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アンナ・ジャトバ (ブラジル)
【 1983 ~      】



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アレクサンドル・ナルドーニ (ブラジル)
【 1978 ~      】



2008年3月29日午後10時30分、ブラジル・サンパウロで、イザベラ・デ・オリヴェイラ・ナルドーニ (5歳♀) は、エディフィシオロンドンの6階から転落した。

そこではイザベラの父アレクサンドル・アルベス・ナルドーニと継母アンナ・キャロライン・ジャトバ、2人の息子カウアとピエトロ (2人の息子はジャトバの実子) と暮らしていた。

イザベラはエディフィシオロンドンの前庭で心停止の状態で発見された。

救急隊員が34分間イザベラの蘇生を試みるが失敗し、病院に運んでいる途中で死亡した。

ナルドーニとジャトバは地元の警察署に連行され、事情を聞く事となった。

ナルドーニは警察官に家族と一緒に家に到着した時、イザベラは寝ていたので最初、ジャトバと家に上がった。

その後、ナルドーニはイサベラを部屋に運び、ベッドサイドランプと男の子の部屋の電気を点け、ドアをロックして車に戻った。

ナルドーニとジャトバはカウアとピエトロを部屋に連れて行き、その時、ナルドーニはイザベラの部屋の明かりが点いている事に気付いた。

ナルドーニは部屋に戻るとベッドにイザベラがいない事に気付いた。

ナルドーニは窓のセーフティネットの穴に気付き、そこから窓の下を見下ろすと、前庭に横たわるイザベラを見つけた。

ナルドーニはジャトバに母親アナ・カロライナ・オリヴェイラに連絡するよう叫び、ジャトバは電話した。

この時、後にオリヴェイラはインタビューでジャトバがイザベラが倒れたと叫びヒステリックだったと述べている。

ナルドーニはイザベラが誤って落ちたと信じ、子供にCPR (心肺蘇生法) を行うよう言った。

オリヴェイラがイザベラの元に到着すると、そのあまりの怪我の酷さに触れる事が出来なかった。

しかし、オリヴェイラはイザベラに何度かキスをし、愛している、全てが上手くいく、助かると話し掛けた。

イザベラはサンパウロ地区ジャサナンにある墓地に埋葬され、葬式には200人が参列した。

警察は事故と事件、両方で捜査を始めるが、当初は誤って転落した事故とされた。

しかし、イザベラの血がナルドーニの車と室内にある事がわかり、タオルやおむつ、Tシャツに嘔吐物が見つかった。

また、イザベラが落ちた窓にはナイロンTシャツや、安全スクリーンをハサミで切った痕跡が見つかった。

そして、ジャトバがイザベラを寝室の窓から地面に放り投げた事を示唆する状況証拠が見つかった。

イザベラの遺体の検死を行うと、地面に落下した傷とイザベラの傷が全て一致しなかった。

イザベラは落ちた直後はかろうじて生きている事がわかり、転落とは関係ない怪我を発見したと発表した。

その怪我はイザベラが落下する前に殴られ窒息していた事を示唆していた。

警察はイザベラを窓から投げ捨てただけではなく、日頃から虐待を行っていたと考える。


同年4月18日、ジャトバとナルドーニはサンパウロ市警によって逮捕され起訴された。

しかし、ジャトバとナルドーニは無実を主張し続けた。


2010年3月22日、事件から約2年後、2人の裁判が始まるが、裁判はブラジル国民の注目を集めた。

裁判の初日、オリヴェイラは証言に立ち、ジャトバが非常に嫉妬深いと述べた。

また、ナルドーニとジャトバは、かつてオリヴェイラからの扶養手当の支払いが遅い事にオリヴェイラとイザベラを殺すと脅していた。

更にオリヴェイラはイザベラの死んだ夜に、ジャトバがオリヴェイラにイザベラのせいだと叫んだと述べた。


同年3月25日、ナルドーニとジャトバは陪審員を前にどちらも無実を主張した。

ジャトバは証言中に泣いていた。

ナルドーニは陪審員に、警察官に子供を殺した事を認めるよう提案され、偶発的な殺人で裁判を進められると言われたと述べた。

この事が非常に屈辱的だったと陪審員に話した。

ナルドーニも証言中に3回泣き、イザベラが亡くなった日は人生で最悪であり、人生で最も貴重なものを失ったと述べた。

弁護士は第3者がアパートに侵入し、イザベラを窓から投げ捨てたと述べたが、そんな人物はいない事がわかった。

ナルドーニがイザベラがまだ生きている事を確認したと話すと、助ける為になぜ何もしなかったのかと追及された。

それについてナルドーニは、隣人からイザベラに触れないよう言われたと答えた。

だが、ナルドーニとジャトバの証言は常に矛盾していた。

隣人はイザベラの父方の祖母が、ジャトバが狂っており、アパートから突き落とす事なんて容易だと言っていたと警察に話した。


同年3月27日、ナルドーニは懲役31年1ヶ月と10日間、ジャトバには26年8ヶ月のそれぞれ禁錮刑が言い渡された。

判決を読み上げられている間、ナルドーニは無表情であったが、ジャトバは泣いていた。

裁判所の外では多くの人が詰めかけており、花火を打ち上げ判決を祝った。

ナルドーニはイザベラがまだ11ヶ月の時にジャトバと浮気を始め、その関係を1年続けた後、オリヴェイラと離婚した。

オリヴェイラはまだ幼いイザベラを連れて家を出たが、成長すると月に数回ナルドーニの元に連れて行き、面倒をみていた。

オリヴェイラの友人は、イザベラがナルドーニの家から泣きながら戻って来る事がよくあり、早く母親の元へ戻りたいと言っていたとマスコミに語っている。

この事件はブラジルで最も悪名高い子殺しの事件として有名で、ブラジルのメディアはこの事件を綿密に追跡し、今でも断続的に取り上げている。

また、調査によるとブラジル国民の98%以上が事件を知っているという結果となり、この数字はブラジルのメディア報道調査の歴史の中で最も高い割合であった。



《殺人数
1人

《犯行期間》
2008年3月29日



∽ 総評 ∽

まだ5歳の女の子をアパートの6階の突き落として殺害した事件。

前述した通り子殺しの事件としてはブラジル国民の98%が知っているという有名な事件であった。

ただ、実際にジャトバとナルドーニが突き落としたのかは証拠がなく証明出来なかった。

だが、突き落としたのは別として、日頃から虐待を行っていたのは検死の結果間違いなかった。

ジャトバもナルドーニも日頃の言動からイザベラを邪魔だと思っていたのは明らかであった。

だったら母親の元へ帰せばいいだけであり、わざわざ殺す必要があったのだろうか。