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シンシナティの絞殺魔 (アメリカ)
【 1965 ~ 1966 】



1965年12月2日、アメリカ・オハイオ州シンシナティで、エモジーン・ハリントン (56歳♀) が首を絞められ殺害された。


1966年4月4日、ロイス・ダント (58歳♀) が首を絞められ殺害された。

ダントはアパートの1階で殴られ強姦されていた。

ダントは友人と電話で話をしており、ドアがノックされた直後に電話を切った。

捜査官によるとドアのノックは殺人者によるものと考えられた。


同年6月10日、シンシナティにある公園でマチルダ・ジャネット・メッサー (56歳♀) が殺害される。

メッサーは殴られ強姦され首を絞められていた。

犯人はメッサーを殺害後、体を木に縛り犬を連れて現場に戻っていた。


同年8月14日、バーバラ・ボウマン (31歳♀) が殺害される。

ボウマンはその日にバーに行った後、タクシーを呼んで家に帰ろうとした。

タクシーに乗ると、アパートからわずか2ブロック離れた所でタクシー運転手に襲われ喉を7回切られた。

しかし、ボウマンはすぐには死なず、警察が駆けつけた時にはかろうじて生きており、犯人がアフリカ系アメリカ人である事、タクシーのナンバープレートを説明した後に死亡した。

だが、これまでの犯行とは異なりナイフを使用した事でボウマンは連続殺人の犠牲者とみなされなかった (後に連続殺人の犠牲者に含まれた) 。

警察はすぐにタクシー会社を調べるが、ボウマンが殺害される数時間前に盗まれていた事が判明する。


同年10月11日、アリス・ホッハウゼン (51歳♀) が殺害される。


同年10月20日、ローズ・ウィンストセル (61歳♀) がアパートで殺害される。

ウィンストセルも殴られ首を絞められていた。


同年12月9日、ルラ・ケリック (81歳♀) がアパートのエレベーターで襲われる。

ケリックは殴られストッキングで首を絞められ殺害された。

一連の殺人事件はシンシナティの住民をパニックに陥れた。

その結果、多くの住民たちが武器を購入しセキュリティを強化した為、それらの売上が飛躍的に増加した。

ただ、警察への信頼は急激に低下した。

ケリックが殺害された後、サンドラという女性が警察に連絡し、ケリックが殺害される数時間前にケリックの車に不審な黒人男性が続いたと主張した。

サンドラ他数人の目撃者がナンバープレートを覚えており警察に知らせた。

そして、その日の内に車の所有者である労働者のポスティール・ラスキー (写真を逮捕した。

ラスキーは母親と一緒に暮らし、休みの日にはグループのギタリストとして活動していた。

ラスキーは将来ミュージシャンとしてキャリアを築きたいと考えていた。

ラスキーは逮捕される少し前に家を出て別のアパートに友人と住んでいた。

警察がラスキーの過去を調べると、1965年に女性を襲い起訴され、10月に3年間の保護観察処分となっていた。

また、1962年7月から12月にかけてイエローキャブカンパニーのタクシー運転手として働いていた事がわかり、しかもこの期間は全ての車が同じイグニッションキーを使用していた。

ラスキーは当時、186番のタクシーを運転していたのだが、1966年8月13日の夜から早朝にかけてその186番のタクシーが盗まれていた。

そして、車を盗んだ何者かがディスパッチャーの呼び出しに応答し、ボウマンを迎えに行った。

その後、ボウマンがタクシーを出入りする目撃者か現れ、その目撃者にラスキーの写真を見せた所、運転手の可能性が高いと述べた。

メディアがラスキー逮捕を報道すると、デール・エルンストが1966年10月4日にラスキーに強盗に遭ったと警察に報告し、また、バージニア・ヒンナーズも同年9月21日に同様に強盗に遭ったと報告した。

ラスキーは起訴されるが、目撃情報やラスキーの過去によってのみ犯人と目されるだけで、凶器や現場に残された痕跡など証拠が一切なく状況証拠だけだった (当時はまだDNA鑑定が犯罪に活用されていなかった) 。

ただ、警察はラスキー逮捕後、殺人が収まった事もラスキーが犯人である証拠だと主張した。


1967年4月、ボウマン殺害でラスキーは電気椅子による死刑が言い渡された。

そして、ラスキーの死刑執行が1968年7月8日に設定される。

しかし、ラスキーの弁護士が、ラスキーが無実であるという証明を法廷で出来なかったと主張し、上訴した。

また、弁護士は証明を出来なかった理由がラスキーが黒人であり、人種的偏見によるものだと主張した。

だが、裁判所は人種的または社会的な偏見は一切なかったと上訴を棄却した。


しかし、1972年6月、最高裁判所はラスキーに仮釈放の可能性がある終身刑を言い渡した。

ラスキーは州内の様々な刑務所に移送され、何度か仮釈放を申請するがその都度拒否された。


2007年2月、再び仮釈放の申請を拒否された後、2017年まで申請を禁止された。


申請を拒否されてから約3ヶ月後の同年5月29日、40年以上刑務所で過ごしたラスキーは死亡した。

享年69歳であった。



《殺人数》
7人

《犯行期間》
1965年12月2日~1966年12月9日



∽ 総評 ∽

約1年に渡ってシンシナティ市内で7人の女性が殺害された未解決事件。

一応、有力な容疑者としてラスキーは逮捕され有罪判決を受けた。

ただ、ラスキーは死刑判決となり執行日も決定したにもかかわらず、結局終身刑となり40年以上の服役の後、刑務所で死んだ。

もし、ラスキーが確実な犯人なら普通に死刑が執行されているはずなので、おそらく司法もラスキーが犯人ではないと考えていたと思われる (現在ではラスキーの犯行ではないというのが一般的な見解となっている) 。

ただ、1度犯人と逮捕している為、今更「違います」とは警察や司法は言えなかったのだろう。

確かにラスキーを犯人と考えたくなる要素は揃っていた。

犯行に使用されたタクシー会社に以前働き、しかも、ラスキーが使用していたタクシーが盗まれていた。

また、ラスキーには強盗の余罪があり、ラスキー逮捕後に連続殺人が止まったとされる。

だが、全ては状況証拠でしかなく、物理的証拠はなかった。

警察はラスキーがタクシー会社で働いていた時にイグニッションキーを複製したかスペアキーを作り、その後、車を盗んで犯行に及んだと考えたのだろうが、ラスキーが働いていたのは犯行の3年以上も前である。

しかも、もしラスキーが犯人ならわざわざ自分が乗っていたタクシーを盗んで犯行に及ぶだろうか。

それだと真っ先に疑いがかかるのは明白であり、リスクが高過ぎる。

また、ラスキー逮捕後に連続殺人が止まったというのもたまたまという可能性も高く、しかも、逮捕から死刑判決までたった4ヶ月しかない (真の犯人が誰かが逮捕された事でラッキーと思って止めた可能性もある) 。

連続殺人犯が半年や1年潜伏するのは普通にあり得る事であり、なぜ数ヶ月程度で「犯行は止まった」と判断したのだろうか (そもそも最初の犯行から次の犯行まで4ヶ月空いている。ただ、当時はまだシリアルキラーという概念がなく、警察もよくわかってなかった可能性も高いが) 。

当時はDNA検査がなく、もしあれば真犯人を捕まえる事は出来ずともラスキーが犯人ではない事は証明出来たと思うので、生まれた時代が悪かったと運の悪さを嘆くしかない。

今回の事件はどちらかというと冤罪事件のカテゴリーといえるが、ラスキーによる犯行の可能性も0ではないので一応、未解決事件とした。