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グスタボ・モラレス (エルサルバドル)
【 1982 ~ 2013 】



グスタボ・アドルフォ・パラダ・モラレスは、1982年1月25日、エルサルバドル・サンミゲルで生まれた。

親戚から「タボ」と呼ばれていたモラレスが育った場所は、サンミゲルの貧しい地域であった。

モラレスは凶暴に育ち、10歳にして毎日学校で他の子供を殴った。

その為、母親は何度も学校に呼ばれ、その都度モラレスを連れ帰った。

13歳の時、モラレスはギャングに加わった。

このギャングはほとんどがアメリカに住み、エルサルバドルに移送された犯罪者によって組織された。


1996年、モラレスはガールフレンドの少女を誘拐し、人気のない場所へ連れて行くと、強姦し胸を切り裂いた。

そして、まだ生きているガールフレンドを井戸の中に投げ入れた。

ガールフレンドはそのまま井戸の中で絶命した。

この時、モラレスはまだ14歳であった。


1999年1月7日、モラレスは逮捕される。

そして、モラレスは17人の少女殺害で告発される。

モラレスは無実を主張し、証拠がないのに犯人にされたと話し、

「私の手は殺さない。裁判官は私の刺青の為に私を疑った。誰も私を信じない」

と述べた。

また、モラレスの母親は、
「息子はギャングに所属していたが、女の子をレイプした事は1度もない。私の息子は怪物ではありません。彼らは彼を知らないので皆非難します」
と述べている。

モラレスが死体を捨てていた井戸からは4人の遺体が発見された。

また、パナメリカーナ地区の放棄されたもう1つの井戸からも遺体が発見された。


同年4月16日、ギャングメンバー3人の証言により、モラレスが少なくとも7人の殺人に関与した事が確認された。

そして、モラレスには矯正施設への7年の刑が言い渡された。

この7年というのはモラレスが未成年であった為であり、未成年としては最長の刑期であった。


同年4月30日、モラレスは他の8人の囚人たちと警備員を殴って脱出し、嵐に紛れて逃走した。


同年5月2日、モラレスはバスの乗客を襲った後、捕獲された。


2002年10月、行いが良かったとしてモラレスは釈放された。


2003年9月21日、自転車を盗み所有者を負傷させた為、モラレスは逮捕された。

しかし、被害者が被害届を取り下げた為、4日後に釈放された。


2004年2月16日、モラレスは撃たれ、緊急治療室へ搬送された。

その後、怪我の完治と同時に逮捕された。

モラレスは刑務所で囚人を殺害し、懲役刑を追加された。


2013年9月2日、刑務所の独房で刺され死亡しているのを発見される。

享年31歳。

3人の囚人がモラレスを刺したと告白した。



《殺人数》
8人以上 (18人以上の可能性大)

《犯行期間》
1996年~1999年



∽ 総評 ∽

『El Directo』と呼ばれ、少なくとも7人の少女を殺害したモラレス。

全員かは不明だが目的は強姦であり、しかも、14歳という年齢で犯行を始め、17歳までの間に17人殺害した可能性がある早熟の鬼畜であった。

本人は犯罪を否定し、見た目で判断するなと言っているが、残念ながら見た目というのは大事で判断されてしまうのは致し方ない部分はある。

モラレスが所属したギャングは、アメリカ・カリフォルニア州で猛威を振るっていた「マラ・サルバトルチャ」の一味がエルサルバドルにやって来たグループとされている。

「マラ・サルバトルチャ」は数多存在するアメリカ国内のギャングの中でも特に凶悪で知られていた。

日本の少年法も愚法であるが、エルサルバドルの少年に対する罰もあまりに酷過ぎる。

これだけの犯行を犯してたった7年、しかも少年に下せる判決として最長というのはあまりに軽過ぎやしないだろうか。

モラレスは最後、刺されて殺されたが、因果応報、当然の結末である。