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アンソニー・ジャクソン (アメリカ)
【 1939 ~      】



1972年9月下旬、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン大学で、入学してわずか1週間のキャスリーン・ランドール (18歳♀) が行方不明となる。

ランドールはキャンパス近くで親指を立てヒッチハイクしている姿を目撃されていた。

2週間後、ニューハンプシャー州の田舎でランドールの遺体が発見され、ランドールは強姦され首を絞められ殺害されていた。

ランドールが失踪した2日後、デブラ・スティーブンス (19歳♀) は、マサチューセッツ州リンで強姦され首を絞められ殺害された。

スティーブンスの遺体は家からわずか50ヤード (約45m) 以内の所で見つかった。


同年11月9日、親指を立てヒッチハイクしている姿を最後にエレン・ライヒ (19歳♀) が行方不明となる。

ライヒはエマーソン大学の2年生で、習慣的なヒッチハイカーであった。

そして、同年11月14日、ライヒの遺体がボストン・ロクスベリー地区にある廃屋のクローゼットの中で発見された。

ライヒは数回刺され首を絞められ殺害されていた。


同年11月27日、ケンブリッジの住人サンドラ・エランジャン (21歳♀) が行方不明となる。

エランジャンは日頃から好んでヒッチハイクをしており、この日も歯医者の診察に向かう途中であった。

翌日、ブロックトン郊外にあるウォルド湖近くでエランジャンの遺体が発見された。

エランジャンは首を絞められていた。


同年11月30日、ダマリス・シング・ジレスピー (22歳♀) が、ボストンで親指を立てヒッチハイクしている姿を最後に行方不明となる。

ジレスピーの家に2万5000ドル (約800万円) の身代金を要求する電話があったが、結局ジレスピーは殺害された。

その後、同年12月25日のクリスマスまでに同様に3人が首を絞められ殺害された。


同年12月26日、ケンブリッジのパトロール隊員が、アンソニー・ジャクソンを高速道路で追跡し、銃撃戦の末に逮捕した。


ジャクソンは危険運転、銃器の不法所持で逮捕されると、余罪が追及され1973年2月3日、ジレスピー殺害で起訴された。

そして、ブロックトンの廃品置き場で発見された血に染まったキャデラックが見つかり、そこがこれまでの殺人現場と思われた。

キャデラックにはいくつかの証拠が見つかり、また、ジャクソン逮捕後、ヒッチハイカーの失踪事件がピタリと止まった。

ジャクソンはジレスピー殺害で終身刑となるが、ジャクソンによる確実な犠牲者についてはわかっていない。



《殺人数》
5人 (8人の可能性あり)

《犯行期間》
1972年9月下旬~同年11月30日



∽ 総評 ∽

『The Hitch-Hike Murderer (ヒッチハイク殺人者) 』と呼ばれ、ヒッチハイカーばかり最低5人を殺害したジャクソン。

このジャクソンの犯行はかの『ボストンの絞殺魔』事件から8年足らずしか経っておらず、事件の再来かと当時は騒がれた。

ジャクソンは顔写真がなく、また、どのような生い立ちだったのか詳細が不明であった。

ヒッチハイカーを狙うというのはアメリカのシリアルキラーでは売春婦と並んで定番の標的である。

殺人鬼からすれば獲物の方からやってくるようなものなので、これ以上ない方法といえる。

いつも思うのだが、売春自体は仕事としてしょうがないにしても、アメリカの場合、これだけヒッチハイクによる殺人が多いのにそれでもヒッチハイクするのがよくわからない。

日本とは比べられないくらいの土地の広さの為、ヒッチハイクというのが当たり前のように根付いているのかもしれないが、それでもリスクが高過ぎるように思う (ヒッチハイクを禁止している州もあるが) 。