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チャールズ・キャンベル (アメリカ)
【 1954 ~ 1994 】



チャールズ・ロッドマン・キャンベルは、1954年10月21日、アメリカ・ハワイ州で生まれた。


1974年12月、キャンベルはワシントン州クリアビューで、自宅の外で庭仕事しているレニー・ウィックランド (23歳♀) を襲う。

キャンベルはナイフで脅し性行為を要求する。

従わない場合、レニーの幼い娘シャンナを殺すと脅した。

レニーは強姦されキャンベルは満足すると逃走した。

レニーはすぐに警察に通報するが、キャンベルが逮捕されたのは1976年であった。

キャンベルを知る地元の住人たちは、キャンベルの事を子供の頃からよく知っていた為、逮捕されても驚く事はなかった。

裁判でレニーと隣人のバーバラ・ヘンドリクソン () がキャンベルの犯行について証言し、キャンベルには懲役40年が言い渡された。

懲役40年という判決だったが、実は7年で仮釈放される可能性があった。

その事実をレニーには知らされなかった。


結局、キャンベルは刑務所での「良い行い」により (判決ではなく犯行から) 7年経った1981年に仮釈放された。

この仮釈放されたという事実もレニーには知らされなかった。

レニーはキャンベルが刑務所にいる間、夫ジャックの暴行に耐えきれず離婚し、娘を連れてシングルマザーとして地元美容院の会計士兼自宅ビジネスを行った。


1982年4月14日、バーバラの夫ドンがレニーの家に行くと、レニー (31歳) 、シャンナ (9歳) 、バーバラの3人の遺体を発見する。

ドンはすぐに警察に通報し、警察官が現場に来るが、その凄惨な様子は後に「虐殺に似ている」と表現する程であった。

レニーは裸で喉を切り裂かれていただけでなく、激しく殴られ首を絞められ鈍器で強姦されていた (殺人の武器と強姦に使用した鈍器は見つからなかった) 。

また、全身打撲傷で覆われ、鼻、顎、肋骨が骨折していたのだが、これは怒りの表れであった。

バーバラは殴られ喉を切り裂かれていた。

バーバラがレニーの家にいた理由は、レニーがインフルエンザにかかっていた為、様子を見に訪れたのだった。

シャンナは学校から帰って来た所を襲われ、首がほとんど切り落とされている程激しく切り裂かれていた。

また、シャンナが身につけていたイヤリングが奪われており、その為、耳たぶが引き千切られていた。

警察は捜査を始めると、隣人の女の子がその日の朝にキャンベルがナイフを持ってレニーの庭を歩き回っているのを見たと話し、また、他の隣人はキャンベルが大きな毛布を持ってレニーの家に向かっているのを見ていた。

また、殺人から数時間後、キャンベルがレニーから奪った宝石を売ろうとした事が判明する。

キャンベルは犯行現場からの逃走が非常に杜撰で、何も隠そうとしなかった。

レニーの台所にあった血の付着したコップの指紋がキャンベルと一致した。

また、キャンベルの車は運転席側のドアハンドルに乾いた血痕が付着しており、後部座席にはシャンナのイヤリングが見つかった。

キャンベルが逮捕された時、ポケットからレニーのイヤリングが見つかった。


同年4月19日、多くの証拠によりキャンベルは逮捕された。

キャンベルは殺人で起訴され、刑務所に収監されるが少女を殺害した事で他の囚人から目の敵にされた。


同年11月、裁判が始まるがキャンベルは殺人の詳細についてはもちろん自身の弁護につても証言の一切を拒否した。

その為、殺人に関する反省や後悔は一切見せなかった。

動機は逆恨みによるものであったが、キャンベルのガールフレンドが証人として出廷し、キャンベルが恨んでいる事を1度も口にしていないと証言した。

クリアビューの多くの市民はキャンベルのあまりに残忍で理不尽な犯行に死刑を要求する請願書に署名した。

ノースダコタ州に住んでいるレニーの母と妹は、8年前の強姦すら本人から聞いていなかった為、殺人に特に強いショックを受けた。

キャンベルの弁護士はレニーの膣の傷は死後のものであり、その為、強姦で起訴する事は出来ないと主張した。

これを受け裁判官は強姦に関しては考えないよう陪審員に促した。

また、弁護側はレニーとバーバラの検死写真をグラフィックで表示するという検察の決定に抗議し、裁判官はそれを認めた。

ただ、陪審員が血が付着した服を見たいと希望した場合、それを認めさせた。

レニーが最初に殺害されたのだが、キャンベルはシャンナの首を切り裂く前にレニーの死体をシャンナに見せた可能性があると検察官は述べた。

また、おそらくバーバラが家に入る前に親子は殺害されていたとも話した。

キャンベルの犯罪歴はそれまで比較的軽微な罪ばかりであったが、密告者のレッテルを貼られる事を恐れた囚人の1人が匿名でのインタビューに答えた。

キャンベルは仲間の囚人に恐れられた存在で、性行為を強要され服従されたと述べた。

また、囚人だけではなく看守も恐れていたという。

キャンベルの元妻は1981年のクリスマスの後に2度強姦されたと警察に通報していた。

だが、警察はキャンベルを告発するには証拠が不十分だと述べていた。


1984年12月17日、キャンベルに死刑が言い渡された。

しかし、キャンベルの弁護士が上訴し長らく裁判が続いた。

ワシントン州は受刑者に薬殺刑か絞首刑のどちらか選択可能で、選択しなかった場合は自動的に絞首刑となった。

弁護士はキャンベルがどちらか選択する事はワシントン州の公共政策に違反していると主張し、処刑方法を拒否した。

その為、キャンベルの処刑方法は絞首刑となった。


1988年11月7日、キャンベルは合衆国最高裁判所に訴訟を検討するよう請願するが、最高裁判所はその請願を却下した。

だが、それでも上訴は終わらなかった。

弁護士はキャンベルが肥満であった為、絞首刑による処刑は残酷で異常な罰であり、その為、違憲であると主張した。

ワシントン州としては裁判を一刻も早く終わらせるつもりであったが、キャンベルの繰り返される控訴や上訴は死刑執行を送らせる行為と思われた。

刑務所でキャンベルをインタビューした心理学者によると、
「彼は他人に対して完全に共感性が欠如し、自分の好きなように生き、行動する権利があると自負していた」
と述べた。


1994年4月14日、控訴裁判所がキャンベルの死刑執行停止を解除し、死刑が同年5月27日に設定された。

当時のワシントン州知事マイク・ローリーは死刑反対派であったが、キャンベルの犯罪の詳細を聞くと終身刑を拒否して死刑を支持した。

死刑執行日、キャンベルは執行2時間前に出された最後の食事を拒否した。

そして、キャンベルは最後の時間を元カウンセラーや家族、親戚や友人と話して費やした。

犠牲者の遺族は処刑を見る事を求めたが、その要請は却下された。

キャンベルは絞首刑が行われる際に立つ事を拒んだ為、唐辛子スプレーを使って刑務官は強制的にボードに縛り付けなければならなかった。

その後、キャンベルは頭を繰り返し動かし、布や縄を簡単に装着出来ないよう足掻いた。

職員がキャンベルの頭にフードを被せ、縄を固定するのに90秒かかった。

執行後、キャンベルは約2分後に死亡した。

剖検により頚椎の骨折で死亡した事がわかり、その死は迅速であった事が確認された。

その後、キャンベルの独房を掃除すると、4インチ (約10cm) の金属片が見つかり、ナイフのように研いでいた事がわかった。

享年39歳。

キャンベルの執行はワシントン州としては1960年以降、2人目であった。

キャンベルは執行されるまでの10年間、ワラワラの死刑囚監房で非常に恐れられた存在であった。

当時の知事ブース・ガードナーが噂を聞きわざわざ独房にキャンベルを訪ねた際、覗き込んだ時に唾を吐きかけられている。

キャンベルの母親は、キャンベルが愛犬を獣姦したと述べ、殺人で逮捕された事を知った時について後に
「それは避けられなかった。彼が電気椅子以外の生涯を終えるとは思っていなかった」
と述べている (キャンベルが処刑された時にはすでに母親は死亡していた。父親と姉妹の行方は不明) 。

キャンベルは死刑が確定する前に仮釈放される可能性があり、条件としてカウンセリングを受ける事であった。

キャンベルはカウンセリングを受けるが、カウンセラーと恋愛関係となり、仮釈放の話はなくなった (このカウンセラーは後にキャンベルの子供を産んでいる) 。

また、キャンベルの裁判は多くの余波が起こり、キャンベルの元妻はキャンベルに2度強姦されたのはワシントン州の過失だとして訴えた。

また、レニーとシャンナを殺害された祖母のヒルダ・アーラーズも過失を求めてワシントン州を告訴した。

更にバーバラの夫ドンもワシントン州を訴えている。


最後に刑務所で受けたインタビューの発言で終わりたいと思います。

「世界は私を創造しました。そして私は私が望む事を自由に行う事が出来ます。正しいか間違っているか、また私に何をすべきか教えてくれる人は誰もいなかった」



《殺人数》
3人 (他犯罪多数)

《犯行期間》
1982年4月14日



∽ 総評 ∽

この事件は強姦して訴えられた相手を逆恨みしたキャンベルが鬼畜で救いようがないのは当然だが、それよりも司法がとにかく酷い。

懲役40年を言い渡したまでは良いが (良くはないが) 、7年で仮釈放される可能性がある事を司法は被害者のレニーに報告していない。

レニーからすれば死刑が最善ではあったと思うが、40年なら安心だと思ったはずだ。

7年で出て来れると知っていればそれなりに対処できたはずである。

また、実際に仮釈放された事を報告もされず、知らぬ間に以前に強姦された鬼畜が目の前に現れ殺されてしまう。

遺族からすれば死刑判決、執行は当たり前だが、それだけでは納得いく話ではない。

祖母が州相手に訴訟するのも頷ける。

これまで厳罰にしていればそれ以上犠牲者が出ないという事例をいくつも紹介してきたが、その中でもこの件は特に酷く、3人は司法がまともに機能していれば決して殺される事はなかった。

私が遺族なら到底容認出来る事ではなく、この怒りを一体何に向ければいいのだろうか。

強姦された人間が相手を訴え、その相手に殺される。

また、犯行を目撃し、証言した隣人も殺される (ただしたまたま現場にいたから殺されたのか狙われたのかは不明) 。

鬼畜は控訴と上訴を繰り返し10年以上生きながらえようやく処刑される。

こんな事が許されていいのだろうか、世の中は納得のいかない理不尽な事が非常に多く無念の一言である。