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ヨゼフ・ウェンワルム (オーストリア)
【 1930 ~ 2004 】



ヨゼフ・ウェンワルムは、1930年9月16日、オーストリア・ゲンツガッセで生まれた。


1963年3月12日午後5時1分、首都ウィーンにあるウィーン国立歌劇場にウェンワルムはナイフを持って侵入する。

そして、2階の廊下でリハーサルに出席しようとしていたバレエの生徒、ダグマー・フューリヒ (11歳♀) と出会う。

ウェンワルムは医者を装いフューリヒを更衣室へ誘い込むと強姦して殺害した。

ウェンワルムは持参したナイフでフューリヒを刺したのだが、その傷は34ヶ所に及んだ。

犯行が行われていた時、ワグナーの「ワルキューレ」の公演が始まっており、その為、遺体が発見されたのは午後10時を過ぎていた。

殺害後、ウェンワルムはザルツブルクへ逃走した。

ウェンワルムは犯行の8日前に刑務所を出所したばかりであり、ウィーン国立歌劇場に侵入したのは計画性もなくたまたま侵入しただけだった。

警察は大々的な捜査を開始し、約1万4000人を調べた。

捜査が進む中、ウェンワルムは更に映画館や公園、教会で3人の女性を襲い負傷させた。

ウェンワルムは『The Oper Killer (オペラの殺人者) 』と書いた手紙を警察に送り挑発した。

『The Oper Killer』は新聞で大々的に報道されオーストリア全土で注目された。


同年8月6日、ウェンワルムは逮捕された。

裁判では2人の精神科医がウェンワルムを診察し、正常だと診断した。


1964年4月10日、ウェンワルムは1件の殺人と3件の殺人未遂で有罪判決となり、終身刑が言い渡された (オーストリアは一般の犯罪に対しては1950年に死刑を廃止している) 。


2004年8月22日、クレムスシュタイン刑務所で心臓発作により死去した。

享年73歳。

オーストリアの司法では15年後に仮釈放の申請が可能であったが、ウェンワルムは何度も申請を行うがその都度拒否された。



《殺人数》
1人 (他3人負傷)

《犯行期間》
1963年3月12日



∽ 総評 ∽

ウェンワルムの前半生については詳細がなくわからない。

犯行に及んだ時、すでに30を過ぎていた。

ウェンワルムは釈放後、わずか8日で凶行に及んだ。

ウェンワルムが何の罪で服役していたのかわからないが、もし最初の逮捕で厳罰にしていればこんな惨劇は生まれなかった。

これは司法のミス、責任であり弁護した弁護士や判決を言い渡した裁判官には何らかの罪を課すべきである。

ウェンワルムは40年以上、刑務所に収監され最後は病死した。

なんと無駄で無意味な時間であったかと思うが、仮釈放の申請を拒否した事だけは誉められる点である。