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成 瑞龍 (チェン・ルイロン 中国)
【 1973 ~ 2010 】



成瑞龍は、1973年1月10日、中国広東省連州市大路辺鎮浦管理区旱沖村で生まれた。

8歳で小学校に入学し、13歳の時に中学校に入学した。

しかし、15歳の時に学校を辞め、成は放浪するようになった。

広東省仏山市に移動するとそこで犯罪者グループに所属する。


1993年、仏山市で窃盗を行い逮捕され、2年間強制労働による再教育が行われた。


1995年、釈放されるがその後、成は犯罪を繰り返すようになる。

成は成勝 (チェン・シェン) 、成海芳 (チェン・ハイファン) 、蘭啓栄 (ラン・チーロン) と結託し、仏山市南海区でビジネスマンを誘拐し、20万元 (約300万円) を要求する。

その後、成らは広西自治区桂林市に逃亡した。


1997年、成と蘭は桂林市で不動産会社に勤める李某をナイフで刺して殺害する。


同年、湖南省株州市で、成と蘭は地元の裕福な実業家李某の家に侵入し、李を殺害する。

そして、成は李の妻の首を絞めて殺害し、蘭は娘を殺害した。


同年、浙江省湖州市に逃亡した成は、沈某一家の家の玄関で1人を殺害し、1人を負傷させた。


1998年、成と蘭は広東省肇慶市で男性を射殺する。


同年5月22日午後10時頃、成は仏山市公安局の姜明華 (ジャン・ミンファ) と勇堅 (デン・ヨンジャン) を射殺した。


同年5月31日午後4時頃、成は桂林市の公安局の警察官、白華恩 (バイ・フアエン) を射殺する。


1999年1月24日早朝、成は重慶市南安区で警察官の王光祿 (ワン・グァンルー) を射殺する。


同年7月から8月の間、江西省で2人の少女を殺害する。


2001年8月4日、成は江西省嘉定鎮水北村にある曾某の家に侵入し、曾とその娘を殺害した。

中華人民共和国公安部は、成を最も危険な存在として全国規模で指名手配した。


2005年1月18日、江西省で強盗を犯した所、成は逮捕された。

逮捕された時、成は偽名を名乗っており、強盗の罪で懲役7年が言い渡された。

この時点で成の過去の犯行は露見していなかった。


2009年5月20日、中華人民共和国公安部は、仏山市公安局から提供された成の情報を精査し、一連の事件の犯人と成との共通点を確認する。


同年7月21日、成が13年間捕まらなかった理由として、両親や兄弟、友人との接触を断ち、名前や容姿、声等を変えた事で逮捕が遅れたと発表した。

逃亡中、成は「成龍」「李兵」「黄龍」「林強」「李輝」「周全」等少なくとも10以上の偽名を名乗っていた。

成による犠牲者は全部で13人で、負傷者は2人であり、また、28万8000元 (約450万円) を強奪した。


2010年1月7日、裁判が始まるがわずか20分で終了した。

成の家族は誰も法廷に現れず、その事について少し寂しい様子を見せた。


同年2月21日、成には全ての財産の没収と権利の剥奪、そして、死刑が言い渡された。

判決を言い渡された成は落ち着いており微笑んでいた。

ただ、判決を不服として控訴した。


同年7月9日、仏山中級裁判所も判決を支持した。

成は両親と面会し、これまでの罪を認め謝罪した。

成は富を求める事を動機として述べ、それは間違っていたと話した。


同年11月2日午前11時頃、成の死刑が執行された。

享年37歳。



《殺人数》
13人 (他負傷者2人)

《犯行期間》
1997年~2001年8月4日



∽ 総評 ∽

強盗殺人を繰り返した成だったが、これは中国殺人鬼の典型的な犯行であった。

基本的に貧困層の多い国は連続殺人の理由として強盗が圧倒的に多い。

中国がその典型でこれまで何人も紹介してきたシリアルキラーは、快楽や強姦よりも強盗を目的とする場合が多い。

成は名前や容姿をかえて13年も犯行を繰り返したが、中国という国土の広さも逃げられた要因といえる。

成はどのような家庭環境にあったかよくわからないが、15歳で社会からドロップアウトしてしまった。

もはやまともに生きて行く事は不可能だと判断し、犯罪を繰り返していったのだろう。

育つべくして育った殺人鬼といえる。