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賈 敬龍 (グー・ジンロン 中国)
【 1986 ~ 2016 】



賈敬龍 (1986年生) は、中国河北省石家荘市北高営村で暮らしていた。


2009年11月28日、北高営村で村民代表大会が行われ、住宅を取り壊して村を改造する計画の実施を決定する評決が下された。


2010年11月10日、南華路6号に家を構えていた賈敬龍の父賈同慶 (グー・トンチン) は、家の立ち退きにサインし、その替わりに村民委員会から低価格の分譲住宅1戸と代替住宅1戸を提供され引っ越した。

だが、賈敬龍は父母や恋人の忠告を聞かず引っ越しを拒否した。

実は父賈同慶も最初は引っ越しに反対であった。

だが、賈同慶が村民委員会から母親 (賈敬龍からすれば祖母) の社会年金を停止すると脅された為にやむなく立ち退きに従ったのだった。

賈敬龍はこの事実を知っており、村民委員会及びその主任である何建華 (フォー・ジェンファ) に反感を抱いた。


2013年5月7日、村民委員会が賈同慶との立ち退き協議の締結に基づき住宅の取り壊しを実施する。

その際、取り壊しに来た部隊と賈敬龍の間で衝突が起こる。

しかし、家は取り壊されてしまい、賈敬龍が生まれ育った家は跡形もなくなった。

賈敬龍は村民委員会の責任者である何建華に強い恨みを抱き、報復する計画を立てる。

賈敬龍がこれ程恨みを抱くのはただ家を壊された事だけではなかった。

実はこの日、恋人との結婚式の18日前であり、大金を投じて新婚住宅に改造したばかりであった。

これから始まるであろう幸せな新婚生活を送る家は破壊され、しかも、村民委員会と険悪な関係であった賈敬龍に対し、恋人の父親は娘がこのまま結婚すれば自分達も村に居づらくなると考え娘に賈敬龍との結婚をやめるよう強く命じる。

娘は父親の指示に従い賈敬龍との結婚をやめ、後に別の男性と結婚した。

賈敬龍は結婚の為に改築した家と恋人を同時に失い、その恨みは非常に強いものとなったのだった。


2014年10月、賈敬龍は釘打ち機3台に模造拳銃1丁、火薬等を購入した。

そして、購入した釘打ち機を厚さ1cmの木の板を打ちつけられるように改造する。


2015年2月19日午前9時頃、釘打ち機と模造拳銃を携え春節を祝う祝賀会場へ向かった。

そして、村民たちと新年の挨拶を終え、ひな壇から降りた何建華の後頭部に釘打ち機を打ち込んだ。

釘は何建華の頭蓋骨を容易に貫通し、脳に到達して死亡した。

何建華殺害後、近くに止めていた車で逃走するが、止めに入った村民を車ではねた。

その後、数人の村民が車で追跡し、車をぶつける事で賈敬龍の車を止めた。

賈敬龍は車から降りると模造拳銃で村民たちを威嚇し、激しく抵抗を見せるが結局村民たちに取り押さえられ、駆けつけた警察官に逮捕された。


同年10月18日、賈敬龍に死刑が言い渡された。

すると、賈敬龍に対する同情の声が多く届き、ネットには判決の見直しを求める署名活動が呼び掛けられた。

だが、賈敬龍への死刑が覆される事はなかった。


2016年11月15日午前8時40分、銃殺による死刑が執行された。

享年30歳。



《殺人数》
1人

《犯行期間》
2015年2月19日



∽ 総評 ∽

賈敬龍は家や恋人を失った事への報復として犯行に及んだ。

その為、本来は「復讐」のカテゴリーに入れてもよかったが、あえてそうしなかった。

それは以前掲載した張扣扣のような理不尽さがないからだ。

もちろん中国政府の強引な立ち退き要求、その際に社会年金停止をちらつかせて脅すやり方は到底容認出来ない。

ただ、強引な立ち退きは賈敬龍の家だけではない。

どれくらいの家が同じような目に遭ったのかわからないが、中国の事なので相当数あったと思う。

生まれ育った家、これから新婚生活が始まる改築した家を壊される事は辛い事である。

ただ、新しい別の家を用意してくれるのだから気持ちを切り替えてその家に住むしかないのである。

個人的には前回の張扣扣と比べると中国国民とは異なりあまり同情出来る案件ではない。