子が銃を購入した事を私たちに警告しなかった事は罪である。アメリカは未成年の場合はタバコは買えないが銃は買える」
と非難した。

ただ、アメリカ連邦法では銃販売店からの銃や弾薬の21歳未満 (20歳以下) への販売を禁止しているが、一部の州では18歳以上への個人による合法的な販売を許可していた (ただしライフルやショットガンといった殺傷能力の高い銃は禁止している) 。

後にタロビッチは質屋で銃を購入していた事が判明している。



《殺人数》
5人 (他4人負傷)

《犯行期間》
2007年2月12日



∽ 総評 ∽

このタロビッチによる犯行は典型的な銃乱射事件だが、動機がわからなかった。

本人は射殺されているので永久的にわかることはないが、この手の犯罪者の動機がわからないというのは珍しい事ではない。

特に射殺されたり自殺したりした場合は当然わからない。

ただ、正直動機はどうだっていい。

個人的には「わかればそれはそれで良い」くらいでわかった所で何も変わらない。

そういう事を言うと、よく「今後同じような事件を防ぐ為に知っておく必要がある」と言う人がいる。

正直、動機がわかったからといってこの手の事件は事前に防ぐ事は絶対に出来ない。

それを言う人はただの興味本位で知りたいだけで、結局、他人事だからそんな風に思えるのだ。