_20200704_130216
ウラジスラフ・チェルク (カザフスタン)
【 1992 ~      】



2012年5月28日午前5時頃、カザフスタンと中国の国境近くの町ウシャラルにある国境検問所との通信が途絶える。

近くの駐屯地の警察官が調査に訪れると、焼け焦げた宿舎から14人の死体を発見する。

また、すぐ近くの家で1人の死体が発見される。

死体はその後身元が判明し、14人の兵士と1人の猟師と特定された。

軍事駐屯地は焼失しており、当初は兵士同士による争いや、宗教的過激派や密輸業者による攻撃等、様々な要因が考えられた。

だが、駐屯地で唯一生き残ったウラジスラフ・チェルクという19歳の兵士がいる事がわかる。


同年6月5日、犯行現場からそれ程離れていない山小屋でチェルクは逮捕された。

逮捕された際、チェルクな民間服を着ており、銃やパソコン、殺害した兵士の携帯電話を所持していた。

翌日の6日、チェルクは犯行を認めた。

チェルクは駐屯地で唯一のロシア人であり、動機は他のカザフスタン兵士によるいじめであると述べた。

だが、チェルクは後に自白を撤回し、自白は警察の圧力によるものだと主張した。


同年10月、チェルクは自殺を図るが未遂に終わった。


同年12月20日、チェルクは殺人、窃盗、国家機密の違法な入手、不法侵入、武器や弾薬の違法所持、譲渡や販売、保管や運搬等の罪で終身刑が言い渡された。

本来、チェルクは死刑が言い渡される程の罪であったが、カザフスタンでは2008年1月1日に死刑を廃止していた為 (135ヶ国目の事実上の死刑廃止国) 、終身刑となった。

チェルクの母親は、弁護士がチェルクを弁護する事を拒否した事について国際裁判所へ上訴する計画があると述べた。

また、祖父はチェルクがスケープゴートにされたと訴えた。



《殺人数》
15人

《犯行期間》
2012年5月28日



∽ 総評 ∽

兵士として仲間を射殺し殺害したチェルクだったが、その理由はいじめであった。

チェルクは駐屯地で唯一のロシア人であり、おそらくその事でいじめを受けていたのだろう。

いじめの内容については詳細がなくわからず、実際にいじめられていたのか、チェルクの被害妄想なのかもわからない。

ただ、ロシア人であるチェルクがカザフスタンに在住していた理由がそもそもわからない。

親の世代からなのか、チェルクのみがロシアからカザフスタンに移り住んだのか不明である。

だが、駐屯地の兵士を皆殺しにするくらいなので相当な恨みがあったと思われる。

ただ、猟師を1人殺害しており、何故殺害に至ったのかわからない (目撃されたから殺害したのかもしれない) 。

近年の大量殺人事件の割にあまり詳細がなく、カザフスタンという国柄の影響だろうか。